戦火はなぜ世界の食卓と人道支援を脅かすのか イラン戦争・複合危機の構造 新たな避難民が数百万人規模に
米国とイスラエルによるイランへの攻撃、そしてイランからの報復攻撃によって、戦火は広がるばかりだ。
開戦からわずか3週間で、イラン国内だけで最大320万人が住む場所を失い、レバノンでは70万人以上が避難を強いられている。中東全体ではすでに2500万人近くの避難民が存在しており、その数は今も増え続けている。
筆者が住む英国では光熱費の高騰、それに伴う物価全体の高騰に加え、長距離航空運賃の先行き不透明感が募っている。「ぼやぼやしていると、日本に帰れなくなるほど航空運賃が高くなるのではないか」という懸念が深まる。
世界的に見ると、一体どのような影響が出ているのか。
米外交問題評議会(Council on Foreign Relations、略称CFR)の国際問題研究員、サム・ヴィガースキー氏の分析(3月12日付)を紹介してみたい。同氏はイランをめぐる戦争が単なる地域紛争にとどまらず、世界規模の人道支援システムそのものを揺るがす複合危機を引き起こしていると指摘している。
ヴィガースキー氏が所属するCFRとは、1921年にニューヨークで設立された米国を代表する独立系・超党派のシンクタンクで、国際政治・外交・安全保障・経済などの分野で専門的な政策研究と提言を行う。外交政策誌「フォーリン・アフェアーズ」の発行元としても知られる。独立した立場から国際問題を分析することを使命としており、その見解は米国の外交政策論議に大きな影響力を持つ。ただし、ヴィガースキー氏は、今回の論考は「著者個人の見解と意見を述べるもの」としている。
世界の物流の要、ドバイが機能不全に
ヴィガースキー氏がまず問題として取り上げるのは、国際的な人道支援の物流拠点そのものが機能不全に陥りつつあるという事実だ。
カギを握るのが、アラブ首長国連邦(UAE)を構成する七つの首長国のひとつ、ドバイ。ペルシャ湾とホルムズ海峡に近く、アジア・欧州・アフリカを結ぶ中継地点にあたるこの地には、中東最大のコンテナ港であるジェベル・アリ港があり、世界有数の物流ハブとなっている。
そのドバイに「国際人道都市(IHC)」がある。2003年にドバイ首長国が設立した非営利の人道支援拠点で、国連世界食糧計画(WFP)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)をはじめ国連機関やNGOなど約80の組織が集積する。過去20年以上にわたって、世界各地の紛争や自然災害への緊急支援を低コストで調整する「人道支援の司令塔」として機能してきた。
そのドバイが、今や危機の震源地に置かれている。
3月1日、IHCから車でわずか10分の距離にある中東最大のコンテナ・ターミナル、ジェベル・アリ港が、迎撃されたイランのミサイルの破片を受けて炎上した。
国連国際移住機関(IOM)は、輸送コンテナへの3000ドル(約45万円)の緊急割増料金が課されていると報告しており、国連世界食糧計画・WFPはサプライチェーンへの圧力が救命活動のコストを押し上げていると警告している。命を救うはずの物資を積んだコンテナが、ドバイの港で手つかずのまま積み上がっている。
「かつて世界の人道支援システムの要だったドバイが、今やその『アキレス腱』になりかねない」、とヴィガースキー氏は言う。
三つの市場ショックが重なり合う
物流の混乱だけにとどまらない。ヴィガースキー氏は、イランの戦争が引き起こす三つの経済的ショックが世界規模の食料危機を加速させていると分析する。
ドル高と食料価格の高騰
3月1日以降、投資家の「安全資産への逃避」によってドル高が進んでいる。
これは一見、米国にとって有利な動きに見えるかもしれない。しかし、小麦や穀物など、世界市場で取引される食料品はドル建てで値段が決まるため、食料の多くを輸入に頼る経済的に脆弱な国々では、輸入食料品がいっそう手の届かないものになる。
肥料供給網の寸断
農業を営む人々にとっては、別の衝撃が忍び寄っている。
農作物を育てるには肥料が欠かせない。中でも広く使われる窒素肥料は天然ガスを原料として生産されており、その世界供給の多くが湾岸諸国の輸出ルートを経由している。
UAEの首都アブダビに本拠を置く世界最大級の肥料メーカー「フェルティグローブ」は、3月4日時点で通常通りの生産を続けていると報告しているが、ホルムズ海峡の封鎖状態により、製品をUAEから出荷することができないでいる。
農家は肥料価格の高騰を受け入れるか、肥料の使用を断念するかという、どちらを選んでも作物の減収につながる選択を迫られる。
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ここで、筆者から若干情報を補足してみたい。
欧州・日本など先進国への影響
肥料が不足・高騰すると、農家はコスト増を価格に転嫁するため、食料品全般の値上がりにつながる。具体的には小麦・トウモロコシ・大豆などの穀物、そこから派生するパン・パスタ・食用油・畜産物(飼料が高騰するため)など。
