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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

核と制裁、反発と妥協 米とイランの「危うい均衡」――70年の愛憎史をたどる

 2月28日、米国とイスラエルはイランに大規模な軍事攻撃を始めた。国際法違反という批判の声も上がる中、中東全域を巻き込んだ戦争に拡大している模様だ。

 米国とイランの核をめぐる関係について、改めて振り返ってみたい。


イランと米国 核をめぐる歴史と現在

 イランと米国は、核開発や中東情勢を巡って厳しく対立してきた。

 しかし、両国は最初から敵対していたわけではない。20世紀半ばまでは、むしろ非常に親密な関係にあった。その後、政治体制の変化や歴史的出来事が積み重なり、現在の対立へとつながっている。

 両国の関係を理解するためには、冷戦期の協力関係から1979年のイラン革命を経て、核問題を中心とした現在の対立へと至る歴史的経緯をたどる必要がある。

イラン(外務省ウェブサイトより)
イラン(外務省ウェブサイトより)

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イラン・イスラム共和国とは:中東に位置し、面積約165万平方キロメートル、人口は約8900万人。首都はテヘランで、公用語はペルシャ語。主要民族はペルシャ人、宗教はイスラム教シーア派が中心で、1979年のイスラム革命以降、宗教指導者が実権を握る体制が続く。主要産業は石油関連。国際的には人権問題や女性権利への懸念が指摘されており、2022年にはヒジャブ問題を契機とした抗議活動が発生した。外交上はイスラエルを承認せず、中東和平でのパレスチナ難民帰還や住民投票の実施を主張している。

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かつては米の重要拠点

 第二次世界大戦後、イランは中東における米国の重要な戦略拠点となっていた。

 当時のイランはパフラヴィー(パーレビ)朝の王政国家であり、国王は強い親米路線を採っていた。冷戦下で米国はソ連の南方進出を警戒しており、イランは地理的にソ連と中東を結ぶ要衝に位置していたため、安全保障上の価値が極めて高かった。

 また、イランは世界有数の産油国であり、西側諸国にとって石油供給源としても不可欠であった。米国は軍事支援や経済援助を通じてイランの近代化を支援し、両国は政治、経済、軍事の各分野で密接な関係を築いた。


クーデターを機に反米感情

 しかし、この関係に大きな影を落としたのが1953年のクーデターだった。

 当時のイランのモハンマド・モサデク首相は、英国主導で運営されていた石油産業の国有化を推進。これに対し、英国と米国は自国の権益が脅かされると判断し、中央情報局(CIA)などを通じてクーデターを支援した。

 結果としてモサデク政権は崩壊し、国王の権力が強化された。この出来事は、イラン国内で「米国は民主的に選ばれた政権を転覆させた」という強い反米感情を生む契機となり、現在に至るまで歴史的記憶として残っている。

 その後、国王は急速な西洋化政策と経済開発を進めたが、政治的には独裁体制を強化し、秘密警察による弾圧が社会不満を拡大させた。急激な近代化は貧富の格差を拡大させ、宗教勢力や知識人層の反発を招いた。


イラン革命

 こうした不満が爆発したのが1979年のイラン革命だ。イスラム教シーア派の宗教指導者ホメイニ氏が革命を主導し、王政は崩壊、イスラム共和国が成立した。

 この革命は単なる政権交代ではなく、西洋の影響を排除しイスラム原理を国家の基盤とする体制転換であり、対米関係も根本から変化した。


米国大使館人質事件

 革命後、両国の敵対関係を決定づけたのが同年の米国大使館人質事件だ。

 革命派学生がテヘランの米大使館を占拠し、外交官ら52人を444日間拘束した。この事件は米国世論に強烈な衝撃を与え、両国は国交を断絶。以降、米国はイランに対する経済制裁を強化し、イランは反米主義を国家理念の柱として掲げるようになった。


