ロンドンテロの背景 英国ムスリム社会
日本に来て書店をのぞくと、イスラム過激派関係の本が結構でているのに気づいた。新刊の1つでは、7月のロンドンテロを「イスラム過激派の犯行」としていた。大急ぎでこの部分を入れたのだろう。「イスラム過激派の犯行」とするのは、間違っているわけではない。しかし、どうも、こうやってくくってしまうと、自分が見聞きしたロンドンでの経験と若干の乖離を感じてしまう。それは、「一見、普通の若者」、「近所にいる若者」が起こした犯行だからだ。
地下鉄で隣に座っていたかもしれない、何の変哲もない若者たちが、自爆テロを起こしたからこそ、英国民は大きな衝撃を受け、痛みを感じた。英国で生まれ育った英国籍の若者が、自国民へのテロを起こしたから、ショックを受け、「何故?」と自問した。
イスラム教過激派の影響を受けての犯行だと、今のところはされているが、どうしてこうした過激思想に影響を受けて、隣人を殺すところまで行ってしまったのか?
その答えを探す作業は、まだ続いている。
4人のテロ実行犯(いずれもイスラム教徒たち)が自爆テロを起こした、その責任は「英ムスリム社会にある」、とは、私はあまり思っていない。また、「過激思想の流布を許した英社会の言論の自由に、問題があった」とも思っていない。こういうことを確固として言うには、まだ早すぎるような気がする。
ただ、英国の専門家(テロの分析など)らが言うには、世界中のイスラム教徒の若者のなかで、アルカイダに代表されるようなテロが、一種のカルトになっている、という説は、あたっているように感じている。
アルカイダは、もはや直接手を下す必要はなく、指令を出す必要もない。世界中のイスラム教徒の若者たちが、テレビの映像やインターネットのチャットルームを通じて、過激思想に染まり、自分たちで行動を起こす・・・という現象が起きている、ということが指摘されている。
それでも、「英ムスリム社会とは?」を、一旦見ておくのも、事件の背景を理解する際に役立つかもしれない。
そう思って、9月1日発行の、「新聞通信調査会報」に、以下の原稿を書いた。8月20日頃までの情報を基にしている。http://www.chosakai.gr.jp/index2.html
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英国生まれのテロ犯の衝撃
―当惑と驚きの波紋広がる
七月七日のロンドンの地下鉄やバスなどでの同時爆破テロは五十六人の死者を出した。実行犯グループが英国の地方都市で生まれ育ったイスラム教徒で、警察当局が全くマークしていなかった「普通の」青年たちだったことで、英国全体に当惑と驚きが広がっている。一体どれほどの「普通のイスラム教徒たち」が、テロリスト予備軍になるのだろうか?また、英国籍をもち、文化、価値観を十分に理解していたはずの人物が、何故、自国民に対するテロを起こしたのか?政府は新テロ防止策、過激なイスラム教思想の取締り策に取り組みつつあるが、効果のほどは定かではない。
―英国籍の実行犯たち
実行犯グループは爆破により乗客と共に命を落とし、テロ行為の理由を説明する声明文なども見つかっていないため、現在のところ正確なテロの動機は分かっていない。しかし、テロ犯一人一人の生い立ちや育った場所の背景、急速に熱心なイスラム教徒に変わっていった様子から、社会全体に対する疎外感に加え、イスラム教過激派の教えに影響を受けたのが大きな要因と見られている。
四人の実行犯の中で三人が英国で生まれ育ったパキスタン系英国人で、残る一人はジャマイカ生まれだが幼少時から英国で暮らしていた。全員が英中部ウエストヨークシャー州のリーズ市(人口約七十万)やその近郊で生活経験がある。
実行犯らが住んでいた地域には低所得層が多く、白人、パキスタン系イスラム教徒、黒人など、人種間の小競り合い、対立が続いていたという。二〇〇一年六月にはバングラデシュ人が多く住む地区で数百人規模の暴動が発生し、同年七月には近郊のブラッドフォード市で、イスラム教徒の移民と白人市民との間で千人ほどを巻き込んだ暴動事件が起きている。
それぞれの実行犯の生い立ちを見てみる。
モハメッド・サディック・カーン容疑者(三十歳)はリーズ市で生まれたパキスタン系英国人で、インド系移民で教師の妻との間に小さな娘が一人いる。昨年秋まで市内の小学校に学習指導員として勤務していた。十一月には、シェザード・タンウイア容疑者とともにパキスタン・カラチに出かけている。イスラム教の学校に入り、過激思想に影響を受けた、と報道された。(パキスタン側は、「今のところ形跡なし」、としている。)家族によると、「優しくて、思いやりのある」人物だった。
同じくリーズ市で生まれ育ったパキスタン系英国人のハシブ・ミル・フセイン容疑者(十八歳)は、〇三年七月に中等教育を終了し、親戚を訪ねるためにパキスタンを訪問。イスラム教徒の巡礼地メッカも訪れた後、ひげをはやしイスラム教徒特有のローブを着るようになったという。敬虔なイスラム教徒になったにも関わらず、〇四年、万引きで逮捕されている。同年秋には再度パキスタンへ。家族によると、容疑者は「愛情あふれる、普通の若者だった」「もしテロを実行することが分かっていたら、全力で止めていただろう」。
三人目のパキスタン系英国人シェザード・タンウイア容疑者(二十二歳)もリーズ市育ち。フセイン容疑者の友人で、リーズ・メトロポリタン大学でスポーツ科学を専攻し、クリケットや武道が趣味だった。容疑者の叔父の証言では、「英国人であることを誇りに思っていた」、「親切で落ち着いた性格だった」。
四人の中で唯一英国以外で生まれたのがジャーメイン・リンジー容疑者(十九歳)。ジャマイカ生まれだが十三歳から十六歳までをウエストヨークシャー州のハダスフィールドで過ごした。ジャマール・リンジーと名前を変え、イスラム教徒に改宗。事件発生後、容疑者の妻は、「あのような恐ろしい出来事に関わっているとは全く知らなかった」「愛情あふれる夫だった」と述べている。
―背景
何故「愛情あふれる」「普通の青年」たちが、テロ犯になったのか?