ただし先進国は代替調達ルートを持っていたり、備蓄があったりするため、影響は「値上がり」として現れるのが主で、食料が手に入らなくなるわけではない。家計への打撃、インフレの再燃という形となる。
途上国への影響
こちらははるかに深刻となる。
先進国と違い、代替調達の余力がなく、通貨も弱い。肥料が買えなければ農業生産そのものが落ち込み、食料不足から飢饉という連鎖に直結する。
アフリカ北東部に位置するスーダンは、長年の内戦によって「深刻な人道危機」と呼ばれる状態にある。その国が肥料の50%以上をペルシャ湾岸地域から輸入しているという事実は、今回の供給断絶が直接、食料生産の崩壊につながりかねないことを意味する。
同じ肥料不足でも、欧州や日本では食料品の値上がりとして家計を圧迫する一方、輸入依存度の高い途上国では飢饉への直接の引き金となりかねない。危機の重さは、国によって全く異なる。
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原油価格の急騰と支援活動への打撃
ドル高、肥料不足に続いて、ヴィガースキー氏が挙げる三つ目の衝撃が、石油だ。
北海ブレント原油のスポット価格は、開戦から一週間で21%上昇し、3月9日の日中取引では、原油の国際取引単位であるバレル(約159リットル)あたりの価格は110ドル(約1万6500円)近くに達した。その後急落したものの、価格は依然として乱高下を続けている。カタールはバレルあたり150ドル(約2万2500円)を超える可能性を警告している。
人道支援の現場では、燃料費の上昇は活動の根幹を揺さぶる。医薬品をトラックで運ぶことも、医療施設でディーゼル発電機を回すことも、すべて燃料費がかかる。支援組織の財布はじわじわと、しかし確実に削られていく。
複合危機(ポリクライシス)へ
ヴィガースキー氏は、これら三つのショックが単独でも深刻だが、それが重なり合うことで「複合危機(ポリクライシス)」が生まれると警告する。物流の麻痺、ドル高、肥料不足、原油高騰——これらが相まって、食料不足に苦しむ人々を緊急事態へ、すでに緊急事態にある人々を飢饉へと追い込もうとしている。
中東各地で膨れ上がる難民・避難民の波
経済的な衝撃と並行して、人々の「移動」という問題も急速に深刻化している。
米国とイスラエルによる「エピック・フューリー作戦」開始以前から、中東地域はすでに2500万人の避難民を抱えていた。そこに今回の戦争が新たな波を加えた。イラン国内では最大320万人、レバノンでは70万〜80万人——レバノンの人口(約590万人)の約7分の1——が住む場所を失っている。中東全体の避難民の数は、急速に膨れ上がり続けている。
レバノン——崩壊寸前の国での新たな波
レバノンは、イスラエルと国境を接する人口約590万人の中東の国だ。日本の四国の人口をやや上回る程度の国土に、長年の経済崩壊と難民流入が重くのしかかってきた。
国内にはイランの支援を受けるイスラム系武装組織「ヒズボラ」が強い影響力を持ち、イスラエルとは長年にわたって断続的な衝突を繰り返してきた。
今回のイラン攻撃を機に両者の緊張が再び高まり、レバノン南部では砲撃や空爆が相次いでいる。
こうした事態を受け、国際NGO(非政府組織)のマーシー・コープスは3月4日、今回の危機が1か月以内に収束したとしても、最大50万人——レバノンの人口の約1割——が住む場所を失う可能性があると予測した。
現実は、予測をも上回るスピードで進行している。
UNHCRは現在、レバノン国内の避難者数が約70万人に達したと推定しており、3月4日時点の予測(最大50万人)をわずか数日で超えてしまった。
440か所に及ぶ避難施設——学校や公共施設も含む——の多くはすでに収容限界を超え、路上で眠る人々が出ている。事態はあまりに深刻で、かつてレバノンに安全を求めてきたシリア難民たちが今度はシリアへと逆流しており、UNHCRは過去1週間だけで3万人以上の出国を報告している。
イランからの難民流出——「第二のシリア」への懸念
欧州各国の首脳は、イランからの大規模な難民流出の可能性に警戒を強めている。
ドイツのメルツ首相が「イランを第二のシリアにしてはならない」と警告した言葉には、重い背景がある。シリア内戦が生んだ難民はピーク時に約600万人に達し、トルコ・レバノン・ドイツ・ヨルダンなど世界各国に分散して避難生活を送っている。
この規模の難民危機が、今度はイランを震源に繰り返されるかもしれない——そうした恐怖がメルツ発言の背景にある。
イランの人口はシリア(約2200万人)の4倍以上、9000万人に上る。仮に10%が流出すれば900万人——シリア危機をも上回る、第二次世界大戦以来最大規模の難民危機となりかねない。
現時点では10万人がテヘランから逃れているが、国境を越えた大規模な流出はまだ報告されていない。
UNHCRは1984年以来イラン国内で活動しており、6つの現地事務所と豊富な経験を持つ。ただし、昨年トランプ政権がUNHCRへの米国支援を60%削減し、国務省の難民・移住問題担当部署の専門家のほぼ全員を解雇したため、UNHCRは弱体化した状態でこの危機に臨んでいる。
