ロンドンを市民の手に取り戻す(「Take Back the City」)最終回

投票結果が出た後のTake Back the Cityのメンバーたち(フェイスブックのサイトから)
市長選・市議選が終わっても運動は続く
5月5日、英国各地で地方選挙が行われた。ロンドンでは市長選と市議選になる。
規制の政党には頼らず、市民一人一人の声を市政に反映させるために立ち上げられたのが草の根グループ「Take Back the City」(「都市を取り戻せ」)。「都市」とは貧富の差が激しいロンドンを指す。
ロンドン市議選に向けて、Take Back the City は父がケニア人、母がフィリピン人のアミナ・ギチンガ氏(26歳)を候補者として立てた。ギチンガ氏の仕事はフリーランスの合唱の先生だが、選挙期間中は仕事を休んで選挙戦に集中した。
選挙直前と直後の様子を伝えたい。
「怒りに体が震えた」
4月28日。投票日の1週間前となった。ロンドン東部ホワイト・チャペルのオスマニ・センターで、Take Back the Cityによる投票日前の最後のイベントが開催された。
午後7時開催のイベント会場には、6時半過ぎまでに70席ほどの椅子が並べられていた。受付の右側にはTake Back the Cityのパンフレットが並べられ、左側にはジュースやお水、フライドチキン、ケーキ、ピーナッツの焼き菓子などが並べられている。ジュースはフルーツジュースのカートンから注ぐだけのものだが、紙コップ一杯で50ペンス(80円ぐらい)。
ジュースを買って一番前の席に座ると、Take Back the Cityの秘書役のクレアさんが髪をアップにし、ノースリーブのワンピース姿で打ち合わせをしていた。ここ一番!という感じのおしゃれぶりだ。
ギチンガ氏は後ろの席の近くにいてほかの参加者とおしゃべりをしている。真っ赤な口紅が目立つ。今日はみんなにとって、ハレの日なのだろう。
来場者の年齢層はバラバラだが、有色人種の割合は70%ほど。白人の老人男女の姿も場内のあちこちで見かけた。
英国内で最も有色人種の比率が高い場所として知られる自治体タワーハムレッツの中に、ホワイトチャペルはある。ここ一帯はロンドンの「イーストエンド」にあたる。ウェストエンドと言えば、ロンドンの劇場街の代名詞になるほど華やかなイメージがあるが、イーストエンド地域は貧困層と移民層が集中している。
最前列の椅子の前にはスペースが開けられており、これがステージとして使われるようだった。
会場内で配られていたのがTake Back the Cityのチラシと「投票しよう!」と表紙に書かれた、A4用紙を二つ折りにして作った小冊子。チラシの裏にはマニフェストの要約が書かれており、小冊子の方にはTake Back the Cityの発足までの経緯や、ギチンガ氏へのインタビュー、「音楽と抵抗について」、「詩のコーナー」などという見出しの記事が載っていた。
ほんの2週間前まではまとまりのなかったマニフェスト。それをよくここまでまとめたものだと感心していると、後ろからギンチガ氏とグループの核になる数人が手をつないでやってきて、ステージに向かった。クレアさん、ギチンガ氏、前のミーティングで会ったことがあるレベッカさんと数人は、よく学校でやるような、いくつかのフレーズをそれぞれが読む形でTake Back the Cityの詩を披露した。大きな拍手が沸き起こった。
ギチンガ氏だけがステージに残った。マニフェストが印刷された黄色いチラシを手にしている。「今日は来てくれてありがとう。ここまで来れたのはみんなのおかげよ!」大きな拍手。
市民の声を反映するため、Take Back the Cityを作ったことや、この1年で75のワークショップを開きながら地域住民、移民たち、有色人種のグループ、労働者階級の学生たち、店子、障がい者、アーチストやパフォーマーたちから、ロンドン市政に期待することを聞き取ってきたと話す。マニフェストづくりに向けて1200もの要望があり、クラウドファンディングで資金を集めたことを報告する。
なぜTake Back the Cityはギチンガ氏を市議会に送ろうとしているのか?
