記者会見 カルザイ・アフガニスタン大統領
「テロを政策として利用する政府が悪い」
アフガニスタンのカルザイ大統領が訪英し、ブレア英首相などと会見した。20日、ロンドンの王立国際問題研究所で講演を行い、1時間強の間、ジャーナリストや研究者、政府関係者らとの質疑に応じた。
大統領になる以前からこれまでに何度なくロンドンを訪れており、「また来たの?」と英役人から言われるほどだ、と講演を始めた大統領が選んだテーマは「グローバル・テロリズムとアフガニスタン」だった。
「ロンドンの同時爆破テロが起きた時、テロで家族を亡くした人たちの痛みが一番良く分かるのがアフガン人ではないかと思った。私達も随分長い間、テロに悩んできた。しかし、今回のロンドンのテロとアフガニスタンの大きな違いは何か?それは、ロンドンのテロでは、BBCや英タイムズ紙などのメディアが連日、大きく報道する。アフガニスタンの場合は、女性、子供達、罪のない市民たちがたくさん殺された。しかし、世界に報道されない長い年月があった」
「世界はグローバルになった。貧しい国、金持ちの国、どこでもテロが起き得る。アフガニスタンで起きることが、ロンドンやニューヨークでも起きる」
「ソ連軍がアフガニスタンを占領し、アフガニスタンの人々は抵抗運動を始めた。ソ連はアフガニスタンに異なるイデオロギーを押し付けようとし、アフガニスタンの人々がイスラム教徒である部分を取り去ろうとした。この抵抗運動に参加した義勇軍が、ソ連軍が去った後、国内に残り、過激派になっていった」
〈注:過激派の一つタリバンが、アフガン全土を90年代半ば頃から支配。タリバンはアルカイダ幹部などを国内にかくまっていた。米軍を中心にした多国籍軍の作戦によりタリバン政権は崩壊。〉
「1993年ごろから2001年まで、過激派による国内のテロは続いた。モスクや学校が燃やされたりした。でも、世界は誰も目に留めなかった。もしこのとき、こうしたテロが撲滅されていたら、米国の2001年9月の大規模テロも起きなかったもしれない、と考えることがある」
「地球規模のテロが起きる原因は、個人の一人一人にあるのではなく、宗教の問題でも、イデオロギーの違いによるものでもない。イスラム教徒であることも関係ない。国民がイスラム教のアフガニスタンでもテロはずっと起きていたことを思い起こして欲しい。キリスト教徒だけでなく、世界中の多くのイスラム教徒がテロで殺されている」
「テロを根絶するには、世界中の国が誠意を持って、テロをなくするよう一致団結することだ。政府が、テロリズムや宗教を、その時々の都合の良いポリシーの1つとして、使ってはいけない。これがテロを作るのだから」
・・・以上は講演の一部抜粋だが、「政府がテロをポリシーの一環として使っているから、テロがなくならない」という説には、妙に説得力があった。この「政府」をカルザイ氏は複数で使っていた。「過去の」アメリカ政府を指しているのは明らかとCBSのジャーナリストが後で語ってくれた。
最後の質問が、チャンネル4というテレビ局の記者だったが、「テロをポリシーの一つとして都合のいいように使う政府が悪い、という話だったが、では、アフガニスタンと国境を隣接するパキスタンをどう評価するか?パキスタンはテロをポリシーとして使っている〈悪い〉政府だと思うか?あるいは、テロ撲滅に力を入れようとしていても、まだ十分に実行しきれれていない国だと思うか?」と聞かれた。
米ブッシュ大統領の「テロの戦争」の同盟国として扱われたパキスタンだが、ロンドン同時テロの爆破実行犯の数名がパキスタンの過激派イスラム学校に通っていたことなどが分かり、テロリズムの温床となっているとして英国内でも大きな批判が出るようになっている。
大統領は答えるのに窮してしまう。聴衆席にいた外務大臣と言葉を交わした後、「パキスタンとはこれまでに協力をしてきたが、さらに協力をしていきたいと思っている」と答えた。
この「さらに」が深いらしい。前に座っていた中東ジャーナリストが「パキスタンにはかなり不満を持っている、ということだ。テロをポリシーとして使っている政府とは、パキスタンのことだ」と周りにささやく。チャンネル4の記者に、「どう思う?」と聞くと、「全くその通り」。
講演の前の紹介によると、冷戦時代にアフガニスタンに旧ソ連軍が侵攻したのは1979年だったが、カルザイ氏は82年ごろからソ連の軍事支配に対する抵抗運動に参加したという。92年にはゲリラ各派により樹立された政権に入り、米同時テロ後の米英軍によるタリバン掃討作戦が始まった2001年末、親族のいるパキスタンから祖国へ戻り、暫定政権に参加。2004年のアフガニスタン史上初の大統領選挙で当選した。