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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

NEWS XCHANGE 放送会議報告―3  イスラム問題で議論沸騰


 〈今、英国では、ロシアのウクライナへの天然ガス輸出問題が非常に大きな関心ごとになっている。ロシアに対しては、懐疑の目を向ける雰囲気がすでにあり、今回の件で、「ほら、やっぱり民主的ではない・まったく別の価値を持った国だ」というような機運ができつつある。昔、サッチャー首相が、当時のソ連のゴルバチョフ大統領を「話ができる人」--正確な表現ではないかもしれないがーーとして西側に紹介したことになっているが、その逆のケース、つまり、プーチン大統領が、「ほら、やっぱり話のできない人だった」、とでもいうような雰囲気である。今後の報道の動きを見たい。また、今BBCのラジオのニュースを聞いていると、英ムスリム評議会の代表がインタビューされているが、「あなたにはイスラム過激主義に染まる若者達をどうすることもできないんでしょう?」という質問が繰り返されている。ドキッとするぐらい、失礼な言い方だ。非常にネガティブなトーンだ。英ムスリム評議会は政府寄りというか、いわゆる「優等生」として受け止められてきたように思うが、7月のロンドンテロ以降、トーンが変わってきた。このトーンの変化がつらい。)

「コーランを好きなところに置く自由もないの?」

NEWS XCHANGE 放送会議報告―3  イスラム問題で議論沸騰_c0016826_2282826.jpg〈上の発言をしたのは、オランダのアヤーン・ヒルシ・アリ議員。右の写真。)

 オランダ・アムステルダムで昨年11月開催された放送業界の国際会議NEWS XCHANGEは、司会や発言者の多くがCNN,BBC,ロイターなど、米英メディアが中心で、あまりオランダ色が出ないままに日程が進んだ。

 ようやく「これぞオランダ」と思われるトピックが出てきたのは、会議二日目の午後のイスラム教を巡る報道に関するセッションだった。

 しかし、パネリストの一人に、オランダの政治家で自称元イスラム教徒の女性アヤーン・ヒルシ・アリ氏を呼んだために、「イスラム教報道はどうあるべきか?」という中心議題には十分な時間が割かれなかった。

 ヒルシ・アリ氏はオランダで最も知名度の高い政治家の一人だ。彼女が脚本を書いた「服従」という短編映画の監督テオ・ファン・ゴッホ氏が、イスラム教徒過激派の青年に、2004年に殺害され、これ以降、どこに行くにも厳重警備下にある。作品はイスラム教を批判しており、監督を殺害した青年は、「イスラム教の名の下に」犯行を実行している。また、ヒルシ・アリ議員にも殺害予告を出していた。

 代わりにセッションの中心となったのは、「服従」という作品がいかにイスラム教徒を侮辱しているかというアラブ系ジャーナリストらからの批判と、ヒルシ・アリ議員の反論で、感情的な言葉の行き交いに終始した。

 セッションが終わったあと、アラブ首長国連合国からのジャーナリストは、興奮が冷め遣らぬ様子で、「私たちの会議が、あの女性のために、ハイジャックされたんだ。こんなことは許されない。私達は、ジャーナリズムに関して話すためにここに来たのに」として、ほかのジャーナリストたちに怒りをぶちまけていた。

 一部の参加者のヒルシ・アリ議員に関する不満感は、セッション開始前から始まっていたようだ。午前のセッションが終わり、ランチ・ブレークに出る参加者たちに、主催者側は、やや早めに午後のセッションのために席に戻るように通告された。「特別なチェックが必要になりますので、お早めに」。

 昼を終えて会場に戻ろうとすると、入り口には、空港で使われるようなボディーチェック機材が並べられていた。全員がこれを通らなければ中に入れない。不満の声が参加者からあがりだした。

 のろのろと会場内に参加者が戻り、イスラム教報道に関する、午後のセッションが始まった。

―メディアの役割

 議題は、20001年9月11日の米国大規模テロ以降、イスラム教徒への恐怖感=イスラムフォビアの増大が指摘されているが、メディア報道はこうした動きを悪化させる役割を果たしているのではないか、という点だった。もし悪化させているのであれば、メディアの側に何ができるのか?

まず、米コンサルタント会社コミュニケ・パートナーズ社が、クエート政府の依頼で調査した「イスラム教徒とイスラム教徒に対する西欧の認識」と題するリポートを発表。

これによると、西欧人のイスラム教に関するイメージはメディアによって育成されることが多く、メディア側の知識が不十分なために、イスラム教をテロリズムや戦闘場面と結び付ける映像や、ベールで顔を隠す女性たちやモスクの様子などステレオタイプを植え付けるような報道が主流になっている。主に否定的な文脈の中でイスラム教を語ることが多いため、好感を持つ宗教として認識される比率が他の宗教に比べて低いという。

 会場では11分の作品「服従」の中の約2分ほどが上映された。足元までを隠す黒いブルカを身にまとった女性が、男性たちから受けた暴力を語る。ブルカの中央部分から女性の裸身が見えるようになっており、コーランの文字が体の一部に描かれていた。

  在英のアラブ系新聞「アル・クアズ」紙編集長アブドル・バリ・アトワン氏は、作品が「文化的過激主義だ」とし、「挑発的、侮辱的、嫌悪感を感じる」と表明。

 アラブ系女性ジャーナリストの数名も、「私たちはイスラム教徒だが、決して男性に服従的だとは思っていない。映画は私たちを侮辱していると思う」とする主旨の意見を述べた。かなり感情的に高ぶっている様子が見て取れた。

