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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

英国の対外情報機関「MI6」、次期長官は女性 祖父はナチスのスパイだった?

「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラムに補足しました。

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 ロンドンのヴォクスホール駅を電車が通るたびに、窓から外を眺める乗客の目を引き付けるのが対外情報組織「MI6」こと「秘密情報部」(Secret Intelligence Service=SIS)の本部ビルです。

 クリーム色と深緑色のブロックを積み上げたような建物は、プラスチック製ブロックを組み合わせて遊ぶ玩具にそっくりで、「レゴ」というニックネームがついています。

 こんなモダンな本部を持つMI6は116年前に海外で情報活動を行うために設置されたのですが、そのトップとなる長官はこれまで男性だけでした。

 英国では女性の首相が3人出ていますし、政党・党首が女性であることは珍しくありません。また、経済界、メディア界でも女性が指導的地位に就くことは日常的になりました。でも、MI6は例外だったのです。

 ところが2020年に就任したリチャード・ムーア長官の後任として、6月15日に初めて女性が任命され、男性が独占してきた長官職の牙城が崩れることになりました。

 今秋から18代目のMI6長官になるのは、1999年に情報提供者の管理を担う情報官「ケースオフィサー」としてMI6でのキャリアをスタートさせたブレイズ・メトレウェリ氏(47)です。「メトレウェリ」は欧州の南コーカサス地方で見られる、ジョージア系の名前によくあるようです。


子供の時からスパイになりたかった

 同氏はケンブリッジ大学で人類学を学び、卒業後は外交官を目指していましたが、実は子ども時代からスパイになりたいと願っていました。自称「テック・オタク」で、現在はMI6の技術・イノベーション部門の責任者「Q」を務めています。

 最初の任務は大量破壊兵器などの拡散阻止業務でした。核技術について調べるなかで科学の深さを知ると同時に、命を懸けても機密情報を取ってくる海外にいる工作員たちとの関係を築く機会になったそうです。アラビア語に堪能で、中東諸国の紛争地でも働いてきました。一時は国内の情報活動を担当するMI5こと保安局に所属し、このときは政府が「敵対的国家」と位置付けるロシア、中国、イランなどの脅威に対応する「K部門」の幹部でした。

 中東および欧州での作戦業務に長く携わってきたメトレウェリ氏はウクライナ戦争、イランとイスラエルの紛争などが発生する今、最適の人材といえそうです。

 トランプ米政権が欧州離れの言動を明確にするなか、米国のMI6に相当するCIAとの緊密な関係維持も重要事項になるでしょう。

 MI6は秘密情報部ですので、職員の中でその名前と最低限の経歴が公開されるのは長官だけとなっています。政府がMI6の存在を公式に認めたのは1990年代半ばでした。


なぜMI6長官の通称は「C」?

 スパイ映画のボンド・シリーズではMI6の女性長官「M」が登場しますが、MI6長官の通称は「C」。初代長官のマンスフィールド・スミス=カミング海軍大佐が署名にイニシャルのCを使ったことに由来します。

 女優ジュディ・デンチが演じたMは1995年公開のボンド映画で初お目見えしましたので、現実は映画よりも30年も遅かったことになります。

 ちなみに、国内の情報活動を担当するMI5の方は1992年にステラ・リミントン氏が初の女性長官に就任し、2人目は2002年就任のイライザ・マニンガム=ブラー氏でした。一方、CIA初の女性長官は2018年就任のジーナ・ハスペル氏です。


上司は誰?

 映画と現実の違いを補足すると、Mの上司は首相でしたが、Cの上司はデービッド・ラミー外相です。また、Cには部下に「殺しのライセンス」を与える権限はありません。権限を持つのは外相なのです。Cはまた他省庁のトップや政府高官と共に、政府の合同情報委員会(JIC)のメンバーになります。JICは機密情報を受け取り、進行中の状況を分析し、首相に助言する役割を担っています。

 高級官僚の中でCだけが許されているのが、緑色のインクで文書をしたためること。これはカミング大佐が文書署名時に緑色のインクを使ったからです。どこまでも伝統にこだわるMI6のイメージにぴったりとも言えそうです。


「祖父はナチスのスパイだった」?

 メトレウェリ氏の経歴については、政府が発表した上記の内容以外、知られていませんでしたが、英大衆紙「デイリー・メール」など複数のメディアが深堀をしたところ、彼女の祖父は「屠殺者」として知られるナチスのスパイだったそうです。

 BBCがまとめた情報によると、メトレウェリ氏は「父方の祖父を知らず、会ったこともない」(外務省広報担当者)そうです。

 問題となった祖父の名前は、コンスタンチン・ドブロヴォルスキー氏。祖父はソ連の赤軍から亡命し、ウクライナでナチスの情報提供者となったそうです。

 家族のつながりを最初に明らかにしたデイリー・メール紙は、ドイツのフライブルクにある公文書館で数百ページに及ぶ文書を発見し、その文書にはドブロヴォルスキー氏がドイツ国防軍司令官から「屠殺者」または「エージェント30号」と呼ばれていたと書いています。ドブロヴォルスキー氏はナチス上官への手紙に「ハイル・ヒトラー」と署名し、「個人的に」「ユダヤ人の絶滅」に関与した、と。

  BBCは、ドブロヴォルスキー氏が1969年にソ連の諜報機関KGBが作成した最重要指名手配リストに載っていたことを示唆する証拠を入手しました。このリストには彼の初期の活動内容が詳細に記載されていました。

 「極秘」と記された文書は460ページに及び、「外国の諜報員」「祖国への裏切り者」「反ソ連組織の構成員」「処罰者」など、指名手配対象の犯罪者をアルファベット順に列挙したものでした。
 ドブロヴォルスキー氏に関する記述には、同氏が「ソ連国民の処刑に関与した」とあり、さらにBBCが確認した記録によれば、「同時にドイツ情報部にも所属していた」と記されていました。

 戦後、妻バーバラさんは生後2か月の息子を連れて英国に亡命。1947年、バーバラさんは英国人のデイヴィッド・メトレウェリ氏と再婚します。息子は継父の姓を名乗り、のちに英国籍を取得しています。

 その息子は後に放射線科医となり、娘であるメトレウェリ氏は1977年に生まれ、22歳でMI6に勤務を開始したことになっています。

 英外務省の広報担当者はこのような説明をしています。「メトレウェリ氏の祖先は紛争と分裂に特徴づけられており、東欧系の人々の多くがそうであるように、その一部しか理解されていません。まさにこの複雑な背景こそが、MI6の次期長官として紛争を予防し、今日の敵対国家による現代の脅威から英国民を守るという彼女の決意を支えているのです」。

キーワード

秘密情報部(MI6):正式名は「Secret Intelligence Service=SIS」。1909年、ドイツのスパイ活動に対抗するための防諜機関として設置された「シークレット・サービス・ビューロー」の海外部門として誕生。軍の公式記録や連絡文書で使われた識別名「Military Intelligence Section 6=MI6」が今でも通称として使われている。職員数約3500人。


by polimediauk | 2025-08-19 16:36 | 政治とメディア