英貴族のドラマ「ダウントン・アビー」完結編公開 貴族はなぜ没落したのか 税制改革と大戦の衝撃
英国の貴族の物語「ダウントン・アビー」の最終作となる映画「ダウントン・アビー/グランドフィナーレ」が公開中だ。
舞台はイングランド北部ヨークシャー。物語は1912年に始まり、最終作では1930年までを描いている。貴族一家とその世話をする使用人のドラマが交互に展開していく。
前回は、1910年代から1920年代の貴族たちの華やかな生活ぶりを見てきた。広大な邸宅、舞踏会、季節ごとの移動、そして莫大な費用をかけた社交生活。しかし、この世界は1930年代までに急速に衰退していく。
なぜ、何百年も続いた英国の貴族社会は終焉に向かっていったのか。今回は、ドラマが展開する時代の階級制度と、その没落の過程をたどってみたい。
1912年 貴族社会の絶頂と暗雲
ドラマが始まる1912年当時、英国の貴族階級はまだ絶大な権力と威信を保っていた。広大な土地を所有し、その地代収入によって豪華な生活を営んでいた。ロンドンのタウン・ハウスと地方のカントリー・ハウスの両方を持ち、季節ごとに居住地を移す「シーズン」と呼ばれる社交生活を送っていた。
貴族院(上院)では世襲貴族が議席を占め、法案を審議し、時には否決する権限を持っていた。
ただし、この時点ですでに変化は始まっていた。1911年議会法の成立によって、貴族院の権限は制限され、庶民院(下院)の優位が制度上明確になりつつあったからだ。貴族たちは、自らの特権が揺らぎ始めていることを強く意識していた。
厳格な階級制度
1910〜1920年代の英国の大邸宅には、厳格な階級制度が存在していた。貴族と使用人は明確に分離された世界で生活していたが、同時に互いに深く依存する関係でもあった。
大邸宅によっては50人以上の使用人が働き、執事や家政婦長を頂点とする明確な序列があった。料理人、侍女、従僕、下働きのメイドや厨房係と役割は細かく分かれ、使用人同士でもその秩序を破ることは許されなかった。
表面的には主従関係でありながら、長年仕えた使用人は家族の内情を知り、時には主人以上に屋敷を理解していた。「ダウントン・アビー」で、長女メアリーと執事カーソンの関係に象徴されるような複雑な感情の結びつきを思い出す人も多いだろう。
結婚は基本的に同じ階級内で行われ、話し方、服装、マナーによって階級はすぐに判別できた。その名残は、現代の英国社会にもなお残っている。
女性の地位は、すべての階級で男性より低かった。貴族の女性は財産を相続できず、政治的権利もなかったが、社交界では一定の影響力を持っていた。長女メアリーが遺産を相続できないことから物語が動き出す設定は、当時の現実をよく反映している。
1912年という年の象徴性
1912年4月のタイタニック号沈没は、この時代を象徴する出来事だった。「沈まない船」と信じられていた巨大技術が、処女航海で沈没したように、永遠に続くと思われていた階級社会もまた、崩壊の瀬戸際にあった。
翌1913年には労働争議が激化し、1914年には第一次世界大戦が勃発する。戦争は、英国社会の構造そのものを根底から揺るがすことになる。
貴族没落の第一の打撃 税制改革
前回見たように、貴族の華やかな生活を維持するには莫大な費用が必要だった。その財源を直撃したのが、税制改革である。
決定的だったのは、1909年の自由党のロイド・ジョージ蔵相による「人民予算」だ。これは土地税や相続税を大幅に引き上げるもので、貴族階級に大きな打撃を与えた。
デビッド・ロイド・ジョージ(1863-1945年)はウェールズの貧しい家庭に生まれた。父親は小学校の教師で、彼が1歳の時に亡くなった。その後、母親と共に叔父の家に引き取られた。叔父は靴職人であった。非常に質素な環境で育ち、正規の高等教育を受ける機会もなかった。
