オランダ ゴッホ事件を追う 「移民」の側面から
凝縮された状況がオランダに
ロンドン・テロから3ヶ月。最近もインドネシア・バリでテロが起きた。ニューヨークでもテロが近く起きるのではないか、と言われている。
今のところ、一連のテロはイスラム過激派あるいは過激思想に影響された青年たちが起こした、と言われている。
(写真はテオ・ファン・ゴッホ監督 BBCオンライン・AP)
欧州でイスラム過激派が起こしたテロ、というと、私の心で引っかかるのは、オランダで1年前の11月に起きた、映画監テオ・ファン・ゴッホ氏のイスラム教徒の青年による暗殺だ。この青年は「イスラム教の名の下で」ゴッホ氏を殺害しているので、オランダ国内の、それ以前からあったイスラム教徒の移民への(そして移民全体への)忌み嫌う感情に拍車をかける状況が起きた。こうした感情は、1年後の現在でも、弱まるどころか、強くなっているようだ。
欧州の中での、主にキリスト教系市民とイスラム教系移民(「イスラム」というより、はっきり言えば、「肌のやや茶色の人」というのが、本当は本音に近いのではないか、と指摘する人もいるようだが)の心理的衝突、居心地の悪さ感が、凝縮されているのがオランダのケースである気がしてならない。
近く、またオランダに行ってみようと思っているが、その前に、何回かに分けて、ゴッホ監督殺害事件とオランダの移民に関して「世界」10月号に書いたルポ記事をここに出してみたいと思う。以前、「新聞研究」に表現の自由をテーマにして書いたが、今回は「移民」という部分に焦点をあてた。取材期間は今年の5月から7月末。ゴッホ監督とともに殺害のきっかけとなった映画「服従」を作ったプロデューサーのインタビューも加える。
ーイスラム教徒の移民におびえるオランダ
七月のロンドンの爆破テロは、外国からのテロリストではなく、テロリズムとは何の関係もないと思われた地方都市に住む、英国で生まれ育ったイスラム教徒の青年たちが実行したものだった。「隣人がテロリストだった」という状況に直面し、大きな衝撃を受けた英国民だったが、イスラム教徒の移民に対する忌避感情が強く、自国の「不審な隣人」も同様のテロを近く起こすのではないかと危惧する人が多いのが現在のオランダだ。伝統的に異文化・価値観に寛容とされるオランダだが、ことイスラム系移民に関しては、さまざまな不協和音が聞こえてくる。昨年十一月、映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教過激派の男性に殺害されると、「多文化主義の失敗」「移民政策が寛容すぎた」という政治家らの発言が共感を持って受け止められた。オランダの忌避感情の背景とは?
―「異なる存在」としてのスカーフ姿
オランダの政治の中心地ハーグ。中央駅を出て市内を縦横無尽に走る路面電車を待っていると、イスラム教のヘジャブ(スカーフ)をかぶる女性たちが目に付く。年齢は幅広く、スカーフの色や柄も様々だ。通常のブラウスやスカート姿にスカーフをかぶっている女性もいれば、イスラム教徒特有のチューニック風ドレスと組み合わせている場合もある。
電車を待っている人々の人種や肌の色、服装は千差万別で、どれほど派手な格好で立っていようと、誰も特に目を留めないだろう。しかしヘジャブ姿は数が多いために、一種の圧迫感を覚えるほどの存在感がある。
オランダの人口約一六〇〇万人の中で、オランダ以外の国で生まれた人(第1世代)は約十%。両親のうちの少なくとも一人が外国で生まれた人(第二世代)を入れると、移民人口は十九%(約三〇〇万人)に上る。第二世代までも入れた移民人口の中で、非西欧系移民は、全人口の約十%の一六〇万人。この中で、イスラム教徒は約九十五万ほどだが、〇六年には百万を超える、と予測されている。
移民人口の中で多いのが元植民地だったインドネシア(約四十万人)、南米のスリナム共和国(約三十二万人)に加え、オランダの労働力不足を補充するためにやってきたトルコ人(三十五万人)、モロッコ人(三十万人)だ。
ハーグでイスラム系住民が目立つように感じられたのは、大都市になると移民人口が激増するからだ。移民人口はアムステルダムで四十七・八%(このうち非西欧系が三十三・九%)、ロッテルダムは四十四・五%(同三十四・六%)、ハーグは四十三・六%(三十一・二%)、ユトレヒトは三十・三%(二十・四%)となる。(日本で外国人人口が最も高いとされるのが日系ブラジル人が多く住む群馬県の大泉市で、外国人比率は十五%。)
オランダは、従来「柱社会」といわれてきた。これは、異なる価値観を持つ人々がそれぞれ自分たちの空間を維持し、お互いに干渉・対立をせずにいくつもの「柱」として共存する社会で、例えばそれぞれの労働組合に所属し、特定の新聞を読み、特定の学校に通い、公共放送も柱のそれぞれのグループ用に放送時間を分ける、といった形をとる。現在はこうした制度は崩れてきているものの、異なる価値観や人種、信条を持つ人々が隣同士に住むという伝統は、建国当時十七世紀から続いてきた。キリスト教の中でもカルバン派プロテスタントとカトリックの信者が1つの国の中に共存し、古くは十八世紀のフランスからのプロテスタント、二十世紀に入ってはユダヤ人など自国から迫害・追放された人々を受け入れても来た。世界中のあらゆる人と貿易をするためという実利的理由からも「寛容」「リベラル」はオランダ社会のキーワードとなった。
