「政府の物語」を疑え 米PBSで放送の原爆ドキュメンタリー「ボムシェル」監督に聞く
米国の「核の傘」と日本の沈黙
原爆投下をめぐる評価は、日本では長く複雑な位置に置かれてきた。被爆者や市民社会は一貫してその非人道性を訴えてきたが、国家としての日本は日米安保体制のもと「アメリカの核の傘」に依存する立場から、原爆投下そのものを正面から批判することに慎重であり続けてきた。
2024年、被爆者団体・日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したことは、日本社会に静かな問いを投げかけた。
「日本はアメリカの核の傘の下で安全を保障されてきた。そのことが、原爆や核兵器を正面から批判しきれない空気をつくってきたのではないか」。被団協代表委員の田中熙巳さんはこのような趣旨の発言を繰り返してきた。
被爆国でありながら、核抑止の受益者でもある――そのねじれた立場こそが、日本社会に沈黙や逡巡をもたらしてきたという視点である。
原爆は、なぜ「正当化」され、どのように語られてきたのか。そして、その語られ方を私たちはどこまで問い直してきただろうか。
報道と権力を問うドキュメンタリー
米公共放送PBSのドキュメンタリー「ボムシェル(爆弾)」(1月6日放送・配信)は、原爆投下をめぐる歴史認識だけでなく、報道と権力の関係という現在進行形の問題にも光を当てている。
本作の監督ベン・ローターマン氏に、制作の背景と問題意識、そして「語られてきた原爆」をいま問い直す意味について話を聞いた。

米国での受け止め方
ローターマン監督は、アメリカ社会の空気について次のように語る。
原爆投下について、「アメリカでは、多くの人が『きっと正しいことをしたに違いない』と言いたがる。しかし私たちは、人々に目を覚ましてほしいと思っている。『忘れないでほしい、これは単純な話ではないのだ』と伝えたい」。
作品制作のきっかけとは
筆者:どのようにして、この映画づくりは始まったのか。
ローターマン監督:当時、ジョン・ハーシーの伝記『Fallout(フォールアウト)』(レスリー・ブルーム著、2021年)を読んでいた。高校10年生(15~16歳)のときにハーシーについて学び、社会正義を実践するジャーナリストとして強い印象を受け、その記憶がずっと心に残っていた。
伝記を読んでいた頃、連邦政府機関「全米人文科学基金」(National Endowment for the Humanities=NEH)から「次に何をやるのか」と尋ねられた。NEHは私の前作に資金を提供してくれており、その作品では、著名なゴシップコラムニスト兼ジャーナリストのウォルター・ウィンチェルを取り上げた。
そのNEHの担当者が、私がハーシーに関心を持っていることを知り、政府の「公式の物語」を伝えるジャーナリズムと、それに異議を唱えるジャーナリズムの役割を探るよう勧めてくれた。それが今回の企画の原点だ。
調査を進めるうちに、ジョン・ハーシーが突然現れた存在ではないことがわかってきた。彼は何かに「反応」して書いていたのである。では、ハーシーは何に反応していたのか。その問いを追ううちに、映画に登場する他の人物たちへとつながっていった。
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ウォルター・ウィンチェル(1897–1972年)とは:米国の著名なジャーナリストで、ラジオ・コラムニスト。特に1920年代から1950年代にかけて、新聞コラムとラジオ番組を通じて広く知られた。ハリウッドや政治界のスキャンダル、社会的事件を鋭く報道し、多くの読者や聴取者を持った。その一方で、鋭い政治批評や時事報道も行い、新聞とラジオを組み合わせたメディア戦略で大衆の情報消費の在り方に大きな影響を与えた。
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制作の過程
筆者:調査はいつごろから?
