シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルとは 新著で「事件を呼ぶ男」の人生をたどる
英国の名探偵シャーロック・ホームズ。日本でも、その名を知らない人はほとんどいないだろう。
筆者自身、子どものころ夢中になってその活躍ぶりを本で読んだ記憶がある。「緋色の研究」(1887年)、「四つの署名」(1890年)、そして「バスカヴィル家の犬」(1902年)――どの順番で読んだかまでは覚えていないが、「バスカヴィル家の犬」に登場する怪物には身震いした。おそらく、子ども向けにやさしく書き換えられた版だったのだろう。
大学生になってから、いわゆる通常版を読み直した。物語の細部を忘れていたこともあり、2度目でも十分に楽しめた。
その作者がアーサー・コナン・ドイルである。子ども心に、「3つも名前があるなんて不思議だな」と思ったことを覚えている。
「シャーロック」で人気再燃
2010年、移住先の英国で出会ったのが、BBCドラマ「シャーロック」(2010~17年放送)だった。ベネディクト・カンバーバッチ主演のこの作品は、スマートフォンを自在に操る現代的なホームズ像を描き、新たな人気を呼んだ。
ドイルが医師として教育を受け、スコットランドの先輩医師がホームズのモデルになったことは知っており、新ドラマを楽しんでいたものの、作者自身についての理解は深まらないまま、ここまで来てしまった。
そんな折、ドイルの人物像を一気に知ることができる一冊が出版された。毎日新聞元ロンドン支局長で現在は外信部長の篠田航一氏による『コナン・ドイル伝 ホームズよりも事件を呼ぶ男』(講談社現代新書)である。
この本を読んで、長年の疑問も解けた。アーサーは名前で、姓は「コナン・ドイル」だったのだ。本の中では便宜上、「ドイル」としていたので、ここでもそうしたい。

なぜ、ドイル?
なぜドイルの伝記なのか。本書によれば、篠田氏自身も熱心なホームズ・ファンで、子ども用ダイジェスト版の「最初から最後まで一気に読めてしまう面白さ」に感動した一人だったという。大人になってからも繰り返し読み、ホームズ以外のドイル作品にも惹かれていった。
では、これらの作品を書いたドイルとは、どんな人物だったのか。篠田氏はその足跡を丁寧にたどっていく。
どんな人?
ドイルはスコットランドのエディンバラに生まれた。父はアイルランド系で、公務員であると同時に画家でもあった。母が語って聞かせた騎士道物語や冒険譚は、ドイルの豊かな想像力を育てたとされている。
のちにホームズ像へとつながる大きな影響を与えたのが、エディンバラ大学医学部時代の恩師、ジョセフ・ベル教授である。本書では、「長身で眼光鋭い」ベル医師が披露した鋭い観察眼のエピソードが紹介され、ホームズの原型が生き生きと描かれている。
大学卒業後、ドイルは医師として働きながら、雑誌に短編を書き始めた。ホームズが初登場する「緋色の研究」を書き上げたのは、26歳の時だった。
探偵コンビの初めての出会い
ホームズとワトソンが初めて出会った設定の場所は、ロンドンのセント・バーソロミュー病院の実験室である。篠田氏は実際にこの病院を訪れ、2人の出会いを記した記念プレートを確認している。フィクションであっても、こうした記念を大切にするところが、いかにも英国らしい。
実はホームズ・シリーズから抜け出したがっていた?
ホームズ・シリーズは爆発的な人気を博した。書き手としては最高にうれしいはずだったが、ドイル自身は「ホームズだけの作家」と見られることに満足していなかった。歴史小説など、他の作品にも力を注ぎ、篠田氏はそれらを丹念に読み解いて紹介している。
本書の副題「ホームズよりも事件を呼ぶ男」は決して誇張ではない。ドイルは冒険好きで、海に出たり、戦争が起きれば軍医として参加したりした。愛国的な記事を書いたことで勲章を受け、社会的名士ともなった。また、自ら「探偵」のように冤罪事件に関わり、無実を訴える人を支援した。
毎日新聞の記者を約30年続けてきただけあって、著者はドイルが訪れた場所を自分でも訪れ、撮影し、その写真を本の中に挟み込んで臨場感を出している。
その晩年
晩年、ドイルは心霊主義に傾倒していく。論理の人・ホームズの作者が霊の世界を信じたことに驚く読者も多いだろう。しかし本書を読むと、合理主義と心霊主義の共存は、19世紀末から20世紀初頭という時代の知的風土の中では、必ずしも不自然ではなかったことが見えてくる。
探偵小説の革新者であり、社会問題に声を上げる知識人であり、同時に霊的世界を信じたロマン主義者――ドイルは、実に多面的な人物だった。その幅の広さこそが、今なお彼の作品が世界中で読み継がれている理由の一つなのだろう。一読を勧めたい一冊である。