アムステルダム大学に付属する「移住と民族研究所」のアンヤ・ファン・ヒールサム博士によると、「十五年ほど前までは、多文化主義を信じる、と答える人は多かった。しかし、数が増えたので、移民は人々の目に付くようになった。若いイスラム系移民の中には、イスラム教徒であることを意識的に表に出すためにスカーフをかぶる人もいる。これがオランダ人をいらつかせる」。多くのオランダ人のようにビールを楽しんだり、サッカー・クラブに所属したりしない「隣人たち」、スカーフをかぶり自分たちとは異なる服装をする移民たちが、異質な存在として映るようになっていったという。
反感のターゲットになっているのが、一九六〇年代後半から七十年代、オランダ政府が廉価な労働力を求めて連れてきたモロッコやトルコからの移民たちだ。三年間の期間限定で、他のオランダ人がやりたがらないような主にブルーカラーの仕事に従事した。こうした「新移民」たちは「最終的には自分の国に帰っていく人々」であるとして、オランダ語や文化に対する知識を取得することを期待されなかった。規定の労働期間が終了すると、人権団体などが継続した雇用を政府側に要求するようになり、これが認められると移民たちは家族を呼び寄せるようになった。新移民たちはそれぞれ人種ごとに固まって住む傾向があり、本国から結婚相手を呼ぶ確率が九十%近くに上る。現在でも第一世代はオランダ語を十分にマスターできておらず、オランダ社会に溶け込んでいないという政府調査が昨年末発表された。
移民の社会参加を専門に調査してきたファン・ヒールサム氏は、「第一世代は、生活環境が自国にいるときと比べてかなり向上し、オランダに来れて幸せだ、と言っていた。現在では、イスラム教徒とりわけモロッコ人やトルコ人に対する忌避感情や差別が強く、幸せだという人は少ないのではないか」
―映画監督殺人事件
アムステルダムの中心で小さな花屋を開くアリ・シャウケット氏はパキスタン人。イスラム教徒で、一九八七年からアムステルダムに住んでいる。
(シャウケットさん)
シャウケット氏の花屋は、イスラム教徒の女性の処遇を批判した短編「服従」を制作した映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏が、昨年十一月二日、イスラム教徒過激派の男性でモロッコ移民二世のムハンマド・ブイエリ受刑囚(今年七月末、殺人罪で終身刑)の凶弾に倒れた場所からほんの数メートルしか離れていない。
「ほら、あそこで撃たれたんだ」とシャウケット氏が指をさす先は、通りの向かい側だ。撃たれた後、ファン・ゴッホ氏は通りを渡ったものの、続いた銃弾に倒れた。さらに喉をかき切られ、事切れたのがシャウケット氏の花屋の隣にある店舗の前だった。
(この店舗の前で最終的に倒れた、といわれている。この写真の右奥にシャウケットさんの花屋がある。自転車で通り過ぎる人が非常に多い。)
「服従」は昨年八月オランダの国営テレビで放映された。十分ほどの短編で、床までの丈の黒いイスラム教の装束「ブルカ」を身にまとった女性が、夫からの暴力、父親の知人からのレイプなどの状況を神への祈りの中で語る。ブルカは通常全身を包み外からは女性の体の線が見えないようになるが、映画の中のブルカは中央部分がシースルーになっており、祈る女性の裸の胸や足部分が透けて見える。ブルカ姿の女性の後ろには白いウエディングドレスを着た女性がいるが、背中にコーランの文字が描かれている。顔には殴られた跡の様な大きな傷がある。ビートの効いた音楽に乗せて、女性を迫害するイスラム教、というメッセージが圧倒的迫力で伝わってくる。
脚本を書いたのはソマリア移民の女性で自称「元イスラム教徒」のアヤーン・ヒルシ・アリ議員だった。以前から「イスラム教の教義は民主主義と合致しない」、「女性は赤ん坊を産む機会として扱われているだけだ」などのイスラム教批判を行ってきた人物だ。
ファン・ゴッホ監督がイスラム教徒の男性によって殺害されると、一種の宗教戦争のような状況が発生した。これまでにもあったイスラム教のモスクや学校に対する放火などの攻撃、逆にキリスト教の教会や学校に対する同様の攻撃が起きた。イスラム教過激派からの殺害予告を相次いで受けたヒルシ・アリ議員は、現在でも警察の厳重警護下にある。
表現の自由が暴力によって封じ込めらた映画監督殺害事件をイスラム教徒のシャウケット氏はどう見ているのか?
「表現の自由といっても、宗教の自由もこの国では保証されている。相手の宗教に対する尊敬の念を持つことが重要だと思う。監督は極端すぎたのだと思う」
しかし、殺害を支持しているわけでない、という。「言いたいことがあったら、直接その人に文句を言うか、新聞に投稿すればいい。それがこの国のやり方だ。また、イスラム教は人殺しを肯定するような宗教ではない。殺害者は、頭が狂っていたとしか思えない」
「オランダには自由がある。アムステルダム市民として、今まで幸福に暮らしてきた」と自負するシャウケット氏だが、「最近は事情が変わってきた」。保守系政府が移民を制限する方針を明確化し、「右化」しているから、という。
シャウケット氏の息子はコンピューター会社に勤務していたが、半年前に会社が倒産。「ずっと職探しをしているが、見つからない。学校も出て、資格もあるのに。理由は分からないが、きっと、移民だからじゃないかな」
(続く)