小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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「ブログ 世界を変える 個人メディア」のダン・ギルモア氏が来日


「お金を稼げないなら、何故ブログジャーナリズムをやるのか?」

 米国のネット業界、ブログのことに詳しい人なら超有名らしい米国のジャーナリスト、ダン・ギルモア氏が、今日本に来ている。

 26日の夜、銀座のビルで、氏の、We the Media という本の邦訳版「ブログ 世界を変える 個人メディア」(朝日新聞社)の出版を記念して、セミナー・トークのイベントが開かれた。

 ギルモア氏は1951年生まれ。94年から2004年までシリコンバレーのサンノゼ・マーキュリー・ニュース紙でコラムニストを務める。この本によれば、「ブログ用ソフトを開発した会社が、グーグルに買収される話をスクープして話題を振りまき、重要なネット関係の会議でも常にジャーナリストの代表として講演するなど、いまやブログの世界では欠かせない存在」ということである。

 「ネットは新聞を殺すかブログ」の湯川鶴章氏が司会。(いきなり、「時間があまりないので、英語だけで行きましょう」というのには、驚いた。いまどきのITの使い手たちは、英語がすごいんだなあ・・・と思う。しかし、ちゃんと適宜翻訳してくださった。隣では、ラップトップをカタカタとたたく音が。ビデオで撮る人も。果たしてどれぐらい早く、アップされたのだろうか?)

 ギルモア氏は、長身でやや銀髪。穏やかな感じの方だった。

 
以下はそのときの様子の抜粋。

 「マーキュリー・ニュースにコラムは今は書いていないが、今もジャーナリスト。ファイナンシャルタイムズにも月2回ほど書いている。

 既存マスコミとブログは協力していければ、と思う。1つのエコ・システムとして捕らえている。このエコ・システムの中に、既存の大手メディアもあれば、市民ジャーナリズムある、というような。

 グラス・ルーツのジャーナリズムが育つように、サンフランシスコのベイエリアを中心としたニュースなどを扱うサイトを運営している。

 以前、(無責任なコメントを残すような)人がいたので、ここでは、正規のメールアドレスを登録した人のみがコメントを残せるようになっている。結果的に、質が高くなったと思う。ここで市民ジャーナリストになりたい人は、きちんと振舞うことを約束することになっている。そして、記事が正確であり、フェアであり、バイアスがかかっていないようにする。他のサイトもこうしなさい、というのでなく、私はこれをやる、ということだ。私の運営の仕方が気に入らない人は、他のサイト・ブログに行けばいいのだから。

韓国のオーマイニュースと違うのは、オーマイニュースのような編集チームがいないことだ。米国の法律制度の下では、もし私が投稿された記事に手を入れると、私がその記事の責任を負うことになる。場合によっては、法に訴えられるのが私になる可能性もある。だから、編集はしない。自分で考えて投稿してもらう。

 ブログで書かれていることの信頼性に関して質問が出たが、私は、自分のブログに出た内容の信頼性を保障したりはしない。つまり、既存マスコミの場合もそうだが、すべてにおいて、人は自分が読むこと、聞くこと、に関して、それが信頼性に足るものかどうかを、自分自身で判断するべきだ、と思うからだ。
 
 ニューヨークタイムズを手にするとき、私は、新聞の中に信念、ケアがこめられていると思う。NYタイムズでは、ブレア記者による偽造事件、イラク戦争での(偏向報道)など、いろいろ恥ずかしいこともあったが、それでも、正確さを保とう、という気持ちがあると思う。

 とにかく、何が正しいのかを自分で判断することだ。すべてのメディアに対して、疑りぶかさをもって接すること。読者は、もっとアクティブにメディア報道に接するべきだと思う。

 ブログはジャーナリズムか?ジャーナリズムでなくてもいいと思う。いろいろ、楽しい内容のものなど、様々なバラエティーがあって、いい。でも、ブログの内容がジャーナリズムであった時は、通常、ジャーナリズムにあるべき原理が適用されると思う。例えば、内容が正確であること、フェアであること、事実がチェックされていることなど、だ。

