クリスマス 英国の場合
強いプレッシャー
「メディア」という話題からははずれるが、英国、クリスマス、と聞いて、漠然としたロマンチックなイメージをもたれると、英国の実態把握に片手落ちな気がしてならないので、クリスマスに関して書いてみたい。
毎年、クリスマス前後になると、クリスマスショッピングをどうするか(「今からでも間に合うショッピング」など)、パニックにならずにクリスマス・ディナーを作るには?など、クリスマスがらみの報道が増えていく。中でも必ず紹介され、近年私自身が目に付くように思うのは、人間関係に焦点をあてた報道だ。
家族や親戚同士で喧嘩をせずにクリスマス・ディナーを楽しむにはどうするか、相手の気分を害さないプレゼントを買うには?、などだが、その昔と比較すると核家族化が進み、離婚率も上昇し、再婚する人も増えているなかで、「祖父母や小さな子供たちなどの大家族が一堂に集まってクリスマスを祝う」、という形は減ってきているようだ。しかし、クリスマスとはキリストの生誕を祝う日であると同時に、「家族みんなで一緒に」「楽しく」集う機会である、という認識は変わらない。
クリスマス時に、一人でテレビの前で座っていたり、家族と一緒に過ごさなかったり、いつも通りの日常生活をしているのは、どちらかというと、恥ずかしいこと、ダメなこと、という雰囲気がある。実際に普段と変わらない生活をしている人も多いとは思うのだが、「何かしら、楽しいこと、特別なことをする時期」=クリスマスと受け止められている。やや日本のお正月と意味合いが似ているかもしれない。
家族や親戚といっても仲がいいとは限らず、再婚した場合は連れ子あるいは元の子供がどちらの親と一緒にクリスマスを過ごすかでもかなりの心理的闘いがある。デイリーテレグラフの22日付けの記事では、両親が離婚した子供が、離婚当時8歳で、過去10年間、25日は常に母親と母親の新しい夫とともにすごし、翌日は父親〈未だ独身〉と過ごしてきたというエピソードが紹介されいてる。離婚してしまった両親に、「クリスマスプレゼントは何がいいか?」と聞かれ、何年間も、「お父さんとお母さんに元に戻って欲しい」といい続けてきたという。毎年25日、母と新しい父と過ごすたびに、実の父親が寂しい一日を過ごしていることを知っているので、罪悪感を感じる、という。彼にとって、クリスマスは楽しい時期と言えるだろうか?25日は、家族が集まって過ごすもの、という認識が強いからこそ、罪悪感も大きいのだろう。
一緒にいることができない家族の思いは複雑だ。一緒にいたくても、いられない場合もあるだろうし、逆に、家族の誰かしらに対して腹が立ち、あえて一緒にいないことを選択する場合もあろう。後者の場合、「クリスマスなのに、xxと一緒にいれない自分」を自覚することになる。これはこれで自分とどうやって折り合いをつけるか、が問題となる。「クリスマスなのに・・・」がポイントだ。親戚・家族だというだけで、趣味も興味も価値観も違うもの同士が、「クリスマスだから」ということで集まれば、対立・不和・涙・フラストレーションが起きないほうがおかしい。悲喜こもごものドラマはよくメディアでも紹介される。
資金に余裕のある人は、海外でクリスマスを過ごす。国内にとどまっていれば、家族と和気あいあいのクリスマスを過ごすことを期待され、そうでなければ、フランスやカナダへスキー旅行、東南アジア(昨年の津波被害が起きたときも多くの英国人が休暇で訪れていた)に向かうなど、何か特別のことをしていなければならない。
「楽しくなければ」「(そして)最高の形は祖父母を含んだ家族一緒で時を過ごす」――こうした一種の強迫観念が強い。結果的に、クリスマスはかなり精神的に疲れる時期でもある。日本人の私からすると、やや息苦しくも感じる。
一方、キリストの生誕を祝う様々な教会のセレモニー、イベントも多い。ラジオ、テレビ、新聞にクリスマス色が強くなり、12月24日の夜中のミサ、25日の朝のミサも放送される様子を見たり聞いたりしていると、本当に英国はキリスト教の国だなあ、と思う。
逆に言うと、もしキリスト教徒でなければ、いたたまれない時期ともいえる。
クリスマス当日は、午後3時ごろの、エリザベス女王のスピーチをテレビで見て、一段落。女王が何を今年のスピーチで言ったかが、しばらく話題となる。