小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

外側からの視点、俯瞰で描く 『殺戮の世紀』、映画『関心領域』

 (「メディア展望」5月号掲載の筆者記事に補足しました。)

 今春、いよいよ日本でも米映画『オッペンハイマー』が公開された。皆さんは、どうご覧になっただろうか。「原爆の父」とされる米科学者ロバート・オッペンハイマーを主人公とするドラマである。
 映画は原爆による広島・長崎での被害を直接には画面に出していない。この点に引っかかりを感じた日本の方もいらっしゃるようだ。また、ソーシャルメディアでは原爆の使用を正当化する当時の米国政治家の発言に衝撃を感じたというつぶやきを目にした。
 筆者からすると、『オッペンハイマー』は惨状を直接出さなくても痛み・悲しみを十分に伝えていたように思えた。また、原爆を投下した国と投下された国では原爆についての歴史認識は異なることが想像され、「想定内の発言」として受け止めることができた。日本国外に住むために、第3者的に見ることができのかもしれない。
 しかしながら、最近鑑賞した「あえて惨状を具体的に出さない」映画、そして世界各国の戦争を俯瞰する形で綴った書籍には様々な意味で衝撃を受けた。
 書籍の方から紹介してみたい。

過去100年余の戦争を俯瞰する


「殺戮の世紀」(出版社「新評論」のウェブサイトから)

 今年3月に出版された『殺戮の世紀 1914-2014 ――世界を変えた20の戦争』(新評論)は、フランスのジャーナリスト、エマニュエル・エシュトと軍事史家ピエール・セルヴァンが監修した『Le siècle de sang 1914-2014:Les vingt guerres qui ont change le monde』の邦訳版である。第一次大戦(1914―18年)から西アフリカ・マリの電撃戦(2013年)の20の戦争を複数の書き手が解説した。
 原著は2014年、第次大戦勃発100周年を記念として出版されており、10年後の翻訳版出版(翻訳は義江真木子氏)である。しかし、2022年2月以降のウクライナ・ロシア戦争、翌2023年10月にはパレスチナ・ガザ地区へのイスラム武装組織ハマスによるイスラエル領域への侵入で始まった紛争など、世界中で戦争が発生する中、これまでの戦争を通史的に俯瞰した本書の重要性は増している。
 日本の読者にとっては、第4章の日中戦争(1937-45年)が最も関心が高い個所と思われるが、現在の欧州の立ち位置を考えるためには第1章の第一次大戦の項とともに第5章の第二次大戦(1939ー45年)の略史が興味深い。
 第5章は、第二次大戦の「激動をくぐり抜けたとき、世界の構造は根底から変わっていた。数百年にわたって続いたヨーロッパの覇権は崩れ去った」と総括する。世界は米国とソ連が支配する冷戦時代となり、欧州諸国は「脇役としての役割を果たすだけになる」。
 歴史に詳しい方にとっては常識であろうが、改めて、現在のウクライナ戦争への欧州による対応を見るとき、この結論が重く響いてくる。

原爆投下が決まるまで

 第5章には、米国が日本に原爆投下を決めるまでの記述もある。
 1945年、硫黄島と沖縄での戦いの後、米兵の「犠牲者数があまりにも多く、日本本土上陸を決行すれば極めて大きな犠牲を払うことが予想された」。そこでトルーマン米大統領は原爆投下を決定し、8月6日広島に、9日は長崎への投下が実行された。8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏を受け入れる。
 米国側には米兵の多大な犠牲を出したくないという思いがあった。ウクライナ戦争で北大西洋条約機構(NATO)加盟国側にもこの点が共有されているとみて良いだろう。
 日本への原爆投下までの時系列を読むだけで、筆者は鳥肌が立った。広島・長崎への投下による惨事の深刻さを連想せざるを得ないからだ。

ユダヤ人虐殺を特異の視点で描く映画


映画「関心領域」オフィシャルサイト(ウェブサイトからキャプチャー)

 日本で5月に公開された映画『関心領域は、英小説家マーティン・エイミスの同名の小説をユダヤ系英国人の監督ジョナサン・グレイザーが映像化したものだ(上の画像は公式サイトから、キャプチャー)。
 ナチス親衛隊の将校映でアウシュビッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族が収容所の隣に建てた新居で暮らす様子を描く。
 出演者はほとんどがドイツ人で、映画の主要言語はドイツ語だ。
 「関心領域」とは、ナチスがアウシュビッツ収容所群を取り囲む地域を指して使った言葉である。2024年の米アカデミー賞では国際長編映画賞・音響賞を受賞している。

遠くから家族の生活ぶりを見る

 住居に隣接する強制収容所の様子は、時々聞こえてくるユダヤ人収容者の声や銃声などの音響のみ。殺害の状況など、一切画面には出てこない。ひたすら、ヘス一家の生活ぶりが映し出される。
 監督はアウシュビッツ近郊の住居に10台のカメラを設置し、俳優たちの演技を遠隔撮影したという。監督や撮影スタッフが直接介在しないままで撮った動画は800時間にも達した。俳優のクローズアップは皆無で、観客はヘス家族の生活ぶりを遠巻きに見る。
 これまでホロコーストの悲劇やナチスの悪を描き出した映画は数多くあったが、監督は徹底的に抑制された映像を選んだ(英フィナンシャル・タイムズ紙、2月23日付、インタビュー)。
 グレイザー監督はユダヤ系として、どのようにホロコーストのような行為を取り上げて映像化するのかを考えあぐねてきたという。「ナチスの視点から語る話はできないか」。ホロコーストの加害者側の物語である。しかし、それをどのような形にするのかを決めるには時間がかかった。エイミスの小説にヒントを得て、ヘスについて調べ、最終的に感傷的な表現を取らないことに気持ちが向いて行ったという。

鑑賞後の反応の違い

 筆者はロンドンの小さな映画館で『関心領域』を見た。
 鑑賞後、エンドタイトルが出たところで席から腰を上げたが、ともに鑑賞した家族も含め、何人もの観客が呆然自失のような表情で椅子に座ったままでいた。
 日本人の筆者としては、もう少しナチスの悪を強調するような場面がないと、つまりは監督が避けようとした「ドラマ」がないと、ほかの観客ほどの強いインパクトを感じにくい。
 席に座ったままの観客は、ナチスの行為やホロコーストの残虐性、悲劇を強く想像できるからこそ、『関心領域』がより強い意味合いを持って迫ってきたのだろう。
 残虐行為が行われたアウシュビッツ強制収容所から、カメラを外に引くようにしてその周囲を眺めれば、隣にはヘス一家の住居があり、子どもたちや大人の日常生活があった。この映画から何をどこまで読み取るかはその人によって異なるだろう。
 しかし、「外からの視点」、「俯瞰」という行為によって、私たちは何が起きて、それが何を意味するのかについて、より深く理解することができるのではないだろか。

by polimediauk | 2024-06-02 15:22 | 欧州のメディア