 ブログ・ジャーナリズムには大きなポテンシャルもある。通常のメディアがカバーしきれない部分を追うことができる。ジャーナリストで、自分が担当の分野のブログを読んだことがない人は、情報を逃していると思う。

 5年後は、ブログが雑誌を追い越しているか?1つ1つのブログが雑誌だとすれば、そういう意味では、量的にそうなることもあるかもしれないが。

 ブログの現象を考えるとき、ネットユーザーの中のトップグループにいる人たちのことばかりでなく、その下にいるいくつものブログのことを考えて欲しい。たとえば、15人の読者しかいないブログでも、その人たちにとってものすごく切実で、非常に熱心に読まれているとすれば、人気があって(読者の数が多い)ブログよりも、情報の価値が高いと思う。

 ブログはコミュニケーション、人間の声、会話、という面がある。ますますこうした部分は重要になってくると思う。

 しかし、広告がどっちにいくかというと、話は別だ。雑誌は広告主にとって、大きなビジネスになっている。

 既存メディアは生き残るだろう。ジャーナリズムには大きな役割がある。ジャーナリストは競争をするものだし。

 しかし、ビジネスとして生き残っていけるのか?これに懸念を持つ。持続していけるのか?米国では特に、新聞や雑誌は広告でなりたっている。

 例えばアメリカの新聞はクラシファイド・アドが大きな収入源となってきたが、これが減ってきている。例えば、イーベイなどに流れている。こうした会社は、お金がベンチャーキャピタルから出ている。そして、プロフィット・マージンが小さくてもやっている。

 新聞は、ビジネスモデルの危機に瀕していると思う。

 テレビも広告で成り立つが、自分はコマーシャルをカットして見ている。

 結局、既存メディアが生き残れるのか?

 分からない。しかし、ジャーナリズムは市民社会の中で、民主主義を実行するために必要なのだ。

 (質問:パブリックジャーナリズムは日本で成功するか?会場からの声:成功しない。例えば記者クラブがあるから。情報をとれないだろう。)

 記者クラブ制度が特に妨げになっているとは思わない。ある種の情報は記者クラブなど既存のグループに入っていないと書けないかもしれないが。しかし、使わなくても、情報はとれる。

 (ジャーナリズムとは?)
 特に定義のあるものではない。一般的には、ニュースだ。しかし、有名人のゴシップも、広い意味ではジャーナリズムだと思う。

 分析もジャーナリズムだと思う。

 しかし、自分で実際にレポートすること、聞いたことや読んだことだけでないのが一番だと思う。しかし、これだけ、というわけではないが。

 7月7日のロンドンテロを思い出して欲しい。地下鉄車内の様子は世界中で放映された。カメラ付き携帯があったから、そのときだけ、ジャーナリストになれた。ツールがあるからこうしたことができるようになった。

 (ブログでジャーナリズムをやるとき、お金を稼ぐのがむずかしいのではないか?)

 ブログのジャーナリズムで、お金を稼げないからだめ、とは思わない。生計を立てるという部分と、書いたものがジャーナリズムかどうかは、別。書いたものの中で、あるものはお金を稼げるだろうし、あるものは稼げない。しかし、大部分は稼げないだろう。お金を稼ぐからあるいは稼がないから、ジャーナリズムである、ないという考えには危険性があると思う。

(お金を稼げないなら、何故ブログジャーナリズムをやるのか?)
 よりよい市民になるため、とでも言っておこうか。私たちみんな、お金を稼がなくてもやることは、一杯あると思う。

 ブログには様々なコメントがくる。時々、こちらに挑戦してくるようなコメントも。事実の間違いを指摘してくれたり。今まで、こっちの間違いを指摘してくれるようなコメントからのほうが、ブログのことを誉めてくれる人よりも、多くを学んだ。私が間違っている、といってくるような人から、最も学んだと思う。

by polimediauk | 2005-09-27 01:29 | ネット業界