オランダ ゴッホ事件を追う 「移民」の側面から インタビュー1
「オランダ人にそれほど深い寛容精神があったとは思えない」
オランダの映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がモッロコ系移民でイスラム教徒の青年に殺害されてから、来月で1年になる。イスラム系市民への視線は依然として厳しい。
今回から、何回かに分けて、今年5月から7月中旬までに、オランダの各都市で行ったインタビューを載せてゆきたい。インタビューは、「新聞研究」7月号と「世界」10月号の記事執筆のために行われたものである。
また、忘れないうちに紹介しておきたいのが、殺害事件の1つのきっかけになったといわれる、故ファン・ゴッホ監督の「服従」という短編映画のクリップである。まず短いクリップと意見が残せるようになっているのが以下のアドレスで。
http://www.ifilm.com/ifilmdetail/2655656?htv=12&htv=12&htv=12
また、全編は以下のアドレスで。
http://ayaanhirsiali.web-log.nl/log/2292608
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(テオ・ファン・ゴッホ監督が殺害された場所の裏手にある、アムステルダム市内の公園)
インタビューの第1回目は、オランダで最大の発行部数を誇る日刊紙「デン・テレグラーフ」のウイレム・クール記者。今年オランダに戻るまではロンドン支局長だった。テオ・ファン・ゴッホ氏とは面識があり、イスラム教批判をしていたファン・ゴッホ氏の擁護派。やや保守・右派的見方をしている人物。
―オランダ国民の間に、移民に対する不満が広がっていると聞く。何故か?
クール氏:移民の人口が増えていることが一因だ。特にオランダの4大都市(アムステルダム、ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒト)では、これから4-5年も経つと、過半数が移民になるだろうといわれている。モロッコ、トルコ、スリナム共和国からの移民が多い。
こうした移民たちの中には、非常に保守的な考えを持つ人々がおり、オランダ国民の多くは懸念を抱いている。例えば特別な衣服に身を包み、ゲイの結婚に否定的で、安楽死も支持していないからだ。先住オランダ国民と移民のオランダ国民との間で、文化の衝突が起きているのだと思う。
大都市に住む人々には、第2次世界大戦が終わってから自分たちが守ってきたもの、作ってきたものを失いたくない、という思いがある。新しい人が来て、自分たちの価値観を壊してしまう。そうなって欲しくない、と思っている。
また、近年やってきた移民たちは、オランダの価値観に十分に適応していない、とも感じている。社会の一部になっていない、と。例えば、モロッコの人などは、モロッコの国籍を失わず、オランダとモロッコの二重国籍になっている。オランダの国民は、「移民としてきたなら、どうして新しい国の国籍にならないのか?」と思う。「どうしてオランダ国民にならないのか?」「家の中で何をしようとそれはその人の勝手だが、オランダ語をどうして上手に話さないのか?何故、良い教育を受けようとしないのか?」
―オランダの「寛容精神」はどうなったのか?
クール氏:オランダ人にそれほど深い寛容精神があったとは思えない。オランダの法律は、国民同士がお互いに良く話すことを基本としていた。しかし、新しい移民たちとオランダの国民たちは話をしない。これが衝突の最大の原因だと思う。
―オランダ政府が、移民と先住民との間の衝突を少なくするために、もっと手を講じる必要があったと思うか?
クール氏;そう思う。
例えば、教育制度にも間違いがあったと思う。モロッコ人の子供であれば、授業でアラビア語が使われる。私はいつもこれに反対してきた。オランダにいるのだから、オランダ語を学ぶべきだ。もしここに住みたいなら。子供はオランダの将来なのだから。
宗教的狂信主義も怖いと思っている。オランダは小さなポケットのような国だし、オランダのほとんどの人は全く宗教的ではないのだから。この点でも文化の大きな衝突が起きている。
―テオ・ファン・ゴッホ監督の殺害後、言論の自由など、国内の雰囲気は変わったと思うか?