ローターマン監督:本格的に始めたのは2021年頃だ。このようなプロジェクトを立ち上げる際、まずそのテーマをよく知る研究者に連絡を取る。同時に、これまでに何が書かれ、何が作られてきたのかを徹底的に読み、観て、学ぶ。すでに語り尽くされていることなら、あえて取り上げる意味はないからだ。
2020年は原爆投下の75周年で、多くの研究者会議が予定されていたが、新型コロナウイルスの流行ですべてが中止になった。しかし、研究者たちはすでに新しい視点でアーカイブを調査し、論文執筆を進めていた。私たちはそれらを探し出し、あるいは直接送ってもらって読み始めた。
その中で、ジョン・ハーシーの物語とともに、マンハッタン計画に協力した『ニューヨーク・タイムズ』の記者ウィリアム・ローレンスについての新しい本が出版されていることを知った。
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ローレンスについては、2022年出版の研究書 Atomic Bill: A Journalist’s Dangerous Ambition in the Shadow of the Bomb(Vincent Kiernan, Cornell University Press)が、戦時中に政府と近接した報道を展開した彼の活動を詳細に検証している。
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ローターマン監督:私はハーシーの伝記の著者に電話をかけ、「ローレンスの行動とハーシーの仕事の間にある対立を意識していたか」と尋ねた。彼女はこう答えた。「本当は書きたかったが、編集者に止められた。ハーシーの伝記に集中するよう言われたからだ」。その言葉を聞いたとき、これは映画にすべき重要なテーマだと確信した。
「二人のジャーナリスト」から「報道と権力」へ
筆者:初めてこの映画を観たとき、二人の異なるジャーナリストの対決のように感じた。しかし見直すと、それは単なる個人の物語ではなく、政府の見解とどう向き合い、どう抗ったかという、報道と権力の関係そのものを描いていることがわかる。
ローターマン監督:その通りだ。私たちもその点に気づいたとき、現在のアメリカで起きていること――報道と政治の関係――を考えずにはいられなくなった。
いま主流メディアとペンタゴン(米国防省)の間には、防衛をどう報道するかをめぐって深刻な緊張関係がある。この映画には、そうした今日的状況に響く要素があると感じた。
日本での上映と反応
昨年9月、スタンリー平和安全保障センター(Stanley Center for Peace and Security)のプログラムの一環で、監督らは日本を訪れ、広島での上映会が開催された。
同センターはアイオワ州に拠点を置く非営利財団で、核兵器や気候変動などの地球規模課題に取り組み、政策提言や国際会議、ジャーナリスト支援を通じて議論と行動を促している。
今回の上映会には、広島県知事の湯崎英彦氏(当時)も参加し、被爆者の近藤幸子さん、桐明千恵子さん、ジャーナリストの太田昌克氏とともに、核兵器の歴史や現状について対話が行われた。
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筆者:広島での反応は?
ローターマン監督:日本人は、直接的に厳しいことを言わない傾向がある。しかし会場には被爆者もいれば知事もいて、全体として非常に温かく受け止められた。
アメリカが自らに語ってきた物語が、どこまで日本で共有されているかはわからない。しかし観客はこの映画に強い関心を示していた。

映画「オッペンハイマー」との対照
ローターマン監督:アメリカでは、特に若い世代が歴史を映画から学んでいる。書籍ではなく映像からだ。
私たちが「ボムシェル」を制作している最中に、映画「オッペンハイマー」が公開された。映画として評価できるが、最終的には政府が語ってきた「英雄的な物語」を補強しているようにも見えた。
しかし、それは同時に私たちにとって好機でもあった。ある作品が一方向の見方を提示しているなら、私たちは別の角度、より複雑な視点を提示できる。「オッペンハイマー」や「ハウス・オブ・ダイナマイト」のおかげで、人々が少なくとも核兵器について考えるようになっていると感じている。
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「オッペンハイマー」とはクリストファー・ノーラン監督が、「原爆の父」と呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた伝記映画。2023年公開。
「ハウス・オブ・ダイナマイト」とは、アメリカ本土を狙った正体不明の核ミサイルが発射され、その危機にホワイトハウスや軍関係者が対応を迫られる様子を多角的に描くポリティカル・スリラー。ネットフリックスで配信中。
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検閲と沈黙
