英国の「対日戦勝記念日」その式典を在英日本人としてどう見たか
8月15日は、英国では「対日戦勝記念日」(Victory over Japan Day、略称「VJデー」)であった。当日のBBCでの報道を2回にわたって紹介してきた。
この日の英国在郷軍人会連盟による式典(国立記念樹木園で開催)は、テレビで生放送された。在英日本人としての視聴の印象を記してみたい。
筆者は、毎年、この時期をフランスで過ごしてきた。英国人の家人の父が英空軍の爆撃機のパイロットだった。1943年8月、乗っていた爆撃機はフランスの村の上空でドイツ空軍に攻撃されて、墜落した。8月15日にはこの村で追悼式典があるので、これに出席していたからだ。
今年は家族の都合で行けなくなり、英国でこの日を迎えることになった。
戦時中の犠牲、苦しみ、死
式典は15日午前11時半から午後1時まで生放送された。
最初は一人で見ていた。家人が「見るのはつらい」という。「対日戦勝記念日」というからには、日本軍がいかにひどいことをしたかが紹介される。それを日本人の家族が視聴し、つらいを思いする様子を見るのが耐えられないという。
しかし、戦争で父親を亡くした経験を持つ英国人としては追悼の式典を見たいという気持ちも一方であるという。
筆者は1時間ほど視聴していた。戦争でどちらの側にいたにしても、多くの犠牲者が出たのは事実である。重厚な音楽や黙とうの場面を見ていると、その犠牲や苦しみがひしひしと感じられ、体中が痛くなるような思いをした。
時折、「一方的な説明ではないだろうか」と思ったこともあったが、戦争で敵と味方になった国同士で事実認識や文脈、背景の理解が一致しないことはよくあることだろう。そう思いながら見ていたが、戦争捕虜になった女性たちの体験はすさまじいもので、今でも心の痛みや憎しみが消えていないようであることを知って、テレビのスイッチを切った。
英国人と一緒に見る
夕方、今度は家人とともに最初から番組を見た(オンデマンドの配信サービスを利用)。
「対日戦勝記念」と名付けられたこともあって、やはりどうしても式典は日本軍の加害行為、戦争捕虜の扱いを強調せざるを得ない。それでも、大戦の終了を「祝う」「追悼する」のであれば、「日本」という特定の国を取る名称にしたほうがいいのではないかと筆者は思った。
ただ、日本の終戦で大戦が「終わった」のは国際的な認識であり、太平洋戦線で戦っていた英兵・英連邦兵、捕虜たちにとって8月15日が大きな節目になったわけだから、「日本の敗退」と「終戦」とは分かちがたく結びつている。「日本」を取り去るのは難しいのかもしれない。
式典ではいかに日本軍が過酷な戦いをしたのか、いかに捕虜たちが悲惨な状況下に置かれたのかが紹介されていったが、ふと「ドイツの人はどう感じているのだろう」と思った。例えば5月の「対欧州戦勝日」の時である。国名は入っていないものの、ナチス・ドイツが降伏したことで欧州戦が「終了」となったわけである。
これまでは、毎年フランスに行って、英爆撃機の墜落の戦死者を追悼する式典に出ていたが、この爆撃機はドイツの都市で爆弾を落とし、英国に戻る途中でドイツ空軍に撃墜された。フランスを含む連合国側にとっては、英爆撃機による攻撃は正当化されるし、その撃墜は悲劇である。そこで記念碑を建てて、式典を行う。
しかし、爆弾を落とされた側のドイツ人にとっては投下こそが悲劇であり、自国の空軍による敵国の爆撃機の撃墜は喜ばしいことだったはずである。
式典やその意味するところについて、自分の考えはまだ十分にまとまっていない。頭の整理には時間がかかりそうだ。
番組の1時間半をときには感動し、ときには針のむしろに座るような思いで過ごした。
爆撃機のエンジン音
式典の終わり近くになって、ランカスター爆撃機、ハリケーン戦闘機、スピットファイア戦闘機が上空を飛行するアトラクションがあった。家人の父が乗っていたのはランカスター爆撃機である。
空の向こうから飛んでくる3機がだんだんと目前に迫ってくる。中央で飛ぶのはランカスター爆撃機だ。エンジンの音は大きく、その全体はいかにもずっしりと重そうだ。
「ずいぶん音が大きいね」。画面を見ていた家人が言った。上空を飛び去った時、「展示されているのは何度も見たことがあるけど、飛んでいるのを見たのは初めてだ」、「感動した」。目のふちが赤くなって、涙のあとが見えた。父親は家人が生まれる前に戦死している。
ランカスターとほかの2機は、このあと周回してさらに2度ほど上空を飛行した。
国王夫妻が涙
式典ではチャールズ国王夫妻が涙ぐむ場面もあった。
退役軍人でインド出身のヤヴァル・アッバス氏はアジア戦線での経験について短く演説する予定だったが、予定にはない言葉を発した。「がん治療中にもかかわらず、愛する女王と共にここにいらっしゃる勇敢な国王に敬意を表したい」。
過去25年間、自分自身ももがんを克服してきたことを話すと、聴衆から拍手が沸いた。
アッバス氏は多国籍軍となる英第14軍に所属し、戦場カメラマンとなった。1944年からはビルマ戦線で前線の撮影を担当した。
戦後と平和活動
戦後、アッバス氏は英連邦占領軍の一員として、原爆被害にあった広島を訪れた。「建物はほとんどなく、一つの塔だけが残っていました。あとはすべて平らになっていたのです」。
記念式典でアッバス氏はこう述べた。「戦争は犯罪です。戦争は廃止されるべきです。狂気の沙汰だと思います。我々は本当に何も成し遂げていない」。
「我々は何も学んでいないようです。無実の男女や子ども、赤ん坊が殺され続け、世界は、一部の立派な例外を除き、沈黙して見ているだけです。すべて無駄だったのです。今も繰り返されています。我々は全く学んでいません」。
日本大使の姿も
画面を見ているうちに、元戦争捕虜たちの後ろに鈴木浩在英大使の姿が見えた。元捕虜の後ろに座るというのは大使館側が求めたのか、あるいは主催者側が決めたのかは不明だ。
BBCの放送の中では、元捕虜たちの後ろに座っているのが鈴木大使であることは紹介されなかったように思う。
在英日本大使館と元捕虜たちは、1997年から「和解レセプション」で交流をしている。6月には28回目のレセプションが開かれたばかりだ。
BBCは鈴木大使の存在に言及しても良かったのではないかと思う。日英の和解のメッセージが番組を視聴する幅広い層の人々に伝わったのではないか。