クール氏:そう思う。
例えば、昨日(5月中旬)アムステルダムでデモがあった。ゲイの人のデモだった。女性も含めて多くの人が参加をしており、通りかかった人々にキスをしていた。最近、ゲイの人たちが袋叩きにされたり、といった事件が起きていたので、ゲイである自由を守る、という趣旨のデモだった。こういうときに移民は参加していない。
オランダの寛容の文化に、これまでにないほど大きなギャップが起きているのだと思う。寛容精神を保持する人と、こういうデモやゲイを認めない人との間に溝がある。溝があることは、いいことだとは思わない。私は、融合があるべきだと思う。しかし、現時点では、関係がよくなく、今までにないほど、二つのグループが大きく分かれている。それぞれのグループは互いを理解できなくなっている。大都市だけの問題ではなくて、小さな村でも同様だ。人々は、互いに相反するグループの人々を嫌いになっている。これはいい方向ではないと思う。また、政治家たちは、こうした現状をどうしたらいいのか、分からないでいる。
オランダは、移民に対してあまりにも優しすぎたと思う。移民に対して、もっと何かをオランダに提供するよう、求めるべきだった。
もう既にオランダは人で一杯だ。新しい人を入れるよりも、まずここにいる人たちに対して教育をしなければならない。移民達は、オランダ国民であるとはどういうことなのかを学ぶべきだ。オランダの価値観を理解し、オランダを自分の国と思えるように。特にモロッコ系の人はとても貧しいので、教育、トレーニングして、オランダ社会の一員になれるようにする。その後で、また新しい人を入れることを考えるべきだ。
まず最初にここにいる人(移民)を助けるべきで、そうしないと、先住オランダ人と移民たちとの間で社会的、経済的ギャップが存在することになる。移民たちはギャップがあまりにも大きいので、社会に同化できない状態にいる、とファン・ゴッホ監督は考えていたし、多くのオランダ国民もそう考えている。
左派を含むほとんど全ての政党が右化している。左派政党でさえも、(極右派とされ、2002年に暗殺された)ピム・フォルトゥイン氏のようなことを言うようになった。
―フォルトゥイン氏氏は極右派だったと思うか?
クール氏:それほど右だったとは思っていない。移民に対して、オランダから出て行け、とは決して言わなかったからだ。移民たちはここにいていい、と。現在いる移民たちを皆で助けよう、と言ったのだ。すべての不法滞在者を合法にする代わりに、新しい移民は入れない、と。まず今の移民を助けることが大切だ、と。
オランダの歴史を見ると、裕福で、かつては世界の海を支配していた。国民の40%が移民だったこともある。だから移民を恐れているわけではないが、当時の移民はスペイン、フランス、ロシア、ドイツから来ており、良い教育を受けていた。企業に勤めていたり、商売をやっている人たちだった。今、モロッコから来た人々は高い教育を受けていないし、貧しい人々だ。農夫だった人も。大きな違いがある。
―オランダの「リベラル」の考えはどこから来たか?
クール氏:17世紀になると思う。カトリックとプロテスタントが2つの大きな宗派で、両者が協力していく必要があった。これが宗教的寛容の元に。また、オランダ人は貿易業者で、世界中と商売をしていた。様々な異なる価値観の人々とビジネスをしており、お金を儲けることだけに大きな関心を持ってきた。イングランド人とは違う。イングランド人は大きな軍事力があった。オランダ人はお金を儲けることのほうに関心があった。商売の相手が違う価値観を持っていても、構わない、と考えたのだ。
―殺害されたファン・ゴッホ監督に面識があったと聞くが、どんな人物だったのか?
クール氏:自分のテレビ番組を持っていて、コラムを書いてもいた。一個人としては、一緒にいると、すばらしく細かなところにまで気が届く、親切な人物だった。非常に良い教育を受けていた。公的には物議をかもし出すような、挑発的なことを言ったり書いたりした。残酷で、意地悪、人を侮辱することを愛していた。
外国では誤解されていると思う。すばらしい映画をたくさん作った。「服従」もその1つ。この映画は、オランダ文化の水準からいえば、決してやりすぎだとは思わなかった。
反ムスリムと言われたが、イスラム教徒を主人公にした作品も作ったし、モロッコ人に大きな役も与えた。彼のことを反ムスリムとか反モロッコ人というのは、当たっていないと思う。
しかし、イスラム原理主義を嫌いだと言っていた。反女性で、反ゲイで、世界を支配しようとしているからだ、と。私は彼を100%支配する。
私はピム・フォルトゥイン氏も知っていた。(2002年に暗殺されたとき)そのニュースを英BBCのスタジオにいる時に、知った。フォルトゥイン氏の政党の最初の10人の候補者を見ると、他の政党よりも、黒人やイスラム教徒の人の割合が高かった。外国の報道機関は彼を人種差別主義者というが、彼は人種差別主義者ではなかった。全然。
女王の日とか、大きな国民的イベントの日を見ると、かつてはいろいろな人が集まっていたが、今は、多くの人たちが自分のグループの人たちだけで行く。非常に悪い状況だと思う。