この経験が、彼の貴族階級や既得権益層への強い反発心を形成したといわれている。独学で法律を学び、弁護士に。やがて政治家として頭角を現した。
英国では長らく国教会信者が政治・社会の中枢を占め、非国教徒は制度的・慣習的に不利な立場に置かれていた。ロイド・ジョージは、この「非国教徒」の出身だったため、支配階級に対して反発心を持ったとされる。
1909年の人民予算は、彼の出自と信念が反映された政策だった。貴族の土地所有に課税し、その収入を社会福祉(老齢年金など)に充てるという構想は、当時としては革命的だった。
相続税の破壊力
特に破壊的だったのが相続税の導入と増税だった。第一次世界大戦中とその後、戦費調達のために相続税率が急上昇した。1914年には最高税率が20%前後だったが、1919年には40%に引き上げられ、1930年代には条件によっては50%を超える場合もあった。
貴族の財産は主に土地であったため、相続のたびに多額の税金を現金で支払う羽目になった。前回見たように、貴族の財産は広大な土地、美術品、邸宅そのものだった。これらを現金に換えなければ、税金を支払えない。こうして、土地や美術品、家屋敷そのものを売却せざるを得なくなった。
貴族院の抵抗と敗北
1909年、ロイド・ジョージの「人民予算」は庶民院(下院)を通過したが、貴族が多数を占める貴族院(上院)で否決されてしまう。伝統的に、予算案を貴族院が否決することはタブーとされており、これは極めて異例の展開だった。
アスキス首相(自由党党首)とロイド・ジョージは、1910年1月に総選挙を実施し、「貴族か人民か」を国民に問う。自由党は辛勝し、これを「国民の信任」として貴族院に圧力をかけた。貴族院は最終的に1910年4月に予算案を承認せざるを得なくなった。
その後、英国の議会制度が大きく変わっていく。
自由党政府は1911年議会法を成立させ、これによって金銭にかかわる法案(予算案など)については、貴族院は最長1ヶ月しか遅延させることができないようにした。その他の法案でも、貴族院は最長2年しか拒否できず、庶民院が3会期連続で可決すれば成立することになった。「庶民院を優先」の現在の体制ができた。
この議会法を通すために、アスキス首相は国王ジョージ5世から「必要なら大量の自由党支持の貴族を新たに叙爵する」という約束を取り付けていた。つまり、貴族院で多数派を作ってしまうぞ、という脅しだった。そうなれば、自由党政権の思うままに法案が成立してしまう。これが貴族たちを妥協に追い込んだといわれている。
民主的に選ばれた庶民院の優位が確立され、世襲貴族の政治的権力は大きく削がれた。ロイド・ジョージは、単に一つの予算案を通しただけでなく、英国の政治制度そのものを変革したと言える。
この政治的攻防の後で、貴族たちが「時代の終わり」を感じるのも無理はなかった。
なぜアスキス首相は改革を支持したのか
ハーバート・ヘンリー・アスキス(1852-1928年)は、中産階級の出身だった。「中産階級」とは、貴族・上流階級ではなく、日本でいうと知識層や専門職層に近い位置にある。
アスキスの父はヨークシャーの羊毛商人で、決して貧しくはなかったが、大富豪でもなかった。オックスフォード大学に奨学金で進学し、優秀な成績を収めて弁護士になった。政治家として成功した後、裕福な未亡人と再婚し、上流社会の一員となった。
なぜアスキスが改革を支持したのかについては、いくつかの理由が考えられる。アスキスは自由党の伝統的な価値観、つまり自由、平等、機会の拡大を信じていた。彼自身が「実力主義」で這い上がってきた人物だったため、世襲の特権には批判的だったといわれている。
また、1900年代初頭、労働者階級の政治的覚醒が進み、労働党も台頭するなか、自由党が政権を維持するには、社会改革を進めて労働者層の支持を得る必要があった。何もしなければ、自由党は労働党に支持基盤を奪われる危険があった。
