イラクのこれから
(以下、若干追加します。26日午後5時)
イラクから英軍がいつ撤退するのか、それは来年の5月頃らしく(英オブザーバー紙25日付け)、予定策定が進んでいる、といった報道を、ロイターや産経、読売などで見た(ヤフー・ジャパンより)。それに関し、ブレア首相が、26日のBBCテレビで「いつとは決まっていない」というようなことを言ったようだ。
本当はどうなのか?
オブザーバーのスクープ(=真実)という可能性はあるし、「いくつかあるプランの中の1つ」というケースもあるようにも、思う。(何も考えていない、策定していないわけがない、というのが常識と見たほうが正しいだろうから。イラク戦争の時も、開戦するには、戦車、人、物資を動かすわけだから、実際に動き出すXデーがあったであろうし。すぐには全部動かせないので、数ヶ月前に決めていた「はず」・・・・。)
繰り返しになるが、「いくつものプランをいろいろなレベルで考えている」という要素も、私自身は心に留めていたいと思う。以前にも、何度か撤退時期が噂され、報道されてきたので。(つまり、全ての報道=いくばくかの真実)
新聞には新聞の事情もあり(後で間違ってもいいから、とにかく先に出したいーー英国の場合)、また「そのときは正しかったんだけど、後で事情が変わった」という展開もある。
ーー以上追加分終わり。---
雑感になるが・・・・。
日曜日(25日)の朝の政治・時事番組(黒岩さんというキャスターの方がいらしたと思う)だったと思うが、この中で、イラクの自衛隊を引き上げることについての質問に、政府高官らしい人が答えていた。12月に現在の派遣の基礎となる法律の期限が切れるので、これをどうするか?と。(他のことをやりながら見ていたので、恐縮だが、この高官の名前を記憶していないのだが。)構図として、キャスター・ジャーナリストが、政府高官を問いただす、論理のつじつまがあわないような部分をつく・・といった感じだったように思う。それに対し、高官がやや苦しそうに答えていたように記憶している。
見ていて、高官はつらいだろうな、と思った。日本の意向だけでは決められないのだから。英国でさえも、イラク駐留の英軍の規模縮小及びいつ撤収させるか、に関して、自国では決められない、という状況があると思う。つまり、決めるのは米国だ。日本政府の高官が、「(いつ撤収させるか)そんなこと、知らない。分かるわけないだろう。アメリカに聞いてくれ」というのが、本当は一番正直な答えになるのかもしれない。
BBCオンラインによると、ブレア英首相は、「イラク政府が望む限り、英軍はイラク駐留をする」と述べているそうである。http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4279618.stm (約30分ほど前のニュース)
一方、21日ごろ、英南部バスラで英国人二人がイラク人警察らに捕まり、後に拘留されていた刑務所を、英軍の装甲車が攻撃。150人の受刑者が逃げた、数人が負傷・・・という項目を書いた。装甲車も攻撃にあい、火だるまになったような英兵の一人が、装甲車から飛び出して逃げ出す様子がカラー写真で世界に報道された。
そこで、事件のもともとの部分、つまり英人二人が何をしていたのか?を疑問に思っていたが、日刊ベリタwww.nikkanberita.comで、斎藤力二郎さんという、アラビア語ネットを専門にチェックしている人が、その「真相」を報じている。
以下はその一部抜粋(無料掲載部分。ベリタは購読システムをとる)
2005年09月22日掲載
英人秘密工作員2人が巡礼者に発砲 マハディー軍の警官が拘束
【東京22日=齊藤力二朗】日本のメディアは詳しい報道を行っていないが、イラクでは今、英国人2人が一時拘束される事件が発生、関心を集めている。21日付のイラク・パトロールが信頼できる筋から得た情報として、バスラで起きた同事件の真相を報じた。
ーーー
残念ながら内容は有料購読者のみへの公開になるが、ここで明らかになったのは、この英国人二人が、イラクの対立するシーア派とスンニ派の亀裂を深くするために、何らかの工作をしていた、という疑いだ。
つまり、わざと、紛争を起こさせ、いつまでも暴動が治まらないようにして、結局はイラク政府が、英米軍の駐留をいつまでもお願いする、といった形を仕組んでいる、というものだ。
これを信じるか、信じないか?
2003年のイラク戦争の開始直後のあたり、米政府高官らが、「イラクには必要とされるだけ、いる。10年、20年、30年・・・」といっていたのを思い出す。事態をあおるわけではないが、「わざと紛争を引き起こしている、分断を大きくしている」という説をいちがいに否定もできない気がしている。