小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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News Xchange 会議の閉幕


想像力をどれだけもてるか?

 アムステルダムで開かれていた、世界の報道ジャーナリスト、編集者、製作者たちの会議(世界のといっても、欧米、中東それに少しのアジア)が、二日間の予定を11日終えた。

 印刷メディアで参加していたのは、英国大手メディアではガーディアン紙だったが(出席者リストを見る限り)、ガーディアンにでている記事を読むと、心底驚かざるを得ない。果たして同じ会議に出ていたのかどうか、頬をつねりたくなるぐらいだ。書いた記者に同情して言うと、おそらく、「こういうのが欲しい」というのが会社側からあるのだろう。それにあわせているのだろう。どんなことが話し合われたか、議論がどんな風に進んだか、全体としての特色がどんなだったか、・・・といったことは、基本的には書かれていないし、最初から書こうともしていないのだろうか。

 では、何が書かれているか、というと、まず英メディアで話題になりそうなテーマに沿った言い回し、コメントを見つける。これにあわせて書かれたように、見える。自分の会社のデスク向けに、あるいは英メディアのほかの新聞向けに書かれたようで、一般読者のことはあまり眼中にないようだ(・・に、見える)。

 「目立つ見出しになるような記事ばかり書いている」(あるいはテレビがそういうストーリーばかり報道している)「分析が少ない」「真実が何であるか?に関しては注意が払われていない」という批判が、英メディアに関してなされてきていた。これをはじめて身をもって体験したような思いだ。結果的に、書いた記者が、まるで片目、あるいは片耳をふさいでいたかのような原稿内容になった。24時間ニュースを提供しなければならない状況にあると、こうならざるを得ないのだろうか?

 今回の会議で目立ったのが、英米メディア(英米、CNN,BBCなど)の想像力の限界だったように思う。

 例えば、中国の報道であり、イスラム教の扱いである。「中国は、人権じゅうりんのひどい国だ」、という前提が、欧米メディアは頭からどうしても消えないようなのだ。アラブ・イスラム教国の大手・著名テレビ局に、「女性のレポーターはいますか?」と聞いた英米系のメディアもあった。(国にもよるかもしれないが、この時代に、女性が全くいない世界のテレビ局はほとんどないのではないか?何とアナクロだろう。アラブ・イスラムの国のテレビ界だから、遅れている、とでもいいたいのだろうか?)

 どこのメディアも完璧ではないとは思うが、常に、「自分の報道が・考え方が、ひょっとしたら間違っているのではないか?ひょっとしたら、違う見方もあるのではないか?全く分かっていないこともあるのではないか?」という、自分を疑う姿勢が重要に思えてならない。英語メディアの世界に対する影響力は強いので、英語メディアはイコール、自分たちが世界だと思ってしまうのかもしれない。

 自分自身にも、ステレオタイプはあるし、こういうステレオタイプが何が起きているのか?を判別できなくすることもあると思う。

 それぞれのメディア・報道機関が、思い込みやステレオタイプからどれだけ自由でいられるか?が試された気がする会議だった。自分が思いこみをしているかもしれない・・・という想像力さえもないようには、ならないようにしたいものだ。国が違えば、ひょっとしたら、同じ物事でも全く違う文脈があるのかも・・・という部分は持ち続けたいし、自分を疑う気持ちを忘れないようにしたい、としみじみ感じた。(会議の内容は、このサイト上か日刊ベリタかに出す予定です。)

 
by polimediauk | 2005-11-12 07:24 | 放送業界