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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

英高級スーパー、自閉症青年の雇用停止で問題に 4年間の無償勤務後、報酬を求めたら事態が急変

 「英国ニュースダイジェスト」に掲載の筆者コラムに補足しました。

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 今年秋、ニュースサイトで記事を読んだ後、気が沈む話がありました。英国の高級スーパー「ウェイトローズ」でボランティア(Volunteer)として無償で働いてきた自閉症の青年の家族が店に「若干の報酬」を求めたところ、「もう来なくていい」と言われてしまったのです。

 記事には店舗内で商品を棚に置く青年の写真が添えられていました。「障がいがある青年」、「高級スーパー」、「活動の場を失った」といういくつかのキーワードが心から離れません。

 10月の「テレグラフ」紙の初報記事には2000を超えるコメントが付き、多くの人にとっても衝撃的な話だったようです。


「居場所を見つけていた」

 自閉症のトム・ボイドさん(現在28歳)は、2021年から、英北西部マンチェスター近郊のチードル・ハルムにあるウェイトローズで、支援職員とともに商品の陳列や棚の整理を担当するボランティアとして活動してきました。母親のフランセスさんによると、トムさんは活動を通じて「生きる目的や居場所を見つけていた」そうです。

 トムさんはコミュニケーションが得意ではなく、将来の雇用や進学後の職業訓練コースの一環としてその店で活動を始め、週に2回、午前中にボランティアとして通い続けていました。店舗内でも活動ぶりを評価されるようになっていました。


報酬の話をしたら・・・

 今年7月、これまでの活動時間が約600時間に達したころ、フランセスさんが「いくばくかの報酬を支払ってもらえないか」と店側に相談したところ、ウェイトローズ本部が雇用停止の判断を下しました。理由はトムさんが「職務を全てこなすことができないから」でした。

 フランセスさんは完全雇用を求めたわけではなく、「一部だけでも支払いを」という控えめな願いだったにもかかわらず、ボランティアとしての配置自体が打ち切られてしまいました。筆者は突然行き場を失ったトムさんの境遇に悲しみと落胆を感じました。

 ウェイトローズの広報担当者は取材に対し「個別の件には回答できないが、優先的に調査する」と述べています。


基本的な保護は保障されていたが

 英国では、無償で働くことが基本となるボランティアには雇用契約がなく、従業員や労働者と同じ権利は認められていません。最低賃金の支払い対象ではなく、病気手当も受けられませんが、健康や安全の確保、年齢・人種・性別・障がい・性的指向などに基づく差別の禁止といった基本的な保護は、法律で保障されています。受け入れ組織には、適切な研修や監督を行い、保険や個人情報の管理にも配慮する責任があります。

 定期的な業務が義務付けられている場合、法的にはボランティアでも「労働者」と見なされる可能性もあります。ボランティア契約を交わしている場合、支援や研修の内容、経費補助などが明示されますが、契約書の締結自体は必須ではありません。


批判の嵐、巻き起こる

 フランセスさんが息子の窮状をソーシャル・メディアで発信すると、大手メディアが次々と報じ、瞬く間に店に対して批判の嵐が巻き起こりました。高級スーパーとして知られるウェイトローズが、障がいを持つ人を切り捨てたかのように映ったのです。

 グレーター・マンチェスター市長のアンディ・バーナム氏がXで「なんてひどい扱いを受けたのだろう。トムが新しい活動の場を見つける手助けをしたい」と投稿すると、約150万人がこの投稿を閲覧したといいます。

 これに続き、別のスーパー「アズダ」が行動を起こし、トムさんに週に2回の有償の仕事をオファー。ほかにも複数の慈善組織などが支援の手を差し伸べました。

 黙っていられなくなったのがウェイトローズです。前言を翻し、トムさんを「有給雇用として歓迎したい」と発表。しばらくの間、フランセスさんは2つのスーパーのいずれでトムさんが働くかを明らかにしませんでした。

 ある調査によると、英国では自閉症のある労働年齢層のうち、被雇用者はわずか10人中3人だそうです。

 ウェイトローズにはなぜ当初トムさんに扉を閉じたのか、理由を明確に説明してもらいたいところです。


その後

 さて、12月に入って、うれしいニュースが入ってきました。トムさんがアズダで働くことになったとフランセスさんが発表したのです。そうですよね、その方がすっきりします。

 ウェイトローズで一生懸命頑張ってきて、「もう来なくていい」といわれた時点で、信頼感は崩れてしまったのでしょう。「もとに戻ってきてもいいですよ」といわれても、今後また何かあるかもしれませんし、トムさんも混乱するでしょう。

 トムさんのアズダでの仕事が長く続くといいですね。


キーワード Volunteer(ボランティア)


 キャンペーン活動、募金活動、イベントやクラブの運営など、自分のコミュニティーや社会に利益をもたらすことを目的とした活動を行うため、自発的に無報酬で時間を提供すること、あるいはそうする人。ラテン語のVoluntas(自由意志)から派生し、17世紀ごろには主に「自ら志願して軍隊に入る兵士」を指す軍事用語に。


by polimediauk | 2026-01-04 19:46 | 英国事情