 話を聞いていたヒルシ・アリ氏がかばんからコーランを取り出し、一旦床に置いたところ、トルコのドーガン通信社のブルクン・イミル氏が「私はイスラム教徒ではないが、コーランを床に置くべきではないと思う」と注意。「どこにコーランを置こうと勝手だ」とヒルシ・アリ氏が答える場面もあった。「全く、コーランを置く場所を決める自由もないのか」とヒルシ・アリ氏はつぶやく。

 ヒルシ・アリ氏が自由に映画を作り、意見を表明する権利があることは認めるが、作品そのものはイスラム教に対する侮辱だと、アルジャジーラの女性ジャーナリストが言うと、ヒルシ・アリ氏は、「イスラム教徒がイスラム教の名の下で間違った行いをするとき、自己を批判する必要があると思う」と反論。

 議論はもっぱらアラブ系ジャーナリストらとヒルシ・アリ議員との間で進み、欧米のジャーナリストは全くといっていいほど、口をはさむことができなかった。ヒルシ・アリ議員の一挙一動に対して、アラブ系ジャーナリストらからの反撃があまりにも激しいので、あっけにとられた感じもあった。

 セッションの終わり近く、やや唐突のように、「表現の自由は守られるべきだ」とBBCのジャーナリストが発言。ヒルシ・アリ議員への援護ともとれた。これに対し、会場の一部から拍手が起きた。

 私は、あまりにも場違いな、しかし耳障りのいい優等生的発言に、呆然とした。

 おそらく、このBBCジャーナリストの住む英国であれば、「表現の自由、報道の自由」を叫んで支持は得られるだろう。しかし、ここはオランダだった。

 表現の自由が保障されているはずのオランダで、一人の映画監督が殺害された。イスラム教の批判をすれば、死とまではいかなくても、なんらかのリスクが伴うことを覚悟しなければならない、という思いは、オランダの表現者の間で共有されているのではないか。実際、コラムニスト二人が、イスラム教徒と見られるグループからの脅しを受けて、イスラム教批判を停止している。

 逆に、英国では、政治家がその表現行為の結果、24時間厳重警備付きを余儀なくされるような状況は、少なくとも今現在はない。いわば、自分が何を言っても安全度が高い国にいて、「報道の自由」「表現の自由」を言っても、表面的にしか聞こえないように、私には思えた。

 宗教、特にイスラム教が絡んだ場合の表現の自由をどうするかは、西欧諸国のメディアが悩むところだ。セッションでの熱い議論の行方を目にすると、「表現の自由の堅持=善」という物差しだけで現状を切り取っていいものかどうか、疑問がわいた。

 ヒルシ・アリ氏は、「服従」パート2の脚本を書きあげたことを報告した。今度はイスラム教と同性愛者についての関係を描いたという。司会のオランダ国営放送NOSのワシントン支局長チャールズ・ホーエンフイヤセン氏が、「次回作も、前回同様、挑発的な手法を使った作品になるのか?」と聞くと、ヒルシ・アリ氏は、「そうだ」と答えた。「前回のような挑発的な手法を維持するのですね?」とホーエンフイヤセン氏が同じ質問を繰り返す。ヒルシ・アリ氏はこれにもうなづいた。

 セッションの後、何故「服従」が「挑発的」であったと繰りかえしたのかをホーエンフイヤセン氏に聞いて見ると、表現の自由を重要視するオランダ社会の常識から言っても、「作品は度を越していた」からだという。

 二日間の会議終了後、簡単なカクテル・パーティーがあった。アラブ系ジャーナリストたちは、まだイスラム報道のセッションの話をしていた。かつてカタールの人気衛星放送アルジャジーラで働き、現在はアルアラビアの広報ディレクター、ジハド・アリ・バルアウト氏は、「私もパネリストの一人になっていたが、ヒルシ・アリ議員が参加すると聞いて、抜けたんだよ。ジャーナリズムの話にはならないと思ったからだ」と話す。

 床にコーランを置いた行為は、イスラム教徒にとって、「かなり侮辱的行為」だが、それでも、「あれは英訳されたコーランだったから、まあ、許せないことはないが」。

 会場のビジネスセンターで、コンピューターに向かっていた一人は、セッションで、イスラム教徒の女性達たちは「服従的存在ではない」と述べた女性だった。

 「ヒルシ・アリ議員は、イスラム教徒の女性たちを馬鹿にしている。イスラム教徒の女性たちを助けたいのであれば、彼女は全く逆のことをしている」と語る。

 「ヒルシ・アリ議員の言っていることをよく聞くと、アメリカのネオ・コンサバの人と全く同じことを言っているのよ。言い方が全く同じーイスラム教は民主主義と相容れない、後進的だ、とね。表現の自由といえば、西欧ではもてはやされるけど、冗談じゃないわよ」。

 とにかく、徹頭徹尾、熱く、真剣だ。

 メディアのあり方という議題からははずれたが、今欧州で最高に関心度の高いトピックであるイスラム教に関して、それぞれの本音が見事に出た、という点では、非常に貴重なセッションでもあった。〈続く;最終回は「新興ニュースメディア」〉
by polimediauk | 2006-01-04 02:33 | 放送業界