家族や知人らの証言によると、青年たちは、暴力を含む聖戦を呼びかけるイスラム教過激派のモスク(イスラム教の礼拝所)に通い、米国主導の「テロの戦争」をイスラム教徒に対する攻撃と感じていたようだ。
国際テロ組織アルカイダと今回のテロとの直接の関連は証明されていない。しかし、英専門家らによると、アルカイダはテロ実行には直接関わらず、一種のインスピレーションとして世界中のイスラム教徒の若者に影響を与える存在になっており、自爆テロ自体がカルトになっている。英国の地方都市に住んでいた今回の四人もこうした影響を受けていた、と見られている。
また、移民第二世代のパキスタン系英国人であることからくる、疎外感も一つのきっかけになったのではないかと言われている。青年達の親は移民第一世代で、生活の向上を目指して英国にやってきた。一生懸命働き、家庭を作り、自分たちの居場所を作ったが、第二世代の若者たちは、英国が母国。目的意識が親の世代に比べて希薄であるといわれる。親の世代が維持するパキスタン社会の価値観と、コミュニティーの外の英社会の価値観との間でギャップを感じていた、と指摘された。
英国の全人口約六千万人の中で、イスラム教徒は約百六十万人。二〇〇一年の国勢調査によると、六十一万人がパキスタン系、二十万人がバングラディシュ系、十六万人がインド系で、南アジア系だけで約半分となる。(残りの三十五万人が中東、アフリカ系で、三十五万人が中国を含むそのほかの国々。)
一般的にイスラム系移民の教育程度は非イスラム系国民より低く、失業率は高い。二〇〇一―二〇〇二年の失業率調査を人種別に見ると、白人の失業率は四・七%だったが、パキスタン系は十六・一%。十六歳から二十四歳の若者だけを対象にすると、白人では十・九%だが、パキスタン系は二十四・九%、バングラデシュ系では三十六・九%だった。
四人の青年達自身は比較的高い教育を受けていたものの、自分たちのコミュニティーの中の友人、知人らの処遇を見て、社会全体に対して何らかの否定的な感情を育んだ可能性もある。
―若者ひきつけるイスラム教過激団体
若者たちは、何故過激思想を持つイスラム教団体に惹かれるのだろうか?
