小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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by polimediauk

オランダ ゴッホ監督殺害と表現の自由 インタビュー2


「オランダ社会の根幹部分で大きなことが起きているわけでない」「しかし、欧州全体に、少数の、非常に狂信的な人々がいる」

 左派系「フォルクスクラント」紙の元記者で現在は作家のピエール・ヘイボアー氏に、昨年11月のテオ・ファン・ゴッホ氏殺害事件の影響を聞いた。

―モッロコからの移民2世の青年が、イスラム教が女性蔑視だとする短編映画「服従」を作ったゴッホ監督を、「イスラム教の名の下で」殺害した。オランダ社会への影響という点から、これをどう見るか?殺害者が移民の青年だったという点から、オランダの多文化主義政策が失敗した、という人々もいたが。

ヘイボアー氏:監督殺害は、外国の人が思うほどには、オランダ社会の中で重要なことではなかったと思う。外国からすると、そう見えた、と。今回の殺害事件は、この国が過去20年間でやってきたことの、単なる帰結だったと思っている。

 まず、歴史をさかのぼると、オランダが生まれたのは、1600年代だった。元々、7つの地域の共和国だった。当時オランダを支配していたスペインと戦うために結束し、独立戦争を80年間行い、独立した。農業や商業が生活の基盤だった。

 商業が生活様式であるということは、つまり、オランダの歴史、寛容の歴史は、イデオロギーでなく、お金を儲けるためだった、ということだ。

 私はオランダ南部の炭鉱の町に生まれた。父親は炭鉱夫だった。1920-1930年代、ポーランドやチェコ、ドイツから移民が入ってきた。私が生まれ育った町にもこうした移民たちがやってきたが、全く問題なく受け入れられていた。みんな働き者だった。寛容とは関係なく、経済の問題だ。

 今でも、オランダ人はある一定の仕事をしたがらない。それで、南の国からやってきた人がやるようになった。アフリカで劣悪な環境で暮らしてきた人々は、もっと良い環境で暮らしたいという望みがあったし、自分の子供たちがよりよい生活ができるようにと願って、欧州にやってきた。

 インドネシア、スマトラ、などオランダの元の植民地からも移民やって来たが、オランダのパスポートを持っていたから、来ることが容易だった。インドネシアなどから来た人々は、元々ホワイトカラーで、オランダに来て、良い官僚になっていった。問題は、新しい移民、つまり1960年代から70年代、オランダ政府が北アフリカ諸国、例えばモロッコなどから呼び寄せた移民たちだった。

 こうした新移民たちは、オランダ人が通常やりたがらない仕事に従事した。5年働いてから、国に帰り家を買う、というつもりで、どんどんやって来た。

やがて、こうした人々は年をとりオランダに住み着いた。子供ができた。この子供たちが問題となった。第2世代、あるいは3世代の子供たちだ。

―何が問題となったのか?

ヘイボアー氏: 例えば、2-3世代のモロッコの人たちはよい教育を受けておらず、オランダ語も十分でなかった。また、若いモロッコ人たちは、自分たちがモロッコ人であるのか、オランダ人であるのか、分からないままに育った。先住オランダ人のようにフットボールチームに入ってプレーをすると、自分はオランダ人だ、と感じることができても、フットボールをしていないときの自分は誰なのか?と。

 失業率がこうした青年達の間では高く、行き場所がない場合が多くなった。行くあてがなく、良い仕事もオランダ社会では見つけられない、と。そうすると、そのうち、ある瞬間が訪れる。例えば、誰かが、「君はイスラム教徒だ。イスラム教徒であることの意味が分かるか?犠牲者になるな。闘って、勝つんだ」といわれる。そこで間違った方向に進んでいく。

―オランダ政府は、新移民の青年たちが社会にもっと融合するために、もっと何かをするべきだったと思うか?

ヘイボアー氏:そう思う。

―しかし、人々の生活にあれこれと干渉したら、社会は寛容ではなくなるのではないか?

ヘイボアー氏:私は、ただのジャーナリストだ。歴史が過ぎるのを、外から見ているだけだ、

 しかし、オランダ社会は、500年以上も、他の国や他の社会から来た人々や様々な異なる思想を何とか消化してきた。これからもいろいろあるとは思うが、現在問題とされていることも、解決してゆけると思う。

 現在のオランダ社会に怒りをもつ若いモロッコ人たちも、20年も経てば、オランダ人、アムステルダム人になると思う。若者たちが話をしている様子を小耳に挟むと、すっかりアムステルダムのアクセントで話している。希望を持っている。

―監督殺害事件を最初に知って、どう感じたか?

ヘイボアー氏:ひどいことが起きた、と思った。狂人がオランダ映画監督にひどいことをした、と。オランダでは、殺害は頭の狂った人が行った、という解釈になっている。

―しかし、殺人罪で終身刑となったブイエリは、オランダ社会によく溶け込んでいたと聞いている。高い教育も受けていた、と。

ヘイボアー氏:彼の人生の中で、何かが起きたのだと思う。完全に変わってしまう何かが。オランダの情報機関でもその変化のきっかけをつかめていたかどうか?