貴族院は保守党寄りで、自由党政府の法案をしばしば妨害していたことも要因だった。アスキスにとって、議会改革は党派的な利益にも合致していた。
1924年と1929-1931年に成立した労働党政権は、この流れをさらに加速させた。富の再分配を掲げ、累進課税を強化する政策を推進していったからだ。
貴族没落の第二の打撃 経済危機
税制改革だけではなかった。貴族の経済基盤そのものが、19世紀末から揺らぎ始めていた。
前回見たように、貴族の華やかな生活を支えていたのは、土地からの収入だった。所有する広大な土地を多数の農民に貸し出し、その地代を徴収していた。
ロンドンなど都市部に土地を持つ貴族は、さらに裕福で、例えばグロヴナー公爵家はメイフェアやベルグレイヴィアの大部分を所有し、莫大な地代収入を得ていた。
土地に炭鉱や鉱山があれば、採掘権の使用料も収入源となった。森林からの木材販売も収入になった。19世紀後半から、貴族も鉄道会社、銀行、海外植民地企業などに投資するようになったが、「商売をする」ことは品位に欠けるとされたので、直接経営には関わらず、投資収益を得るだけだった。
ダウントン・アビーのような大邸宅を維持するには、現代の価値で年間数億円から十数億円規模の収入が必要だった。使用人の給料、邸宅の維持費、社交費、娘たちを社交界にデビューさせる費用、息子たちの教育費など。
農業不況(1870年代〜)と第1次世界大戦の衝撃
貴族の経済的衰退は19世紀末から始まっていた。1870年代以降、アメリカやカナダから安い穀物が輸入されるようになり、穀物価格が暴落し、英国の農業は打撃を受けた。小作農の経営が悪化し、地代を支払えなくなったり、土地を放棄したりするケースが増えていった。貴族の主要な収入源である地代が減少し始めた。
第一次世界大戦(1914-1918)は貴族社会に壊滅的な打撃を与えた。
貴族の長男たち(相続人)が戦争で多数戦死し、人的損失が出た。ダウントン・アビーの冒頭で、タイタニック号で相続人が死んだという設定は、まさにこの時代の象徴だ。
戦費調達のため、所得税と相続税がさらに引き上げられた。
そして、多くの若い男性使用人が戦争に行き、戻ってこなかったり、戻っても使用人には戻らなかったりしたことで、労働力不足となってしまった。
社会意識の変化も大きい。
戦争は、階級の矛盾を浮き彫りにした。戦場で命を落としたのは、貴族の息子たちだけではなく、むしろ大多数は労働者階級の若者たちだった。工場で兵器を作ったのも、女性や労働者たちだった。こうした経験を通じて、彼らは「国を守ったのは我々ではないか。なぜ貴族だけが政治的権力を持ち続けるのか」と考えるようになった。
世界大戦と時代の変化
第一次世界大戦は、貴族と使用人の関係にも大きな転換点をもたらした。多くの男性使用人が戦争に行き、女性たちがこれまで男性の仕事とされていた役割を担うようになった。戦後は社会全体で民主化が進み、若い世代は使用人としての生活を選ばなくなっていった。
実際に、ダウントン・アビーのドラマの中では女性の召使の1人が秘書になるエピソードが描かれる。グランサム家の三女シビルは女性の権利向上を意識し、お抱え運転手と結婚をすることで、階級を飛び越えた。運転手からすれば、社会の民主化の1つの動きでもあった。
1912年にはサフラジェット運動(女性参政権運動)が激化していた。「Deeds, not words!(言葉ではなく行動を!)」は著名なスローガンの一つだ。翌13年にはサフラジェットの一人エミリー・デイヴィソンが、国王ジョージ5世の馬の前に飛び出し、抗議の意思を示そうとして轢かれて死亡している。
ドラマでは、シビルがサフラジェット運動に共感を示す場面があり、上流階級の娘が急進的な政治運動に関わることの葛藤が描かれている。当時の貴族社会にとって、女性参政権運動は「過激で危険」と見なされていた。