左派系週刊誌「ニュー・ステーツマン」七月十八日号は、英国で育った若いイスラム教徒が伝統的なイスラム教の教えに違和感を覚えている点をその理由としてあげている。コーランを丸暗記することへの不満もあるという。また、イマーム(礼拝を取り行うイスラム教の導師)は海外から呼ばれてくるために、英語が話せないことが多く、意思疎通が十分にできないばかりか、英国社会のイスラム教徒の実態を把握していないと指摘されている。年長のイスラム教徒たちが若者の気持ちを汲み取れていない、という世代間のギャップの問題もある。
こうした若者たちの心の隙に入り込むのが、過激派団体だ。メンバーは若者たちに英語で語りかけ、イスラム教の伝統衣装の着用や、一日に五回の祈りなどを強制しない。礼拝の集会もモスク以外の場所で行うなど、親しみやすい形でアプローチするようだ。
フランスのイスラム教運動の専門家オリビエ・ロワ氏は、七月十三日付けのフィナンシャル・タイムズ紙で、移民第二世代のアイデンティティーに注目している。
「親の国の文化には親近感を覚えず、かつ西洋に行けばよい暮らしがあるという期待は打ち砕かれ、一体自分たちは何者なのか?と悩む移民二世の若者たちにとって、宗教というキーワードで世界に意味づけを与えようとするイスラム教の過激派グループの考え方が魅力的に映る」という。
若者たちは、「アフガニスタンやイラクで命を落とすイスラム教徒の同胞の姿をテレビやインターネットの画像で見ながら、怒りや痛みを共有してゆく。ウエブサイトやネットのチャットルームを通して、世界に共通のイスラム・コミュニティーに参加し、過激思想に染まっていく」。
―イスラム教徒が攻撃のターゲットに
七月七日のテロ発生以降、イスラム教徒や南アジア系移民に対する人々の視線は変わりつつある。テロ後の三週間で、宗教的憎悪を理由とした犯罪が二百六十九件報告された。前年の同時期は四十件で、大幅増加となった。
犠牲者はなかったものの七月二十一日にも同様の爆破テロの試みがあった。逮捕者の出身は現在分かっているだけでもソマリア、エチオピアなどで英国生まれではなかったが、肌の浅黒いアジア系、アフリカ系の容貌の男性達だった。
この結果、当局は、イスラム教徒と見られるアジア系の男性を事実上ターゲットにして駅構内や路上での職務質問を行っている。内務省は「イスラム教徒やアジア人をターゲットにしているのではない。差別的な取調べをしないようにしている」とするものの、現実にはロンドン市内に出ると、警察官が声をかけるのは大きな荷物を持ったアジア系の男性たちばかりだ。
ロンドン警視庁の副長官タリク・ガフール氏は、八月二日、BBCの取材に対し、「『ターゲットにされている』と受けとめるイスラム系住民が増えている。特に、若いイスラム教徒の青年の間で、怒りが強い」と述べている。
ー政府の対応
ブレア英首相は、最初のテロ発生から三時間後のスピーチで、、英国ムスリム評議会によるテロを非難する声明を歓迎し、「テロ犯はイスラム教の名前を使うかもしれないが、国内のそして海外に住むイスラム教徒の大部分は、私達同様、このテロを憎悪している」と続けた。イスラム教徒のコミュニティーに疎外感を感じさせないような言葉遣いが首相のスピーチの定番となり、イスラム教団体の代表たちとの対話の機会も設けた。
しかし、日増しに、イスラム教徒の市民たちの違和感、疎外感が増大しているのが現状だ。
八月上旬、ブレア首相は、「英国の寛容精神は少人数の宗教的狂信者たちに悪用されてきた」として、人種及び宗教に関わる憎悪を生み出すような動きを厳しく取り締まることを宣言した。新反テロ法を策定するほか、テロを扇動するような言動を行ったり、暴力を賞賛するウエブサイトや書店を運営する在英外国人の国外退去の実行、既にオランダやドイツで活動が禁止されている「ヒズブタフリール」を初めとするイスラム教の過激思想集団の非合法化などを発表した。
ヒズブタフリールは会見を開き、平和的な政治運動に従事していると反論。グループの活動が禁止となれば、合法なイスラム教の政治的議論を抑制することになる、と主張した。
これまでブレア政権と歩調を合わせ過激主義思想の排除に協力してきた英国ムスリム評議会も、声明文の中で、ヒズブタフリールの政治手法に同意はしないが、非暴力組織であり、この団体を非合法化することは「何の問題の解決にもならない」としている。様々な意見が表明されているのが民主主義の基本であることを忘れないようにしてほしい、とも続けている。
新反テロ法や過激団体の非合法化の実行には時間がかかると見られているが、インターネットが過激主義思想を伝える主要媒体となっている現在、物理的に危険人物を取り除いたり会合を禁止することがどこまで効率的なテロ撲滅策となるのか、という根本的問題も指摘されている。
一方、七月七日の爆破テロ発生から二ヶ月近くが経ち、警察当局に対する国民の信頼感は揺らぎだしている。
きっかけは、七月末、ブラジル人男性が警官に誤って射殺された事件だった。この男性は、「テロに直接関係ある人物」と当初発表されたが、後日無実だったことが判明した。「警察苦情処理調査委員会」が経緯を調査中だが、十分な根拠がなく男性を射殺したのではないか、自爆テロを行う疑いのある者はその場で射殺するという方針は間違っているのではないか、などの批判が、連日のように報道されている。
国内最大のイスラム教徒の団体、英国ムスリム評議会も窮地にある。BBCは八月二十一日、ドキュメンタリー番組「パノラマ」で、評議会がその傘下にある団体や国内のイスラム教学者たちの過激思想の流布に対し何もしていない、と批判した最新作「リーダーシップの疑問」を放映した。評議会は、番組内容が「偏見に満ちている」「魔女狩りだ」と反論したが、BBC側は「偏見はない」としている。「パノラマ」は質の高い時事ドキュメンタリー番組として高く評価されており、その発言内容は世論形成に一定の影響力を持つ。今回の番組は評議会批判でありイスラム教徒全体の批判ではなかったが、イスラム系コミュニティーに対する非イスラム系国民の視線が、今後さらに厳しくなるだろうことを予感させた。