ギチンガ氏はある体験を話し出す。市民グループの集合体「ジャスト・スペース」の会議に参加した時のことだ。最大の問題となっている住宅問題をどうするかについて、さまざまなワークショップが開催された。
その一つに出ていたギチンガ氏は低所得者向け住宅についての意見を述べた。この時、会場にいた白人の男性が、「『私たちが状況をきちんと調べていない、調査が足りないからそう発言している』、と言い出したのよ」。
カチンときたのはこの男性がギチンガ氏に向かって「テレビばっかり見ているからだろう」と言った時だった。「有色人種の若い女性」=「知的ではない人」という決めつけぶりに、「体が震えるほどの怒りを覚えた」。ギチンガ氏の小さな体から、怒りの熱が伝わってきた。
「抗議デモに出ているだけではダメ!私もいろいろデモに参加してきたけど、それだけでは十分ではない。ドアを開けて中に入るべき。議論をしている部屋の中に入って、何かを言わなきゃダメなのよ。だから、立候補することにしたんです」。
Take Back the Cityのマニフェストをギチンガ氏は一つ一つ、読みだした。
「賃貸料の上昇を抑制する」(家や地域社会から追い出されることがあってはならない)
「不動産業者、超富豪層、自治体が所有する空き家を低所得者やホームレスに解放する」
「腐敗し、人種差別主義的なロンドン警視庁を廃止する」
「ロンドンの最低賃金を自給11ポンドに義務化させる」(11ポンドは約1700円)
「私立校への税優遇策をなくし、低所得世帯に提供されていた教育維持給付金=EMA=を復活させる」(EMAは政府の財政緊縮策によって、ロンドンを含むイングランド地方のみで廃止された)
「すべての交通運賃を20%減少させる」―。
そのどれもがTake Back the Cityがロンドン市民に実際に声を聞いて集めた要望が基になっている。
ギチンガ氏は東部「シティ&イースト」選挙区(ニューアム、タワーハムレッツ、金融センターがあるシティ、バーキング、ダゲナム)から立候補する。マニフェストの一つ一つの項目を読み上げるたびに、大きな歓声が出た。「5日、投票してね!」
拍手喝さいの中で終わったギチンガ氏のスピーチの後は、地元の合唱グループに入っている数人がステージに出て、ビートの利いた曲としっとりした曲を披露。その後は会場内の参加者が3グループに分かれて、歌った。指揮をするのはギチンガ氏。歌の中には「私は負けない」という文句があり、繰り返していると、なんだかじーんとしてしまう。
休憩時間に、前にも話したことがある、Take Back the Cityのメンバーの一人、グレン氏と話す。「アミナ(ギチンガ氏)は多分、当選しない」とポツリ。「僕たちは選挙の次を考えている。大きな社会運動にしてゆきたいんだよ」。
地元コミュニティで支援活動を行ってきたグレン氏は、「ここはほかのどことも違う。労働党みたいに上下のヒエラルキーがないんだ。とてもめずらしい。だから大きくなってほしい」。
私が言う。「知名度がどれぐらいかあるかだよ。ここは盛り上がっているけど、存在を知っている人は多くない。もし知ってたら、かなり票が取れるのではないか」。グレン氏がうなずく。
いったい何人が投票してくれるだろう?皆目見当がつかない私は、数千から万単位で得票することを想像した。2012年の前回のロンドン市議選では、ギチンガ氏の選挙区の当選者は約10万票を得ている。当選しなくても、いいところまで行くだろうかー。
市長選では労働党候補が当選
5日、いよいよ投票日がやってきた。
直前に、ギチンガ氏は選挙戦のいやな面も体験した。労働党のある市議がTake Back the Cityのフェイスブックに書き込みをし、マニフェストの政策の財源が十分に練られていないという批判の上に、ギチンガ氏のアパートのビルの屋上の写真を掲載した。「お前が住んでいるところは知っているぞ」という威嚇としてギチンガ氏側は受け取った。
「私たちの政策を批判することはかまわない。完全にまっとうなことだから。でも、プライバシーを侵害するのはいけないと思う。私がどこに住んでいるかを公にすることで何を証明したいの?いやがらせだと思うわ」。ギチンガ氏は抗議を動画にしてフェイスブックに掲載した。「全くなんてやつなんだ」、「アミナ、負けるな!」支援のコメントが続々と並んだ。
ロンドン市長選には立候補者が12人いたものの、労働党が推すサディク・カーン下院議員と保守党公認のザック・ゴールドスミス下院議員との事実上の一騎打ちとなった。
カーン氏とゴールドスミス氏。これほど正反対の社会的背景を持つ立候補者も珍しい。カーン氏はパキスタン移民の両親を持つ。父はバスの運転手だ。自治体が提供する低所た得者向け住宅で育ち、公立校からノースロンドン大学に進学した。法律を学んだあと、人権派弁護士となる。下院議員初当選(南西部トゥ―ティング選挙区)は2005年。カーン氏は労働者階級の成功者といってよいだろう。
一方のゴールドスミス氏は億万長者で欧州議会議員でもあった父を持つ。富裕層、エリート層が子息を送る私立校イートンに進むが、ドラッグを所持していたことが発覚し、退学。後に環境雑誌の編集長となった。2010年、ロンドン南部リッチモンド・パーク選挙区の下院議員に初当選。下院議員の中で最も金持ちとも言われ、ゴールドスミス氏は富裕層・エリート層の利益を代表する人物とみられてきた。
二人の支持率は選挙戦中、ほぼ同じぐらいになっていたが、途中からゴールドスミス氏がムスリム(イスラム教徒)のカーン氏を「イスラム過激主義者に近い人物」として攻撃しだした。昨年11月のパリテロや今年3月のブリュッセルのテロを思い起せば、これに賛同する人がいて、カーンの支持者を減らせる・・とゴールドスミス氏は思ったようだ。「ムスリムに本当にこの都市を預けてもいいのか?」そんな問いかけをした。
