小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

テレグラフが移転


 デイリーテレグラフ、サンデー・テレグラフなどを出版するテレグラフ・グループが来年の夏ごろ、現在、ロンドン東部のカナリー・ワーフにあるオフィスから、ロンドン中心部バッキンガム・パレス・ロードにある、ビクトリア・プラザという建物に移転することになった。ビクトリア駅のすぐ近くだという。

 カナリー・ワーフは、官庁街のホワイト・ホール、議会があるウエストミンスター近辺からはやや離れた場所になるが、新オフィスからは、政治家やトップビジネスマン、官僚の取材に便利になる。デイリーテレグラフをはじめ、他のブロードシート紙もこの移転を好意的に受け止める報道をした。

 英国の主な新聞社、通信社はかつてロンドンのフリートストリートをベースにしており、新聞業界の代名詞にもなっていたようだ。しかし、1986年、サン紙やタイムズ紙を発行する会社ニュース・インターナショナルを所有するルパート・マードック氏が、新たな技術を導入した印刷工場をロンドン東部のワッピングに作り、タイムズが移転。新聞の低価格化の競争が続く中、テレグラフもさらに東部に向かい、低い賃貸料が魅力のウォーターフロント再開発地域・ドックランズに1987年に移転した。

 元ガーディアンのメディア・コラムニストで、現在はテレグラフのコラムニスト、ロイ・グリーンスレード氏によれば、1987年の移転当時、テレグラフのジャーナリスト達は、ロンドン中心部の現場に行くにはやや時間がかかるので、不本意ながら電話取材をせざるを得なかった場合が多々あったという。1991年には、ドッグランズの中心部カナリーワーフにあるワン・カナダ・スクエアというビルに移転し、現在に至っている。

 今後、テレグラフ・グループはテレグラフ・メディア・グループと名称を変え、オフィスも移転することで、心機一転を狙っているようだ。グループのチーフ・エグゼキュティブのマードック・マックレナン氏は、「新名称は、モダンで、競争力がある」ことを示し、テレグラフが「紙媒体からポッドキャスティング(11月から開始)までも手がける多様性のある」新聞であることを表すことができる、と22日付のテレグラフ紙で述べている。

 グリーンスレード氏によれば、ドッグランズに新聞社があるという事実を、テレグラフのジャーナリストたちは、今日まで好きになることができなかったのではないか、としている。ロンドンの中心部にオフィスが移ることで、興奮と明るい期待を持つだろうと書いている。こうした、一種の興奮、楽観主義は、ジャーナリストの特徴と言えると分析している

 気持ちの持ち様というのは重要で、心機一転で、編集部で働くスタッフの仕事振りに良い影響がある、というのはあたっているように思える。

 19日付のガーディアン紙によると、移転費用は700万ポンド(約14億円)。

 現在、テレグラフスタッフが、もしやや意気消沈気味であるとしたら、理由がある。前所有者が裁判沙汰に巻き込まれ、テレグラフグループの資金を個人的に流用していた、「盗んでいた」ことが段々明らかになりつつあるからだ。

 テレグラフ・グループは現在、不動産業などを中心に「バークレー帝国」を築き上げたバークレー兄弟が所有しているが、1987年のドックランズへの移転当時は、英上院議員ブラック卿が所有していた。ブラック卿は、グループの収益を私的目的のために悪用したとして、2003年11月にグループ親会社の米ホリンジャー・インターナショナル社(デラウエア州)が12億5千万ドルの支払いを求める訴訟をアメリカで起こしていた。ブラック卿は同社最高責任者の職を追われ、テレグラフグループの会長職を解任された。 

 2007年、ブラック卿は詐欺罪を含むいくつかの罪状の件で、米国の裁判所に出頭することになっている。ホリンジャー社の会長だった数年で、4700万ポンド(約95億円)を盗んだといわれている。
 
 テレグラフのビクトリア駅近辺への移転は、こうしたごたごたを一掃し、新しいステップを踏み始めたことを示すサインとして、受け止められるだろう、とガーディアン紙は予測している。
by polimediauk | 2005-12-22 21:07 | 新聞業界