小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

オランダの表現の自由 イスラム教徒の移民が起こした犯罪の余波 1


関係は「修復」したか?

 ロンドンでの同時爆破テロの実行犯グループの大部分は自国で生まれ育ったイスラム教徒の男性たちだった。まだ犯行の動機は分かっていないが、国内のイスラム教過激派グループやパキスタンにあるイスラム教の学校が何らかの形で思想的な影響を与えたのではないか、という仮説が有力になっている。

 外国からやってきたテロリストではなく、「自国で生まれ育った」という点がポイントで、今後いかにして同様のテロ行動を防ぐことができるか?に関心が集まっている。

 「自国で生まれ育った」「イスラム教徒の」テロ行動・殺害行動の象徴的先例ともいえるのが、オランダで昨年末起きた、映画監督殺害事件だ。7月中旬の裁判では、イスラム教徒過激派グループに所属していたと見られるムハンマド・ブイエリ被告が「イスラム教の名の下での犯行だった」「もし釈放されれば、同様の行動を起こす」と法廷で語り、オランダ国民にとっては新たな衝撃となった。26日には裁判の結果が出るが、終身刑になる見込みとされており、かつ他の受刑者から隔離された状態にするべきだ、という声も出ている。

 ロンドンのテロの実行犯グループの大部分がパキスタン系英国人で、リーズ市出身だったため、地元のイスラム教コミュニティーに何らかのバッシングがあるのでは?という懸念が出てきた。今のところ、今回の事件があったからといって、英国でイスラム教徒とイスラム教徒ではない人々の間に大きな亀裂ができたとはいえないようだが、ここ2,3年の間にイスラム教徒の移民対先住のオランダ人という対立が表面化したと言われているのがオランダだ。

 BBCの夜のニュース解説番組「ニューズナイト」では、殺害されたオランダの監督テオ・ファン・ゴッホ氏の友人でテレビのプロデューサーでもある、ハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏をインタビューしている。

 この番組の中で、BBCのキャスターは「ファン・ゴッホ監督殺害の後で、現在ではイスラム教徒と非イスラム教徒の市民との間の関係は修復しましたか?」と聞いた。「修復するとは、どういう意味ですか?」とファン・デ・ウエステラーケン氏は聞き返している。キャスターが質問を繰り返し、答えは、「修復するどころか、亀裂はますます深くなっていると思う」だった。そんなに簡単に衝撃が消えるわけがない、と言いたそうな感じだった。

 オランダでは、表現の自由が暴力で封じ込められた、という面での衝撃も大きかったようだ。

 先日、オランダの各地を訪ね、ファン・デ・ウエステラーケン氏を含む知識人らにインタビューした。その時の様子をいくつかに分けて紹介させていただきたいが、まず、日本新聞協会が出している月刊誌「新聞協会」の7月号に掲載された記事を再録させていただきたい。(この中で、「イスラム教徒の移民」は原文のまま「イスラム系移民」と表記されていることをお断りしておきたい。)

ーーーー

オランダ社会の「寛容精神」の行方 ―映画監督殺害事件に揺れる表現の自由

 異なる価値観に対する寛容精神を自負するオランダで、昨年十一月、ショッキングな事件が起きた。著名画家ビンセント・ファン・ゴッホの遠い親戚にあたり、人気コラムニスト、トークショーのホスト、映画監督のテオ・ファン・ゴッホ氏が、自宅のある東アムステルダムから仕事場に向かう途中、イスラム教徒の移民の男性に殺害されたのだ。監督は同年八月、イスラム教を批判した短編映画「服従」を製作していた。

 この事件はオランダばかりか欧州全体を震撼させた。まず、表現の自由が侵されるのは、欧州社会の根幹を成すリベラルな価値感からは到底許せない事態だった。また、増えるイスラム系移民の融合策に悩む欧州各国にとって、この殺害が「移民」、しかも「イスラム教徒」が引き起こしたために、一つの象徴的事件として受け止められた。

 事件から八ヵ月後のオランダでは、現在も衝撃の余波が消えていない。ファン・ゴッホ氏が毎週コラムを書いていたフリーペーパー「メトロ」は、今日に至るまで、氏の顔写真の他は白紙のコラムを印刷し、暴力で表現の自由が封じ込められたことへの抗議を表明し続けている。社会の中のイスラム系移民に対する視線はより厳しいものとなっており、オランダの寛容精神の揺らぎや、多文化主義の失敗を指摘する声もある。首都アムステルダムを訪ね、現状と今後を探ってみた。