核開発問題

 1990年代以降、両国対立の中心はイランの核開発問題へと移った。

 イランは核開発が発電など平和利用を目的としたものだと主張しているが、米国や欧州諸国は、核技術が核兵器開発につながる可能性があるとして強い警戒を続けてきた。

 欧米側の懸念は、イランが核兵器を保有すれば、サウジアラビアなど周辺国も対抗して核開発を進める可能性があり、中東全体で核拡散が起きかねないというものだ。また、米国は同盟国イスラエルの安全確保を重要視しており、イランの核武装は受け入れられないとの立場を取っている。


核不拡散条約(NPT)の構造上の矛盾

 こうした欧米の姿勢の背景には、核兵器の拡散を防ぐために各国が参加している「核不拡散条約(NPT)」という国際ルールがある。

 NPTは、核兵器保有国と非核保有国の関係を規定する。加盟国は核兵器を保有しない義務を負う一方、既存の核保有国には保有が認められる。イランはNPT加盟国として、平和利用は認められる立場にあるが、欧米は、この条約に基づきイランに核兵器開発を行わないよう求めていると説明している。

 ただし、この構図には矛盾がある。NPTでは、米国やロシア、中国、英国、フランスの5か国のみが「核兵器を保有している国」として特別に認められており、それ以外の国は核兵器を持たないことを義務づけられている。

 さらに中東に目を向けると、イスラエルは核兵器を保有していると広く考えられているものの、同国はNPTに加盟しておらず、核施設の国際査察も受けていない。

 イスラエルは中東で唯一、米国と極めて強い同盟関係にある国だ。米国は長年にわたり軍事支援や外交面でイスラエルを支えており、イスラエルの安全確保は米国の中東政策の柱の一つとされる。

 このためイラン側は、「欧米は自らや同盟国には核兵器を事実上認めながら、自国には放棄を求めている」として、不公平な二重基準ではないかと強く反発している。

 イランの核問題をめぐる対立は、国際条約に基づくルールを重視する考え方と、国際政治における力関係や安全保障上の思惑が重なり合ったものとなっている。


いったんは核合意が成立したが

 2015年、イランは米国や欧州を含む主要国と核合意(包括的共同行動計画、JCPOA)を締結した。合意では、イランが核活動を制限し、国際原子力機関(IAEA)の査察下で核兵器開発の懸念を緩和する代わりに、経済制裁の解除を受ける内容であった。革命後の両国関係における最大級の改善とみなされた。

 イランが合意に応じた背景には、長年の経済的圧力がある。

 2006年ごろから、米国や欧州連合(EU)はイランの核開発を懸念し、国連安保理決議に基づいて段階的な経済制裁を実施した。制裁は石油輸出や金融取引、貿易全般に及び、イラン経済に深刻な影響を与えた。このため核合意は、イランにとって単なる外交上の妥協ではなく、経済的圧力を緩和し、国民生活や輸出収入を回復させる現実的な選択だった。


米国が核合意から離脱

 2018年、トランプ政権(第1次)は核合意から離脱し、対イラン制裁を再開した。

 米政権側は、合意がイランの核開発を長期的に十分抑制できないことや、イランの地域における軍事的影響力の拡大を懸念していたと説明している。さらに、米国と強い同盟関係にあるイスラエルは、イランの核能力を「存在するだけで脅威」と見なしており、トランプ政権はこの安全保障上の配慮も重視したとされる。

 こうした背景から、米国は「最大圧力政策」を打ち出し、経済制裁の再開を通じてイランの核開発や地域での影響力行使を抑制しつつ、外交的交渉における圧力を強化する狙いを示した。

 一方で、欧州主要国(英仏独)は核合意を維持する意向を示し、イランとの経済取引を支援する独自の仕組み(INSTEX)を導入するなど、合意の実効性を部分的に守ろうとした。このため、米国離脱後もイランは一定の核活動制限を維持し、IAEAによる査察も継続された。

 それでも米国による制裁再開の影響は大きく、イラン経済には深刻な圧力がかかり続けた。加えて、イランが中東各地の武装組織への支援を続けていることを理由に、米国やイスラエルは地域の安全保障への懸念を強めた。


イスラエル先制攻撃、「国際法違反」?

