原爆投下の意義を問う本 ―オウヴァリー氏の新刊「破滅の雨」教訓は何か
「メディア展望」(新聞通信調査会発行)8月号掲載の筆者コラムに補足しました。
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80年前の8月、広島と長崎に原爆が投下され、多くの人が犠牲となった。私たち日本人にとって忘れることができない歴史の一コマである。
原爆投下の合法性、倫理性、その政治・軍事上の必要性などその背景についてはすでに何冊もの書籍が出版されてきたが、英エクセター大学のリチャード・オウヴァリー教授が今年3月、新刊「Rain of Ruin(破滅の雨)」を上梓した。今回はその概要を紹介したい。同氏は第二次世界大戦、ナチス、軍事史を専門とする。
「Rain of Ruin」とは
「Rain of Ruin」とは1945年8月6日、トルーマン米大統領が広島への原爆投下後の声明で使った言葉だ。
「ポツダム宣言の最後通牒は、日本国民を全滅から救うために出された。だが、日本の指導者層はこれを拒否した。もし今すぐ降伏条件を受け入れないなら、彼らは空からの破壊の雨(rain of ruin)を浴びるであろう」。
日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表されたのは1945年7月26日である。トルーマン演説の表現「破壊の雨」は、原爆の威力と今後さらなる投下を予告するものとして強いメッセージ性を持った。
「原爆投下は必要だったのか」
オウヴァリー氏は著作の中で「原爆は戦争の終結に必要なかったのではないか」と問いかける。原爆による多大な犠牲を思うと、「必要なかったのでは」という問いは残酷なようにも聞こえるが、オウヴァリー教授の試みは「戦争を早く終わらせるため」「米兵の命を救うため」などこれまで投下の正当化に使われてきた理由を吟味し、その背景をたどることによって、原爆投下の倫理性にまで踏み込むことだった。
原爆投下ははたして「戦争犯罪」と言えるのか。著者は過去を良く知ることで、現在の私たちが原爆をどうとらえるのかに判断材料を与え、過ちを繰り返さないようにすることを説く。
教授によると、これまで原爆投下の背景は米英の視点から説明されているものが大部分だったが、今回の本は日本の学者や専門家らが発掘した資料・文献を大いに参考にしたという。
なぜ日本への空爆作戦が米国の独壇場になったのか
原爆投下前の前段となる第1章「日本の敗退」は、米国が日本への空爆を準備するところから始まる。
筆者はこの個所でなぜ日本への空爆作戦が米国の独壇場になったのかを初めて知った。
英空軍爆撃隊は欧州戦に集中しており、1945年5月にナチスドイツが崩壊するまでは対日空爆戦の参加ができなかった。その後米空軍への協力を申し出たがルメイ米軍司令官を筆頭とする米国空軍側が英空軍の参加を好まず、実現しなかった。
米国の軍事戦略の転換
第2章「米国の『区域爆撃』」では米国の軍事戦略の転換が記される。軍需工場や産業施設など特定のターゲットを狙うのではなく、広い範囲にわたって無差別に爆撃を行う戦術をとるようになったのである。
民間人の犠牲は避けるはずだったが、いつしか避けられなくなってゆく。さらに結果を出すため、焼い弾を使った空爆となる。
1945年3月10日の東京大空襲で確認された遺体の数は約10万、被災者は約100万人である。オウヴァリー氏は日本各地への連続した空爆こそが日本が降伏に至った主因の一つとする。米軍は徐々に空爆を過激化していき、そこから原爆投下に続いたのだ、と。
1945年3月から8月までの東京、広島、長崎への空爆では、「通常の空爆」と「原爆」が異なるものとして区分けされることが多い。しかし、「互いを補完するもので、日本の都市を攻撃するという点では同じだ」(この部分は「序」から)。3月の東京大空襲が原爆投下に続くモラルの崩壊に道を開いたことは確かだと教授は書く。
補足
焼い弾は、焼い剤を装填した兵器。通常の銃砲弾・爆弾とは異なり、目標を爆発で破壊するのではなく、攻撃対象に着火させて焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼い弾は中に入っている燃料が燃焼することで、対象物を火災に追い込む。
区域爆撃(area bombing)とは、特定のターゲットを狙うのではなく、広い範囲にわたって無差別に爆撃を行う戦術。戦略的な目的として敵の戦力やインフラを大規模に破壊する。多くの国が敵の都市や産業インフラに対してこの戦術を採用。その結果、大規模な被害が出たことから、area bombingは倫理的な議論の対象になった。
科学者の意欲
第3章「なぜ原爆だったのか」では米ロスアラモス研究所での原爆の開発話が描かれる。原爆投下が実現できたのは研究所で働く「科学者の意欲があったから」。