ガザ——すでに崩壊寸前の状況がさらに悪化
人口の3分の2が避難民キャンプで生活しているパレスチナ地区ガザでは、イランをめぐる戦況の激化が、すでに深刻な人道緊急事態に追い打ちをかけている。
イスラエルが全ての国境検問所を閉鎖したことで支援物資の在庫が枯渇し、ガザとエジプトを結ぶラファ検問所をはじめとする複数の検問所は依然閉鎖されたままだ。医療搬送は停止され、国連はガザでの基本的な業務を維持するために必要な燃料の半分しか搬入できていない。
問われる米国の意思——55億ドルの行方
最後に、ヴィガースキー氏は一つの具体的な行動を米国に求める。議会がすでに承認した55億ドル(約8000億円)の人道支援資金を、今すぐ放出せよ、と。
今この瞬間、国連世界食糧計画(WFP)・国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)・NGOの活動のためにその資金が、米国務省の中で使われないまま眠っている。議会が承認した資金であっても、政権が放出しなければ現場には届かない。
そもそも55億ドルという金額は、米国の人道支援としては決して十分な額ではないと同氏は言う。
米国の人道支援拠出額は2024年の141億ドル(約2兆1000億円)から2025年には64億ドル(約9600億円)へと半減以下に落ち込んでいる。外国援助全体では2024年の680億ドル(約10兆2000億円)から2025年には320億ドル(約4兆8000億円)へと、やはり半分以下に削減された。
55億ドルの人道支援資金は、かつての水準には遠く及ばない。
しかし、議会がイランとの戦争をめぐる補正予算の審議を控える今、まずこの承認済みの人道支援資金を動かすこと。それがヴィガースキー氏の求めだ。
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【背景解説】「善意と国益が一致した」場所——ドバイにIHCが生まれた理由
アラブ首長国連邦(UAE)を構成する七つの首長国のひとつ、ドバイはアジア・欧州・アフリカの結節点に位置しており、世界人口の約3分の2に4〜8時間以内でアクセスできる。この地理的優位性を「人道支援」という分野で制度化することは、既存のインフラへの自然な投資でもあった。
UAE(人口約1157万人)は石油依存からの脱却を国家戦略として掲げており、金融・観光・物流・医療などあらゆる分野で「世界のハブ」となることを目指してきた。IHCもその一環として、物流産業の高度化と雇用創出に貢献している。
UAEが国連機関やNGOを誘致し、世界の人道支援の拠点となることは、国際社会における存在感と発言力を高める効果がある。「人道支援の旗手」というイメージは、外交上の強力な資産だ。
設立年の2003年はイラク戦争の年と重なる。中東が不安定化する中、UAEが人道支援の拠点として名乗りを上げることは、米国や欧州との関係を強化し、「穏健な親西側のアラブ国家」というポジションを確立する狙いもあったと見られる。
ドバイのモハンメド首長による設立は、「慈悲深い統治者」というイメージを国内外に示す効果もある。湾岸諸国では、統治者の個人的な慈善活動が政治的正統性と深く結びついている。
しかし、UAEには複雑な側面もある。
2015年、UAEはサウジアラビアとともにアラブ連合軍を形成してイエメン内戦に軍事介入した。 イエメンはアラビア半島南端に位置するUAEの隣国で、この内戦は国連から「世界最悪の人道危機」と称され、犠牲者は2020年までに10万人以上、200万人以上が故郷を追われた。
世界最大の人道支援ハブを抱えながら、同時に人道危機を生み出す紛争に加担しているという矛盾がある。
ドバイのもう一つの顔
1千万人を超えるUAEの総人口のうち、UAE国籍を持つ人は約11〜12%、約130万人に過ぎない。残りの約88%は外国人居住者が占めている。
ドバイは外国人・UAE国籍者を合わせた総人口が約400万人で、UAE国籍保持者は数十万人と見られている。
外国人が多い理由には複数ある。まず、石油収入による急速な開発だ。UAEは1970年代以降、石油マネーを元手に砂漠の中に都市を建設した。しかし元々の人口が極めて少なく、建設・インフラ整備のために大量の労働力を海外から招き入れる必要があった。
また、独自の雇用主スポンサー制度のもと、外国人労働者は雇用主に身分を紐付けられる形で入国するため、大量の労働者を組織的に受け入れる仕組みが整っている。インド・パキスタン・バングラデシュ・フィリピンなどからの労働者が特に多い。さらに税制上の優遇と規制の少なさから、欧米や日本などの企業駐在員や富裕層も集まりやすい環境がある。
UAE国籍者は手厚い国家補助(無償教育・医療・住宅補助など)を受けられるため、外国人労働者に頼らずとも生活できる一方、外国人には永住権や市民権がほぼ与えられていない。つまり「来て働いてもらうが、永住はさせない」という構造が長年続いている。