 2025年6月13日、イスラエル軍はイラン国内の核関連施設に対し先制攻撃を実施した。フォルド、ナタンズ、イスファハンなど地下深くに設置された施設を標的とし、イランの核開発を阻止する狙いがあったとされる。

 これを受け、6月21日には米国も軍事的支援に加わり、B-2戦略爆撃機やトマホーク巡航ミサイルで攻撃を行った。フォルドの核施設は山の地下深くに掘られており、少なくとも100〜200メートルの深さがあると分析されるなど、防御力を高めて構築されており、破壊は容易ではない場所であった。米軍は地下深く貫通爆弾を使用したとされる。

 米国側は、攻撃により核開発を一時的に遅らせ、地域の安全保障を守る必要があったと説明している。

 一連の攻撃は欧州諸国に大きな衝撃を与えた。イスラエル単独、あるいは米国と共同での攻撃が国際法違反や主権侵害に当たる可能性を指摘し、外交的解決の重要性を強調した。


放射線リスクとIAEA査察状況(2025〜2026年)

 核施設への攻撃により懸念されるのは、放射性物質の漏出や環境への影響だ。

 専門家の中には「チェルノブイリや福島第一のような大規模被害には至らない」とする見方もあるが、地下施設での作業や核物質の種類によっては局地的リスクが残る可能性が指摘されている。

 IAEAのグロッシ事務局長は、攻撃後に放射性同位体が施設内で広がった可能性や化学的汚染があるとの報告を示した。ただし、外部環境や周辺住民への放射線レベルは通常の範囲にあり、大規模な放射能被害には至っていないと説明している。

 イスラエル・米国による攻撃以降、IAEAの査察は一時的に停止された。

 その後、2025年後半には一部施設で限定的な査察活動が再開されたものの、フォルドやナタンズなど重要施設へのアクセスは未だ制限されている。2026年初頭時点でも、IAEAは高濃縮ウランの正確な所在を確認できておらず、核物質管理の連続性が失われていると報告している。


核をめぐる国際政治の矛盾

 イランの核施設への攻撃と、IAEAの査察活動が十分に機能していない現状は、国際社会が抱える難題を浮かび上がらせている。

 核不拡散条約は理想として全ての国の核兵器開発を防ぐことを掲げるが、実際には核兵器保有国と非核保有国の間で不均衡が生じているという批判が根強い。

 NPT枠組みの下で既存の核保有国が特権的地位を維持する一方で、イランのような国にはより厳しい制限が課されるという見方は、中東の核問題を一層複雑にしている。


抗議運動と米国の関与

 近年、イラン国内では経済悪化や政治統制への不満を背景に抗議活動が拡大している。特に若者や女性を中心に、政治体制や宗教規制への批判が広がる。

 国外の亡命者コミュニティや人権団体の支援もあり、米国は人権・民主化支援の名目で反体制派メディアや市民団体への資金提供や情報発信を行ってきたとされる。

 現在の抗議活動を米国が直接組織した証拠はないが、関与しているという疑念が出る背景にはこれまでの介入の歴史がある。


米国の体制転換政策(レジームチェンジ)の歴史

 米国は冷戦期以降、敵対国の政権に影響を与えようとする「体制転換(レジームチェンジ)」の介入を行ってきた。代表例は1953年のイラン、1954年グアテマラ、1973年チリ、2001年アフガニスタン、2003年イラクなど。CIAによる秘密工作、資金支援、情報戦、亡命者組織支援など、多様な手法が用いられてきた。

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 今回の攻撃では、イラン最高指導者のハメネイ師が殺害されてしまった。

 今後、イランばかりか、中東全域、そして世界各地への様々な波紋が広がっている。


by polimediauk | 2026-03-01 22:38 | 政治とメディア