 いずれにせよ、事件が起きてから、後で批判するのは簡単だ。簡単すぎる。「気づくべきだった」「ああするべきだった」とか。

 最も重要なことは、そして私が確信しているのは、オランダ社会の根幹の部分で大きなことが起きているわけでない、ということだ。

 何が起きているかというと、スペインを含めて多くの欧州の国々で、少数の、非常に狂信的な人々がいる、ということ。こうした人々が狂信的行動に出ようとしている、ということだ。

―欧州でキリスト教とイスラム教との衝突が起きていると見ているか?

ヘイボアー氏:そう思う。しかし、これに関して、自分は何らかの分析や答えを言える人間ではないと思う。

―しかし、この社会に生きていて、こうした衝突を、個人のレベルではどう受け止めているのか?

ヘイボアー氏:本音部分で私が感じているのは、オランダ云々ではなく、何かこの問題に関して発言しようとすると、自分がイスラム教に関して、否定的なことを言ってしまいそうな点だ。

―オランダ人として、それは言いたくない、ということか?

ヘイボアー氏:言いたくない。

 あえて少し言うと、例えば、イスラム世界では、若いイスラム教徒の男の子たちが、学校で授業時間の半分を使って、コーランのことを勉強している。西欧では、90%の学校の時間を使って、子供達は様々な学科を学習をしている。学校の50%の時間でコーランを学習しているイスラムの世界は、遅れを取っていると感じるのではないか。欧州人やキリスト教徒の人たちが前に進み、自分たちは後ろになる、と。後ろになると、怒りを感じたり、アルカイダになったりする。こういう面が、私が考えるところの、問題の一部だと思う。

―移民をこれ以上増やすな、とした政治家ピム・フォルトゥイン氏が暗殺された事件をどう思ったか?右派だったと言われているが?

ヘイボアー氏:極右派だったと思う。動物愛護家の左派の人に殺された。私自身は、驚かなかった。オランダでは、自分の言いたいことを非常に明瞭に表現する彼のような政治家がいるし、一方では、動物や環境に非常に心を傾ける人も多いからだ。

―しかし、人々が自由に意見を表明できること、つまり言論の自由が重要とみなされている国で、政治家がその姿勢や発言ゆえに殺害される、映画監督が殺害されるというのは、嘆かわしいことではないだろうか?発言をして、殺されるとは。オランダは、寛容精神の国ではなかったのか?

ヘイボアー氏:オランダを、「寛容の国」ということで責めるのはいけない。

 フォルトゥイン氏のケースは、彼は極右の男だった。発言内容ややろうとしたことががケアレスだったと思う。これをどうやって止めるのか?殺人を弁護しているわけではないが、彼は非難されるべきだったと思う。何らかの形で、ピム・フォルトゥインはストップされるべきだったか?イエスだ。銃を使って殺害しようとは思わないが。

 政治家暗殺事件はオランダ固有の出来事ではない。彼は極右の人間だったし、代償を払ったのだと思う。殺害を弁護しようとは思わないが、何故誰かが彼に対して銃の引き金を引きたいと思ったのか、理解できる。

 この殺害事件は、オランダの寛容の精神とは全く関係ない。オランダが、突然違う国になったわけでない。ドイツやベルギーでも起こりえた。政治家のフォルトイン氏が挑発したのだと思う。挑発するような人間だった。(2000年ごろの)オランダの政治界は挑発者を非常に強く必要としていたのだ。政治が機能するには、オランダが、揺り動かされる必要があった。

 それまでは、何も起きていないのがオランダの政治だった。議会は羊の群れのようだった。何でもイエス、というのが政治家だった。

―オランダの政治は、右化していると思うか?

ヘイボアー氏:目下のところはそうだ。現在の政府が中道右派だから、つまり右ということだ。皆が次の選挙を待っている。

―外国の報道機関が、「オランダは寛容の国」と呼ぶことをどう思うか?

ヘイボアー氏:オランダの寛容というのは、お金儲けに関わっている。理想や原理じゃない。実際的理由。商人は寛容でないといけない。買い手がプロテスタントかどうかなんて、関係ない。

―多文化主義をどう思う?

ヘイボアー氏:存在しない。言葉だけ。多文化主義社会は存在しない。

 オランダでは、かなり異なるバックグラウンドの人々が、一緒に融合した状態で生きているのではなく、それぞれが隣同士に住んでいる、と考えて欲しい。そうすることで、衝突を避けてきたのだ。それぞれの異なる文化的背景のもとで、自分たち自身の生活をする、と。闘わない。これが大きい。

 
by polimediauk | 2005-10-27 19:25 | 欧州表現の自由