プロフィールとこのブログを始めた理由 その1
ブログの目的とプロフィール
英国では、自由がありすぎるのではと思えるほどのマスコミ(=メディア)が強大なパワーを発揮しています。報道の自由があるとされる国ですが、政治家や金持ち、メディア関係者自身が自分たちだけのグループを形成しており、例えば不正を行ったジャーナリスト自身をたたく・・・という自浄作用はやや弱いようにも見受けられます。その時々のニュース、トレンド、背景などを解説記事やインタビューなどでつづります。
筆者: 小林恭子(こばやし ぎんこ) メール ginkokoba@googlemail.com
1958年生まれ。ロンドン在住。大学では映画理論を専攻し、卒業後はどの職業に就くべきか見当がつかず、アルバイト生活。1985年、ようやくファースト・ボストン証券会社(当時)に勤務。英投資顧問グローブ・インターナショナル(当時)の調査部勤務の後、読売新聞社の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」にて、教育、経済などを担当し、2001年末より渡英。フリーランスで国際政治、英メディア業界に関する原稿を日刊ベリタ、経済誌、新聞業界紙、アルジャジーラ英語サイト、英国邦字紙「ニュースダイジェスト」などに寄稿。
何故ブログ?
このブログを開始して、約1年になる。
まだまだ、これ!という確固とした形が決まっているわけではないが、細々と続けているうちに、1年が過ぎた、という感じだ。当初の目的は、自分が取材で知りえた情報をできる限り全部(というのは無理なのだが)伝えることだった。
私が仕事で取材として会った人は、個人的に私に話すために会ったのでなく、何らかの形で、広く情報が伝わることを願って、何らかの役に立つことを願って、会ってくれている。ほとんどの場合、原稿の中で使うのは、話を聞いた中のほんの一部だ。残りの部分を、私が、ただ単にファイルにいれて、そのままにしておいていいのだろうか?いや、良いわけがない、という思いがあった。
この当初の目的はまだ十分に達成されておらず、何とかしたいと思っているが、「フリーランスのジャーナリストでブログをやっている人」の気持ちはどういうものか?という点を、日本新聞協会が毎月発行している「新聞研究」という雑誌の1月号に書いた。自分のことを書くのは非常に難しく、四苦八苦だった。また、トータルのアクセス数では一日に数万から数十万の読者を持つ方が他にたくさんいらっしゃるので、私でいいのだろうか?という思いもあった。
それでも、とりあえず、書いてみた。
以下は、その時の原稿に、書ききれなかった部分を足したものである。
最後に、「ブログジャーナリズムはどうなるか?」を書かないといけなかった。これが難しかった。私自身、予測ができないからだった。最後の最後まで、いろいろ恥ずかしかったが、とりあえず、「そういうことで・・・」。
(補足で、ブログ立ち上げのための、もともとのインスピレーションを与えてくれた糸井重里氏を2000年にインタビューした記事も載せた。)
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2004年12月末から、ブログ「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」を開始して、1年になる。英国のメディア界の動きやその時々の時事トピックを紹介、解説するブログだ。合計で約5万人の方が日々のエントリーを読みに来てくれた。
1年で5万というのは本当に微々たる数字であろうと思う。
しかし、その日のエントリーを書き上げ、送信ボタンを押すとき、私の原稿が不特定多数の人に読まれるであろうことへの期待、緊張感、楽しさは、かつて新聞社に勤めながら、はるかに多くの読者に向けて最終原稿を送ったときの緊張感や楽しさに決して劣るものではない。
気軽に書ける部分はあるものの、ブログ名には私の名前を出しているせいもあって、書いたものには、通常私が紙の新聞や既存のメディアに原稿を書くときと同様の責任を感じる。原稿を送った後で、「自分の言ったことは本当に真実を伝えているだろうか?」と心配になり、書き直して再送信することもしばしばある。(結果的に、何度か似た内容のものを受け取っている方もいらっしゃるかもしれない。この場を借りてお詫びしたい。)
フリーランス・ジャーナリストの立場から、何故ブログをやっているのか、を書いてみたい。
その前にまず私の経歴だが、2002年1月までの12年間、読売新聞英字新聞部に所属し、英字紙「デイリー・ヨミウリ」を編集していた。主に教育、経済などを担当しながら、取材から執筆、紙面制作などを一通り経験した。かつては組織内の記者として書き、現在はフリーで書いていることになる。
―簡易ソフトの出現と参加型ジャーナリズム
ブログ開始のきっかけは、大きく2つある。
1つには、2004年の時点で、エキサイトを含め、大手サーチ・エンジンが無料のブログ・サービスを提供していた点があげられる。これ以前にも、簡単にホームページを作れる、ということで多くのサーチ・エンジンやポータルサイトが、ユーザーにホームページを作るスペースを提供していたが、簡易日記風ホームページ=ブログのソフトは格段にシンプルにできていた。
個人で通常のホームページを作った場合、なかなか人が読みに来てくれない点が悩みだが、ブログの場合は、日記が更新されるたびに、運営しているサーチ・エンジンの共用スペースに題名と共に登場する。また、読者がコメントを残したり、トラックバックで自分自身のブログに相手のブログ内容をつなげたりなど、書き手と読み手が直接情報のやりとりができる。
当初は週に一度発行する形のメールマガジンを考えていたが、字が主であまり画像を入れないのが普通であることが気になった。かつて新聞社で紙面制作も含めた作業を手がけていたせいか、原稿に写真・画像をつけたい思いが強かった。
また、自分自身、あまり長いメールが送られてくると、読むがつらい。友人、知人からの手紙は長くても構わないが、果たして、海外の政治やメディアに関しての分析が定期的にメールボックスに送られてきた、人は読むだろうか?少なくとも、私は読まないかもしれないな、と漠然と感じた。
ニュースなどの情報をネットで得る若者が増えている・・といった表現をよく見聞きする。自分は「若者」ではないのだが、情報をネットで読む・見ることにあまりにも慣れてしまったので、政治やメディアの分析情報もウエブサイトの体裁か、テレビの解説番組など、何らかのビジュアルな情報の一環として受け取る形が最もしっくりくるのだった。
実際に、ブログがおもしろそうだなと思ったのは、共同通信の編集委員湯川鶴章氏の「ネットは新聞を殺すのかブログ」http://kusanone.exblog.jp/だった。
氏は、既存メディアのみがジャーナリズムを担うのでなく、一般市民を巻き込んだ「参加型ジャーナリズム」を提唱していた。たくさんの人が氏のブログを訪れ、コメントを残し、トラックバックをしていた。時には個人攻撃ともとられかねないコメントにも、湯川氏は丁寧に返事を書いていた。太っ腹な人だなあと正直感じ、敬服した。
どこまで太っ腹になれるか分からないが、自分もやってみたいと思うようになっていた。 (続く)