小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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オランダ ゴッホ事件を追う 「移民」の側面から-3


「自分の価値観で相手を判断しないようにしている」

 (前回:オランダ第4の都市ユトレヒトの市議会メンバー、モハメド・シニ氏はモロッコ人移民を父親に持つ。オランダ社会の中に、以前のような寛容さはもうなくなったと感じている。今回は、イスラム教市民とそのほかの市民の橋渡し役をやってきた男性の話。)

 モハメド・シニ氏は、1996年に創立された、ハーグにベースを置く非営利団体「イスラムと市民権」の会長も兼任しているが、こちらの方のコーディネーター兼事務局長として働いているのがヤシン・ハルトグ氏だ。

 「イスラムと市民権」は、政府側とイスラム教団体をつなぐ役割をする組織CMO(Contact Body for Muslims and Government)の事務局ともなっており、ハルトグ氏はイスラム系市民と非イスラム系市民の橋渡し的仕事を長年やってきた。

 ハルトグ氏は白人の先住オランダ人。十年ほど前にイスラム教徒になった。「多くのオランダ人はクリスマスの時にだけキリスト教徒になる、と言われている。自分もそんな一人だった」。実際には無宗教だったというハルトグ氏はイスラム教徒の友人と知り合うことで、初めて安らぎを感じる信仰にめぐり合えるように思ったという。

 政府の二〇〇二年の統計によれば、十八歳以上のオランダ人口の中で、キリスト教信者と答えた人は五十二%だが、四十%は無宗教と答えている。イスラム教徒と答えたのは五・五%だった。

 国民の半数が信者として挙げたキリスト教だが、実際に定期的に教会に足を運ぶ人の割合は少ないと言われている。

 宗教の存在が形骸化しつつあるオランダで、「生活の中心に宗教が存在し、活発な活動を続けているのが移民たち」とハルトグ氏は指摘する。特定の宗教に強い帰属感を持たないオランダ国民が、宗教を重要視する移民たちに対して違和感や一種の嫉妬を感じる状況がある、という。

 寛容精神が揺らいでいる、という批判に関し、ハルトグ氏は、「オランダの『寛容』とは、世界中と貿易をするための、ビジネスの原理としての伝統だった」と前置きした後で、「寛容という言葉には、ヒエラルキーがある。つまり、寛容する側の自分は、高い位置にいる。低い位置にいる相手を我慢して認める、というニュアンスがある」。さらに、「寛容にも一定の限界がある。相手が自分にある線を越えて近づいてしまうと、壊れる、という面があるのではないか」

 イスラム系市民と他の市民との連携を促進するのがハルトグ氏の仕事だが、両者の視点がそれぞれ理解できるだけに、「片方の側の主張に対する価値判断は、一旦延期して」物事の解決にあたるようにしている、という。

 「自分の価値に照らして、あることがこうあるべきだと判断すると、異なる文化の間で優劣を作る。それよりも今は、共通の価値観を共有するのが重要だと思っている」。

 映画監督殺害事件以降、これまでに関わってきた作業が「一度にほぼゼロに戻った」と感じているハルトグ氏は、この秋から、新たな就職口を探す予定だという。「イスラム系市民に対する先住オランダ国民の忌避感の強さに、少々疲れきった」

―オランダ人としての自分

 オランダで最も非西洋系移民の比率が高いのがロッテルダム。エインハイド中学校はロッテルダム駅から路面電車で十分ほどの場所にある。

 オランダには一九八〇年代半ばからイスラム教の小学校の設立が始まり、現在は三十数校の小中学校がある。私立だが、全てオランダ政府の資金で運営されている。

 憲法は政治と宗教の分離を明示しているが、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教あるいはそのほかの信仰に基づく団体が教育施設を維持する場合は、全国共通の教育課程を教えている限り、私立といえども運営資金を政府が賄う。この共通教育課程に沿った授業を行うため、イスラム教の学校でも、日々のスケジュールはキリスト教系学校と実はあまり変わらない。