―メッセージ性を持った殺害

 殺害事件を振り返ってみる。昨年十一月二日朝、ファン・ゴッホ監督は、新作映画「〇六・〇五」の打ち合わせのため、自転車で、友人と設立したテレビ・映画製作会社に向かった。何もなければ十五分ほどで会社に到着する予定だったが、アムステルダム市役所の前を通りかかったところでイスラム教徒過激派の一員でモロッコ系移民のムハンマド・ブイエリ容疑者が発砲。向かい側の道にたどり着いたものの、さらに数発の銃撃により死亡。ブイエリ容疑者は監督の喉元をかききり、胸に手紙をナイフで留めた。

 手紙はイスラム教徒たちに向けて書かれており、映画の脚本を書いたソマリア出身で元イスラム教徒の女性政治家アヤーン・ヒルシ・アリ氏〈オランダ存任〉、米国、オランダ、欧州への聖戦を開始するよう呼びかけていた。事件以前からイスラム教のモスク、学校などへの放火、逆にキリスト教系学校などへの放火や攻撃が相次いでいた。

 容疑者が保持していたメモにヒルシ・アリ氏への殺人予告が書かれていたため、氏は数ヶ月身を隠さざるを得なくなった。現在でも厳重な警護がついている。ヒルシ・アリ氏のみばかりか、以前から移民やイスラム教徒に対して否定的な発言をしてきた右派政治家ヘールト・ウイルダース氏も、近年イスラム過激派から殺害予告を受けており、ヒルシ・アリ氏同様に厳重警備下にある。

―教材として製作された「服従」

 「服従」は約十一分の作品で、国営テレビで放映された。現在、二分ほどの短縮版がインターネットなどで見ることができるが、全体像の公開は行われていない。五月にイタリアで上映されたが、これも短縮版だった。アムステルダムにある「服従」の製作会社コラム・プロダクティーズを訪れると、「視聴のみ」という条件付で、全体像を見ることができた。

 映画は、比較的シンプルな構成となっている。イスラム女性の伝統衣装で、床までの丈の黒い「ブルカ」に身を包んだ女性が、部屋の中央に立ち、自分のこれまでの人生を神に向かって話す、というもの。顔面は目だけが見えるようになっている。黒い装束は通常、女性の体全体を隠すものだが、この映画の中では首から下の中央部分が黒いシースルーの布になっている。肌色のパンティーは身につけているものの、乳房、足が透けて見える。

 この女性の後ろに、白いウエディングドレスを着たもう一人の女性がいる。背中にはコーランの文章が書かれている。顔や背中には殴られた傷跡があり、痛々しい。

 黒いブルカ姿の女性は、初めての男性との出会い、強制された結婚生活、父親の友人にレイプされたことなど、これまでの自分の人生を語る。殴打された女性の顔、コーランの文字、シースルーの装束から透けて見える女性の体の映像を見ながらこの語りを聞いていると、「人間性を否定され、理不尽な状況にいるイスラムの女性たち」というメッセージが強く浮かび上がってくる。

 使用言語は英語で、どうしてオランダ語ではないのかを「服従」のプロデューサーのハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏に聞いて見ると、「元々、ムスリムの女性たちの処遇に関して、世界の各国で議論をするための素材として製作したため」ということだった。

 「服従」を作るきっかけは、監督と政治家ヒルシ・アリ氏が友人同士で、彼女のアイデアを形にすることにかねてからイスラム教を批判していた監督が同意したからだという。

 自分自身もイスラム教徒だった下院議員のヒルシ・アリ氏は本人の意思とは無関係に強制的に結婚相手を決める制度から逃れるためにオランダにやってきた。イスラム教は女性たちを「赤ん坊を産む機械として扱っている」として批判し、「イスラム教の教義はリベラルな民主主義とは合致しない」というのが持論だ。「メトロ」の五月二十七日号のインタビューの中で、殺害予告が今後も続いても、「服従」の中でイスラム教の女性たちが不当に扱われている、とした主張を撤回するつもりはない、と語っている。

 6月中旬には、BBCのインタビューの中で、続編製作の意思を表明した。


〈続く)
by polimediauk | 2005-07-19 00:46 | 欧州表現の自由