筆者:BBCのドキュメンタリー「Atomic People」(アマゾンプライムで配信中)を観て、私は初めて、米進駐軍による占領下の日本では、原爆投下後の被害の実態が「プレスコード」によって報道されなかったことを知った。プレスコードとは、占領軍が設けた報道ガイドラインで、戦争や占領に関わる敏感な情報が自由に報じられないよう制限するものだ。
ローターマン監督:しかし、アメリカにも7年間、静かな検閲があった。だからこそ、ジョン・ハーシーが行ったことは本当に困難であり、驚くべきことであった。
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ここで言う「7年間の静かな検閲」とは、原爆投下後、米国でも政府が原爆に関する情報や報道を事実上制限していた時期を指す。占領下日本だけでなく、米国内でも放射線被害の実態や倫理的議論が十分に共有されなかった。ジョン・ハーシーが「広島」を発表した1946年から、報道制限が緩和される1950年代初頭までを目安に「7年間」と表現されることが多い。
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「単純ではない」という気づき
筆者:私自身もかつては、「恐ろしいことだが、必要だった」という米政府の説明を信じていた。しかし「ボムシェル」を観て、他の本を読むうちに、それほど単純な話ではないと実感した。
ローターマン監督:新しい世代の歴史家が新しい視点で資料を見直し、異なる評価を加えることが必要だ。それが「ボムシェル」での私たちの試みである。
ウィリアム・ローレンスをどう見るか
筆者:最初は、政府の公式見解だけを伝えるローレンスを「ひどい人物」だと思った。しかし見直すうちに考えが変わった。戦時下では多くの人が、戦争を正当化する言葉を語っていた。ジャーナリストとしては大きな失敗だったが、人間としては判断が難しい。
ローターマン監督:だからこそ、私たちがこの映画で提供したいのは「答え」ではない。「これが正しい考え方だ」と押しつけたいわけではない。私たちが伝えたいのは、「問いかけ、議論し、考え、学ぶ必要がある」ということである。
いま世界は、アメリカでも他の国々でも、きわめて深刻な状況にある。だからこそ、目をそらさず、気を散らさず、この問題に正面から向き合う必要がある。
筆者:なぜジャーナリストの視点に焦点を当てたのか。
ローターマン監督:当初は、ジョン・ハーシーの物語を描きたいという思いから始まった。しかし、彼の長編記事が原爆投下の翌年に発表されたことに注目すると、彼がそれ以前の報道すべてに「応答」していたことが見えてきた。そこから、ウィリアム・ローレンスと、アメリカ国民の支持を得るための政府のPRキャンペーンにおける彼の役割に行き着いた。
筆者:制作にはどれくらいの時間がかかったか。
ローターマン監督:約5年を要した。その間、資金調達を待つための長い中断もあった。本作は非常に伝統的なスタイルの映画であり、アーカイブ映像や写真、新聞記事の一つひとつが、それ自体で説得力を持たなければならなかった。そのため、膨大で地道な調査が必要となった。
筆者:制作を通じて視点は変わったか。
ローターマン監督:大きく変わった。
国際社会では、化学兵器や細菌兵器の使用を「戦争の道徳を超えたもの」として否定するコンセンサスが形成された。これは第一次世界大戦後に明確になった。
このため、トルーマン政権は、原爆を「新しい種類の通常兵器」として描かなければならないという困難な立場に置かれた。つまり、放射線という未知の要素ではなく、爆風と熱による破壊力で説明する必要があった。また、敵の人間性を考えるよりも、憎悪を煽るために人種差別がいかに強力に利用されたかも学んだ。
筆者:アメリカの視聴者に伝えたいメッセージとは?
ローターマン監督:私たちが伝えたいのは、取材の過程で学んだ教訓だ。すなわち、ジャーナリストは政府の発表に対して健全な懐疑心を持つべきであり、読者や視聴者もまた、メディアの語る物語に対して同様の懐疑心を持つべきだということである。
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日本での上映を願う
共同制作者のガイア・デ・シモニ氏は、映画を日本に再び持ち帰り、上映会を開催することを望んでいる。
「大学、とりわけジャーナリズム教育の現場で上映したい。『ボムシェル』は二つの異なるジャーナリズムのあり方を問う映画だ。対話を生み出したい。ニュースをどう受け取り、どう考えるのかを問い直したい」。
制作チームは、日本各地での上映会や議論の場の実現を目指し、ジャーナリズムの教育機関や市民団体との連携を模索中だ。
制作内容についての問い合わせは:
Ben Loeterman Productions, Inc. (BLPI) のメール: info@blpi.tv
上映会については:
「ボムシェル」のウェブサイトを通じて、このフォームから申し込む。
原爆はどのように語られてきたのか。その語られ方を、私たちはいま、どこまで問い直せるのか。「ボムシェル」は、その出発点を日本社会にも投げかけている。




