小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

近況


本音を言わない、という縛り

近況_c0016826_11115993.jpg

(11月2日の朝、アムステルダムで開かれた、テオ・ファン・ゴッホ監督の死後1年の追悼式に飾ってあった新聞と花)


(随分更新がなくて、すみません。オランダ・アムステルダムに行っていたのですが、ワイヤレスを使えるところがすぐに見つからず、日本語ソフトが入っている自分のPCが使えず、更新を断念しました。)
(アルジャジーラや他の点でコメントを残してくださった方、ありがとうございました。きちんと返事を書きますので、少々お待ちください。)


 オランダ・アムステルダムに月曜から行って、先ほど戻ってきたところだ。「英国メディアウオッチ」としながらも、しつこくオランダに関して書いているので、タイトルを変えた方がいいのではと思われる方もいらっしゃるかもしれない・・・・。英メディアに関しても追って書いていきたいが、今回アムステルダムに行ったのは、映画監督ファン・ゴッホ氏のイスラム教徒による殺害から1年経ったので、表現の自由や付随した要素がいかに変わったか、あるいは変わっていないかを、間近に見ることが目的だった。

 殺害場所で行われたセレモニー、アムステルダム市長が開催した市民の集まり、監督殺害のきっかけとなった短編「服従」の脚本家で政治家のヒルシ・アリ氏が出席したイベントなど、できる限りのところに足を運んでみた。(しかし、さらに行きたい場所が増えていくのだが。)

 レポートはオンラインの日刊ベリタというところに書く予定だが、今日の時点で、1つ気になったことを書きたい。

 それは、オランダ人(イスラム教徒、あるいは移民ではなく、先住の白人のオランダ人)が、まだまだ本音を言っていないな、ということだ。

 自分自身がオランダ人でなく、事件の渦中にいずにして、無責任なことを書くようだが、この点から、どうしても目をそらすことができない。

 つまり、(先住の)オランダ人たちは、イスラム教徒の住民に対して、漠とした不安があって、どことなく、いやだなあ・・・という感情があるようだ。個々の隣人であるイスラム教徒の人たちに関してどうのこうの、というわけでなくても、「イスラム教徒」に対する、漠とした嫌悪感。嫌悪感、というのが強い表現だとすると、どことなく、いやだな、という感情。民主的でない、とか、男性が女性を不当に扱っているとか、女性に黒い装束を着させている、とか、いろいろ理由をつけて、この「獏とした不安感、嫌悪感」を正当化しているが、本音のところは、「何となく、いや」「嫌い」「不安」「分からない人たち」などの思いがあるようだ。

 そして、こうした感情を、表に出すのは、「正しくない」と考えていること。だから、新聞のコラムニストなどを除くと、通常の市民は公の場では、「正しくないこと」「言ってはいけないこと」は、いわないようなのだ。つまり、本音を言わない。

 問題は、この、本音を言わないことへのプレッシャーがものすごく強いことだ。他の事は別にしても、イスラム教徒に関することになると、強い自主規制が働いているようだった。

 この自主規制の様子は、はたで見ていて可愛そうになるぐらいだった。

 何故イスラム教徒の批判やいやだなあという感情を公の場で言ってはいけないと、人々が思うのか?

 いろいろ理由はあるだろう。1つには、イスラム教徒からの報復(があると、想像しているだけなのかもしれなくても)が怖い、と。また1つには、ある人種や宗教に対する否定的感情は基本的には胸にしまっておくもの、と考える部分もあるかもしれない。つまり、PC=ポリティカル・コレクトネス、あるいは、とにかく「そういうもの」。さらに、ここからが私の推測になるが、リベラル、様々な価値観を認める、ということでやってきたオランダで、そういう点に関して自負してきたオランダで、自分とは異なる習慣や宗教を持つ人々に対する、漠とした不安感、漠とした嫌悪感がある自分は、リベラルではない、不寛容、ということにもなってしまう。自己否定になってしまう。それよりなら、胸にしまっておいたほうがいい、と思うのか?

 ・・・と書くと、なにやら論理が飛んでいるようで、え?と思われるかもしれないが(書き方が、消化不良のような感じで申し訳ないが)どうもそのようなことを感じて、帰ってきた。

 誰しも、いやな自分を認めたくはない。人に嫉妬を抱いたり、ある特定の人種や宗教に対して偏見を持っている、獏とした嫌悪感を持っているということを、公の場で認めたくはない、と思うのも、一定の理解はできる。

 しかし、きれいごとで、「統合をもっと進めましょう」「みんなで仲良く」「隣人ともっと話をしよう」といった文句ばかり聞かされると、本当に、「言うべきでないことは、言わないようにしよう」という決意のようなものまで感じられ、かなり息苦しいことになってきたなあ、と思った。

 フランスで移民の暴動が続き、英国でもバーミンガムで移民が関わる騒ぎが起きている。

 今に始まったことではなく、今回のフランスと英国の出来事が特別何かを表しているわけでもないのかもしれないが、常に何らかの対立、衝突がおきそうな、そんな要素が今、欧州全体で、イスラム教徒の移民とその他の市民との間で、起きていると思う。

 オランダで、極右派とされる政治家ウイルダースという人が、イスラム教徒の批判をしてきたので、厳重警護下にあり、もしかしたら、今でも刑務所に住んでいる。最高にセキュリティーの高い場所を考えたら、刑務所しかなかったのかもしれない。

 それにしても、いくらなんでも、刑務所とは。

 これはやっぱり、異常な状況、と言わざるを得ないだろう。

 今日の夕方会ったムスリムの人に、「でも、いつかは、きっと、丸く収まっていくでしょう。・・そうなって欲しい、と願っています」といわれたのが、心に残った。

 
by polimediauk | 2005-11-05 11:31 | 欧州表現の自由