しかし、その目論見は完全に失敗した。人口約870万人のロンドンの約37%が移民出身者だ。ムスリム人口は約12%。300を超える言語が市内で使われている。こんなロンドンで特定の宗教や人種を差別するような発言をすれば、発言者の評判はがた落ちになってしまう。日常生活ではそれを知っているはずのゴールドスミス氏だったのだが。
結果は、カーン氏が1,310,143票、ゴールドスミス氏が994,6143票。投票率は45%だ。前回の38%から上昇した。市民の関心が高い選挙だったと言えよう。
6日朝に行われた就任演説で、カーン新市長は「すべてのロンドン市民のために」動きたい、と述べた。
同日、ロンドン市議選の結果が出た。
フェイスブックにギチンガ氏が「今日は、結果を聞いた後で、フォレスト・ゲイト駅前のパブ『フォレスト・ターバン』にいるわ。後で会おうね」と書き込みをした。
私は夕方に向けて、フォレスト・ターバンに向かった。フォレスト・ゲイトは2012年のロンドン五輪の中心となったストラットフォード駅に近い。
「思ったよりも多くの票だった」
駅前のパブに入ると、ギチンガ氏とTake Back the Cityの男性メンバー、ケネディ・ウォーカー氏がいた。こちを見つけて、手を振るギチンガ氏。
「お疲れさま」といって、互いに抱き合って挨拶をすると、すぐに結果の話になる。「500もあれば、と思っていたけど。驚いたわ。すごいのよ。1368だったんだから。信じられないほど多い」とギチンガ氏。当選者は労働党員で約12万票を集めた。ギチンガ氏の得票は8人のうち、下から2番目だ。1368票が少なすぎるのかどうか、とっさには判断できなかった。
「これまで一度も投票したことがない人が投票してくれたんだから」とギチンガ氏。
隣に座るウォーカー氏はTake Back the Cityのフェイスブックのページの動画を入れようとしている。「ケネディはもうスターだよ」とギチンガ氏。ロシアの英語ニュース放送「RT」に出演し、3分ほど話したからだ。「あの有名なRTに出たんだよ!」
投票日の直前には、英左派系大手紙「ガーディアン」がギチンガ氏を動画インタビューしていた。「ラジカルな政治運動の担い手」という説明があった。
どこが「ラジカル」なのか?インタビューをしたジャーナリストのジョン・ハリス氏は動画の中でこう説明した。「Take Back the Cityは直接市民に意見を聞いた。バスの中で詩を読み上げ、乗客に話しかけて、政治で何を変えてほしいのかを聞いていた。それをまとめてマニフェストにした。ほかの政党はどこもこんなことをやっていない。・・・政界の動きを書く政治コラムニストより、よっぽど、良いことをやっている」。
私は「これからどうするの?」とギチンガ氏に聞いてみた。「しばらく、休むよ。もう疲れ切ってくたくたよ」。毎日外に出かけ、人に会い、睡眠時間が大幅に削減された。「体調は最悪」という。「休んだ後は、また運動を続けるよ」。
パブの飲み物を注文するあたりにクレアさんの姿が見えた。「今、アルコールが飲めないの」という。彼女も疲れ切っていた。「体全体が痛くて、この2-3日、寝たきりだったわ。今日もお酒は飲むほどの元気じゃない」。
かわりがわりにTake Back the Cityのメンバーが入ってきて、ギチンガ氏や仲間としゃべってゆく。
ウォーカー氏にもこれからどうするのか、と聞いてみた。毎週木曜のミーティングは続けるのか、と。「あと2-3週間はまず休むよ。でも、これからも続けるよ」。最初は「何も決まっていない」と言ったものの、ギチンガ氏がそばに来ると、二人でこれからを話し出した。「まずはロンドンのほかの草の根グループに会うことだな。たくさんもうすでにあるんだから。どこと協力できるのか。ほかのグループから学べることはないのかを知らなければ」とウォーカー氏。
ギチンガ氏とウォーカー氏だけで決めるわけではない。フラットな組織構造なのがTake Back the Cityの特徴だ。休みの後に開かれる会議でそれぞれが言いたいことを言い合って、紆余曲折しながら、決まっていくのだろう。
Take Back the Cityのメンバーたちが何度も言っていたのは「社会的運動にしたい」ということ。しかし、より広範な人を入れるには、Take Back the Cityのことを全く知らない人の心をとらえるような言葉が必要なのではないか。それは政治理念になるのではないか。地元民の声を聞くだけではなく、エキスのようなものに変える必要があるのではないか。私はそのように感じた。
これまでのTake Back the Cityは社会から疎外され人々、つまりは貧困層や移民層の声を集約することに力を入れてきた。でも、大きな社会運動に、政治運動になるには、中流だが低所得の人々、そして白人層ももっと取り入れる必要があるのではないか。そんなことも思った。ロンドン東部の移民コミュニティや貧困層に集中して目を向けた結果、多くの白人貧困層を敵視することになりはしないか、と言う懸念もある。
いろいろなことを考えたが、ほんの1年でここまで来た事、クラウンドファンディングで100万円近くを集めたこと、そしてこれからも続けたいと思っている人たちがいることに私は驚いたし、感銘した。まだまだ、終わらないのである。
休みの期間を終えたTake Back the Cityの活動をこれからも定期観測していきたいと思っている。
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(津田大介さんのメルマガに掲載されたコラムの転載です。)