 最寄の駅で待っていてくれたのはエインハイド中学校のディレクター、メーメット・アクブルト氏だ。学校までの道を歩き出すと、丁度下校時にあたり、少年少女たちがそれぞれに逆方向に歩いていく。男子生徒はTシャツにアノラック、ジーンズといった格好で、女生徒のほとんどは思い思いの色のスカーフをかぶっている。スカーフの色と下に着るシャツの色をコーディネートしたりなど、重ね着のファッションを心から楽しんでいるように見えた。

 アクブルト氏は現在四十五歳。トルコから両親に連れられて、オランダにやってきたのは十五歳の時だった。ロッテルダムに長年住んでおり、トルコ人の妻との間に子供が五人。当初はビジネスマンだったが、一九八七年ごろからイスラム教の小学校の設立に関わるようになり、現在はこの中学で働く。

 「私の両親のような移民の第一世代は、いつかは本国に帰る、という気持ちがあったと思う。第二世代の私たちにとって、オランダが本国。オランダとともに生きることを望んでいる」

 アクブルト氏にとって、まず最初に来るのが自分はオランダ人であるということ、次にイスラム教徒で、三番目に来るのが、トルコで生まれたのでトルコ人だという。「オランダでは、まず『イスラム教徒』次に『トルコ人』として見られる」

 「イスラム教徒であるというだけで、映画監督殺人事件や中東問題と結びつけられてしまうのがいやだ」という。「世界のキリスト教徒の国で問題が起きても、オランダのキリスト教徒は関連があるとは言われないのに」

 昨年来、オランダのリベラルな価値観、社会の自由度がけん制されているのではないか?と聞くと、アクブルト氏は「西欧人が十分にオープンだとは思っていない」という。「西欧社会は異なる価値に対してオープンだ、とよく言われる。しかし、西欧・オランダは、『オープンである』という概念が好きなだけなのであって、実際にはオープンではないと思う」

 アクブルト氏は、一例としてロッテルダムの白人オランダ人が多く住む場所に引っ越したときのエピソードを話してくれた。「私の皮膚は浅黒く、人種も違う。妻もイスラム教徒で、体の線が露にならない格好をしている。引越しの挨拶で近所を回ったときのことだ」。

 一軒目のドアをノックすると、中の住人がドアを少しだけ開けて、「何か?」と聞く。「近所に引っ越してきました」というと、すぐドアは閉まったという。二軒目の人は、ドアを開けず、窓からアクブルト夫妻を眺めるだけだった。三軒目は、外に出てきたものの、ドアを後ろに閉め、外で夫妻に用件を聞いた。「私たちは部外者なんだな、と思った。白人のオランダ人が私の家にやってきたら、すぐに家に招き入れるのに」

 ロッテルダム市の教育委員会の調査によれば、一九九八年で移民の小学生の比率は五十八%。これが二〇〇〇年には六十八%になった。現在では、もっと増えているだろう。「これが現実。目をつぶっているわけにはいかない」とアクブルト氏。

 「ロッテルダムでは移民たちは過半数になりつつある。私たちが少数民族、『小さな人』だったとき、先住のオランダ人は『大きな人』だった。段々『大きな人』になりつつある移民たちの存在を、オランダ人はどうするのか?」

 オランダ政府は移民が社会に「インテグレート・統合」してゆくことを推奨している。アクブルト氏はこの点にも疑問の目を向ける。「本当は、『同化』させたいのでないか?『統合』という言葉を使っているだけなのでは?ダブル・スタンダードだ」。

 「先住のオランダ人自身も価値観を変える心構えが必要だと思う」。アクブルト氏によれば、非移民の文化・価値観に移民側が合わせることを当然とする考え方は「欧州(自国文化)中心主義だ」。

 テオ・フォン・ゴッホ監督殺害のきっかけとなったと言われる短編映画「服従」のプロデューサー、ハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏は、オランダの多文化主義は一種の幻想であるとして、「既存のオランダの法体系に、例えばイスラム教の法体系を組み込むほどには、国民は準備ができていない」と、分析する。「寛容の名の下に、衝突を避けてきたのがオランダ社会だった」
 (続く)
by polimediauk | 2005-10-10 09:05 | 欧州表現の自由