科学者たちは戦争での使用に間に合うよう懸命に働いた。「倫理面の議論は後回しになった」(科学者の一人)。
第4章「降伏:『聖断』」は終戦に至る日本の政治状況がつづられている。
最終章の第5条「余波」ではなぜ原爆投下についてクリントン元米大統領が「謝罪する必要はない」と述べているのか、投下から現在までの被爆者の戦い、原爆は戦争犯罪としてみるべきなのかどうかについての国際社会の見方を記している。
サンフランスシスコ平和条約と空爆の被害
最終章の中のサンフランシスコ平和条約についての個所を史実を補足しながら紹介しておきたい。
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1951年に署名され、1952年に発効した同条約において、日本は連合国に対し「連合国の軍事行動によって生じた損害に関する請求権」を放棄した。これにより、日本政府は空襲や原爆による被害について賠償を求めないことを国際的に確認する。
同日に発効した旧日米安全保障条約は、米軍の日本駐留を認めるもので、条文上に「原爆批判を禁じる」といった規定は存在しなかったが、冷戦下の安全保障体制により、日本政府が米国の原爆投下を公然と問題視することは外交的に抑制された。むしろ日本政府にとっては、この体制が自国の戦争責任や加害行為を議論することを回避する口実ともなった。
国内では、原爆被害者や空襲被害者による国家補償要求が拒否された。その背景には、もし日本人への補償を認めれば、旧植民地や占領地で被害を受けた人々からも同様の請求が寄せられることを恐れた事情があった。戦時中には、戦災者に対する一時的な救済制度(戦時災害保護法、戦災者住宅建設等特別措置法など)が存在したが、戦後間もなく1946年までに廃止された。結果として、家を失った人々は自力で再建せざるを得ず、戦争犠牲者への救済措置も短期間で終了した。以後、民間人戦災者に対する国家的な医療・生活支援は行われなかった。
戦後数十年を経て、1980年代に入ると生存者たちは国家補償を求めて訴訟を提起した。しかし、政府と司法は一貫して「戦争被害は国民全体が等しく受忍すべきもの」との立場をとり、請求は退けられた。このため、日本国内の民間戦争被害者は、国家補償を受けられないまま今日に至っている。
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戦争犯罪なのか
現在の私たちから見て、原爆は戦争犯罪と言えるのだろうか。
1945年以降の数十年間を振り返ると、無差別爆撃の影響を抑制しようとする努力がなされてきた。最初は1949年のジュネーブ諸条約で、脆弱な民間人のために保護区域を設けることが提唱され、次いで1977年の追加議定書ではより明確に民間人への爆撃からの包括的保護が定められた。この制限は、国際刑事裁判所(ICC)を設立したローマ規程にも繰り返されている。
「この追加議定書の規定に照らせば、東京・広島・長崎の爆撃は今日では「戦争犯罪」と見なされることになる」、と教授は書く。しかし、「米英は追加議定書に核兵器を含めることに反対し、その使用が必ずしも国際法違反とならないようにしてしまった」。
「20世紀末から21世紀にかけてになってようやく、西側諸国において『民間人を意図的に標的とする』という戦略思想が明確に否定されるようになった。
米国では、2016年に国防総省が初めて士気をくじくために民間人を攻撃することはもはや法的に許容されないと認め、都市中心部への爆撃は『明白に』かつ『明示的に』違法であるとした。国連では、2017年に「核兵器禁止条約(TPNW)」が導入され、2021年1月に発効。122カ国が署名したが、日米英は署名しなかった」。
教授は、私たちは「なぜ原爆が使われたか」ではなく「なぜ使う『べき』とされたのか」に焦点を当てるべき、と主張する。
「相対的道徳」(道徳の基準は社会や文化によって異なり、一つの絶対的な基準は存在しないとする考え)が戦略を過激化させ、大量殺戮を正当化した、と説明する。
「法整備は進んだが、現実の戦争には適用されておらず、核戦争の抑止にも不十分」。空爆そして原爆の教訓とは「歴史の思考過程を理解し、それを繰り返さないことだ」。
ドイツと日本
日英の相互理解を促進する慈善組織「大和日英基金」は6月25日、オウヴァリー教授を招き「原爆が第二次大戦を終了させたのか」と題するオンラインセミナーを開催した。
講演の中で教授は日本が終戦に至った要因として米軍の空爆による打撃、数年間続いた戦争による人々の疲労と経済状況の悪化などをあげ、原爆投下がなくてもまもなく終戦を選ばざるを得ない状況にあったと持論を展開した。
質疑応答で米国による原爆投下の決定には日本人に対する人種差別感情があったのかと聞かれ、教授は「複雑な問題だ」と答えた後、敵であった「ドイツ人を見るようには日本人を見なかった」と述べている。