30歳以上で一定の財産要件を満たす女性に参政権が与えられたのは1918年で、21歳以上のすべての女性に参政権が認められ、男性と完全に平等になったのは1928年である。
1920年代 経済的困難の加速
戦後、貴族の経済状況はさらに悪化した。農業不況が続き、土地からの収入はますます減少し、戦後のインフレで生活費が上昇したが、収入は増えなかった。労働市場が逼迫し、使用人の給料を上げざるを得なくなった。それでも使用人を確保できず、邸宅の維持が困難になった。多くの貴族が土地や美術品、ロンドンの邸宅を売却し始めた。前回見た華やかなロンドンのタウン・ハウスも、この時期に次々と売却されていった。
1920年代から1930年代にかけて、経済的な圧力も増し、多くの貴族が大邸宅を維持することが困難になった。相続税の導入、土地からの収入の減少、そして新しい富裕層の台頭により、伝統的な貴族社会は衰退していった。
1929年大恐慌 最後の一撃
1929年の大恐慌がさらに追い打ちをかける。株式市場の暴落で、株式や債券に投資していた貴族は大きな損失を被った。アメリカ株に投資していた場合は特に深刻だった。恐慌で農業がさらに打撃を受け、小作農が地代を支払えなくなった。土地や建物を売ろうとしても、買い手がつかず、あるいは非常に安い価格でしか売れなくなってしまった。
これまで、経済的に苦しい貴族は裕福なアメリカ人女性と結婚して資金を得るという手段があった。「ダウントン・アビー」の伯爵夫人コーラがその例にあたる。しかし、大恐慌でアメリカの富裕層も打撃を受け、この「救済策」が使えなくなってしまった。
大恐慌で多くの人々が困窮する中、貴族の贅沢な生活への批判も強まった。
経済的困難に直面した貴族たちは、様々な対応を取った。使用人を削減し、邸宅の一部閉鎖、ロンドンの邸宅の売却、そして収入源の多様化である。一部の貴族は、邸宅を一般公開して入場料を取るようになった。また、 邸宅の一部を企業や団体に貸し出す場合もあった。
維持できず買い手もつかない邸宅は、1920年代から1930年代にかけて取り壊されたり、学校や病院に転用されたりした。
「ダウントン・アビー」が描く経済的現実
ドラマでも、こうした経済的困難が物語の中に組み込まれている。マシュー・クローリーがアメリカ人富豪の遺産を相続する、グランサム伯爵が投資に失敗して経済危機に陥る、邸宅の維持費をどう捻出するかという議論で意見が割れ、使用人の数を減らす必要性が話題に上った。こうした経済的現実が、高貴な生活様式の終焉という物語の重要なテーマになっていた。
カントリー・ハウスの運命
19世紀後半からの農業不況による荘園収入の減少、20世紀の2度の大戦による跡継ぎや使用人の喪失、そして相続税などの高額な税負担により、多くのカントリー・ハウスの維持が困難になった。その結果、数多くの邸宅が売却あるいは解体された。
歴史的に重要なカントリー・ハウスで現存しているのは1500から2000と言われ、そのうち多くは一般公開されたり、ホテルや学校などに転用されたりしている。
「ダウントン・アビー」の時代設定、1912年から1930年という時代は、まさにこの激動の時期を捉えている。何百年も続いた貴族社会が終焉を迎え、新しい時代が始まろうとしていた転換期だったのである。
前回見た華やかなシーズン、優雅なデビュー、広大なカントリー・ハウス——それらすべてが、税制改革、世界大戦、経済恐慌という三重の打撃によって崩壊していった。
ドラマ「ダウントン・アビー」は、この激動の時代を背景に、華やかさと没落、伝統と変革、階級と人間性という普遍的なテーマを描いている。貴族たちは特権を失い、使用人たちは新しい人生を歩み始める。階級の壁は少しずつ崩れ、女性たちは権利を獲得していく。それは終わりであると同時に、新しい始まりでもあった。華やかな世界が終わるとき、人々はどう生きるのか。その問いは、今の私たちにも響く。




