原爆投下までの日米の過程をたどる、英ポッドキャスト「大統領と天皇」 なぜ取り上げたのか 書き手が語る

特に、2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻で始まったウクライナ戦争において、ロシア・プーチン政権は核兵器の使用をほのめかし、欧州は一気にきな臭い状況となっている。
80年前の原爆投下までの最終段階で、日米の指導者層は何を考え、どう対応したのだろうか?
その過程をたどる英ポッドキャスト「大統領と天皇(The President and the Emperor)」が8月末にリリースされた。トルーマン米大統領と昭和天皇を主人公にした7つのエピソードによるポッドキャストを制作したのは、独立プロ「メイド・イン・マンチェスター」。
ポッドキャストのプロデューサー&クリエイティブ・ディレクター、アシュリー・バーン氏はトルーマン米大統領と日本の昭和天皇がどのような思いをし、決定に至ったかの物語は「十分に語られてこなかった」とし、今回のポッドキャストによって正しい理解の一助になればと述べている。
トルーマンの孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏が大統領を演じていることも、話題になりそうだ。ダニエル氏は祖父についての本を複数著述し、2017年、大統領の人生の舞台化で初めてトルーマン役を演じた。2012年、トルーマン家として初めて広島を訪れ、被爆者らと面会している。
その活動については同氏のウェブサイトをご覧いただきたい。
広島訪問がきっかけ
このドキュメント・ドラマを執筆したのは、元BBCジャーナリスト、ガイ・スミス氏である。メールで「なぜ書いたのか」を聞いてみた。
以下はスミス氏の返答である。
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数年前、私は20世紀の歴史に関するテレビドキュメンタリーの撮影で広島を訪れました。平和記念資料館では、原爆で奇跡的に残った脆弱な遺品—子どもの三輪車や、8時15分で止まったままの腕時計—を目にし、言葉にできない感動を覚えました。
広島や長崎での破壊と命の喪失は比較的よく知られていますが、私はトルーマン大統領がなぜ原子爆弾投下を決断したのか、そして当時の日本の指導層の動きはどうだったのかを、より深く知りたいと思いました。
調べていくうちに、第二次大戦終盤の東京とワシントンで起きていたことには、非常に驚くべき物語があることに気づきました。それは、ぜひ語られるべきだと思います。
特に興味深かったのは、昭和天皇がモスクワを仲介にして米国との和平交渉を試みようとしたことです。しかし、大本営や政府内の一部はこれに強く反対しました。当時、天皇は戦争の終結を望んでいた一方で、陸軍を中心とした強硬派は徹底抗戦を主張していたのです。
今となっては、スターリンが日本を引き延ばしつつ、(ヤルタ会談での密約に基づいて)満州侵攻の準備を進め、アメリカより先に極東で影響力を拡大しようとしていたことも明らかです。
さらに驚くべきことに、広島・長崎への原爆投下やソ連の参戦後も、帝国陸軍の一部はなお降伏を拒みました。
最終的に日本が受け入れた降伏条件は、三週間前に拒否されていた条件(7月末のポツダム宣言)と大きく変わるものではありませんでした。
この21日間の間に、多くの命が失われたことは大きな悲劇です。原爆だけでなく、この期間中も続いた日本各地への爆撃による被害も甚大でした。
さらに、米国はポツダム宣言で、戦後も昭和天皇が天皇として存続し重要な役割を果たせることを明確にしていませんでした。もしそれが最初から説明されていれば、大本営は早期に降伏を受け入れ、多くの命が救われた可能性があります。
「大統領と天皇」では、戦争終盤の東京とワシントンでの舞台裏の意思決定の物語を描き、どちらの側も妥協を受け入れなかったために、多くの民間人が犠牲になったことを示しています。
冷戦終結以降、国際関係がかつてないほど緊張している現在、この歴史が教えてくれる教訓は非常に重要だと思うのです。
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筆者補足:ポツダム宣言の時点で「天皇の地位の存続」が明確に保証されていれば早期降伏につながった可能性があるとする見方があるが、軍の強硬派は他にも占領回避や戦犯処罰の免除などを求めており、必ずしもそれだけで早期に降伏できたかどうかについては、歴史学の間でも議論が続いている。
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天皇役を演じたのが、在英の俳優上枝(うえだ)貞雄氏である。上枝氏にはポッドキャストについてだけではなく、どのようにして俳優になったのかなども聞いてみた。次回で紹介してみたい。




