オランダ ゴッホ事件を追う 「移民」の側面から-2
「以前のような寛容さはもう存在しない」
オランダ第4の都市ユトレヒト。モハメド・シニ氏は一九七〇年代、労働力不足を補うためにオランダ政府が呼んだモロッコ人移民を父親に持つ。ユトレヒト市議会のメンバーで、地域の成人向け教育センターのディレクターの一人だ。
モロッコの商業都市マラケシュで育ち、十五歳でロッテルダムに両親と一緒にやってきた。
ユトレヒト大学で経営学の修士号を取得して市議になったシニ氏は、モロッコ移民の中でも成功者の一人。都市生活には慣れていたので、西欧文化の中で生きていくことは苦にならなかったという。
シニ氏が、イスラム系移民に対する反感が広まっていくのを感じたのは一九九〇年代後半。二〇〇四年まで欧州委員会委員だったフリッツ・ボルケスタイン氏が多文化主義の失敗やイスラム教に対する否定的な発言を表明するにようになった頃だ。
二〇〇一年五月、先住オランダ人たちとの間の軋みが大きく表面化した。ロッテルダムに住むモロッコ人のイマーム(イスラム教の導師)のエル・モウムニ氏が、「同性愛者は病気だ」と発言したのだ。オランダのリベラルな価値観に対する挑戦と受け取った社会の大部分がこの発言に反発。一方、イスラム教徒のコミュニティーの中ではイマームの主張は広く支持され、これがさらに反発を招いた。公的場所や働く場所でのイスラム教徒の女性のスカーフの着用を許容するべきかどうかなどに関して議論が沸騰するきっかけともなる事件だった。
九月十一日、米国大規模テロが発生する。オランダの他の知識人同様、シニ氏もイスラム系市民に対する視線が厳しくなったと感じたという。「社会の寛容度が少なくなった。もはや、〇一年以前のオランダには戻れないと思う」
ー移民に対する思いを汲み取る政党
(故ピム・フォルトゥイン氏。BBCオンライン・AP)
同じ頃、反イスラム系移民の立場から急激に人々の支持を得るようになったのが同性愛者で元社会学の教授ピム・フォルトゥイン氏だった。増える犯罪や高失業率と移民問題とを結びつけて厳しい移民規制を訴え、二〇〇二年三月、氏の率いた政党がロッテルダム市議会選挙で圧勝した。
人種や宗教、価値観の違いなどで人を差別してはいけないとする憲法、長年続いていた柱社会の伝統から、たとえ異なる価値観の相手に対して違和感・不満感を抱いていても表立っては批判しない暗黙の了解があったオランダ社会で、「言えなかったことを言ってくれた」のがフォルトゥイン氏だった。
総選挙の数日前の二〇〇二年五月六日、フォルトゥイン氏は白人の動物愛護家に暗殺されてしまったが、現にオランダに住んでいる移民たちを追い出すのではなく、「新規移民流入の規制」を表に出した氏の政党は選挙の結果、第二党になった。最大野党だった中道右派のキリスト教民主勢力(CDA)が第一党になり、フォルトゥイン党は新連立政権にも参加。のち、党内の内紛がもとで連立政権は解消した。
フォルトゥイン氏亡き後も、オランダの政治には氏の主張が影を落とす。殆どの政党は移民に対する規制策を表に出している。現政権も、二万六千人に上る難民申請者の自国への送還方針を発表し、二〇〇七年から、移民を希望する人々は移住前にオランダ語や文化の知識に関する試験に合格することを課すこと、オランダ社会の価値観を理解するイマームを育成するための大学のコースの開始などを決定している。
前述のファン・ヒールサム博士によると、六十%のオランダ人が反外国人感情を抱くという調査結果がある一方で、異なる人種間の結婚も次第に増えており「2つの相反する動きが社会の中に存在する」という。
ユトレヒト市議のシニ氏も、マスコミ、政治家など「エリートの現実」と「一般の人々の現実」には開きがある、と指摘する。しかし、国民をリードする立場にある政治家たちの中で、イスラム系移民に対する否定的な声が強く、これが一般市民の考え方にも大きな影響を及ぼすことを懸念している。「ゴッホ監督が殺害がされたとき、副首相が『我々は今、戦争状態にある』と言った。こうした言葉遣いが、無用の対立を生み出してしまう」
シニ氏は以前にも増して、イスラム系移民と他のオランダ国民とがお互いを知ることの必要性を強く感じている、という。異なる宗教を信じる子供たち同士のスポーツなどを通しての交流の機会を作ることに加え、一年半前からは、政府の主導で設立され、国内のほとんどのイスラム教団体が傘下に入っている団体CMO(Contact Body for Muslims and Government)の代表ともなっている。政府側とイスラム教団体をつなぐ役割をしているのがCMOだが、シニ氏は、「あくまでも双方向からの動き、ダイアローグであるべきだと思う。片方が片方に要求する、という形になってはいけない。先住オランダ人社会もイスラム教徒の市民の方に歩み寄り、イスラム教徒側も近代化にとりくまなければ」
近代社会では男女平等が当然の価値となっているが、「多くのイスラム教徒にとっては、これがなかなか受け入れがたい。しかし、自分の宗教上の価値観と、コミュニティーの外の価値観とが例え違っていても、これを受け入れる努力が必要だ」 (続く)