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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

5年目のウクライナ戦争 欧米の分裂、止められない犠牲

 新聞通信調査会が発行する「メディア展望」3月号掲載の筆者記事に補足しました。

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 ロシア・プーチン政権によるウクライナへの全面侵攻から4年、戦争は5年目に入った。

 米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)の調べによると、ロシア軍の死傷者・行方不明者は約120万人、この中で戦死者は27万5000から32万5000人と推定されている。ウクライナ軍の死傷者・行方不明者は50万から60万人で、戦死者は10万から14万人。そして、今も続いている。

 これまでのウクライナ戦争と欧米の対応を見ていると、残念な思いがする。最初からもっと深く関与し、停戦を目指すことはできなかったのか。


「欧州は万華鏡のような存在」とゼレンスキー大統領

 今年の年明けは、米国によるベネズエラへの攻撃、マドゥロ大統領(当時)の拘束という衝撃的事件で始まった。トランプ米大統領は、今後ベネズエラを「米国が面倒を見る」と明言したが、主権国家を武力攻撃し政権交代に至る光景は、1月20日、ダボス会議でカナダのカーニー首相が語ったまさに「世界秩序の危機」と言えよう。

 カーニー氏の演説は称賛を浴びたが、欧州により深く突き刺さったのは、ウクライナのゼレンスキー大統領の演説(1月22日)ではなかったか。

 同大統領は欧州が凍結したロシア資産を活用できていないと批判し、欧州を「小・中堅国が断片的に寄せ集まった万華鏡のような存在」と表現した。

 米軍の攻撃で身柄を拘束されたベネズエラのマドゥロ前大統領はニューヨークで裁判にかけられているが、「残念ながらプーチン大統領は裁判を受けていない」という指摘にハッとしたのは筆者だけではないだろう。

 2022年2月のロシアによるウクライナへの全面侵攻以降、欧州の指導層は軍事費増大への圧力と核不安の中で、右往左往しているように見える。ここまでの数年を振り返ってみる。


西側の分裂と再軍備

 全面侵攻直後、欧州は歴史的転換を迫られた。

 ドイツのショルツ首相は「時代の転換点」を宣言し、1000億ユーロ(約18兆円)の特別基金を創設、GDP比2%以上の国防費支出を表明した。ポーランドはGDP比4%超に引き上げ、エストニアやラトビアも3%前後に拡大した。 

 北大西洋条約機構(NATO)加盟国の防衛支出は2025年に総額1兆ドル(約157兆円)を超え、欧州各国は急速な再軍備に踏み出した。

 制度面でも変化は顕著だ。

 ラトビアは徴兵制を復活し、数万人規模の予備兵力を整備。リトアニアも動員制度を強化した。ポーランドは大規模動員体制を構築中で、国民皆兵に近い形で予備役を編成している。フィンランドはNATO加盟前から徴兵制を維持し、定期的な演習で兵力を活性化している。フランスやドイツも志願制兵士の拡充や無人戦闘機、長距離ミサイルの開発・調達など、近代兵器の整備を進めている。

 NATO拡大も象徴的な変化だ。フィンランドとスウェーデンの加盟により、バルト海はほぼNATOの内海となった。

 しかし安全保障の主体性という点では、欧州は米国依存から脱し切れていない。トランプ政権の欧州防衛への消極姿勢は衝撃を与えたが、軍需生産や統合指揮体制の面で米国抜きの防衛はなお困難だ。


核の影 ウクライナ核放棄の皮肉

 冷戦後の歴史を振り返ってみると、ソ連崩壊後の1991年、ウクライナは米国、ロシアに次ぐ世界第3位の核保有国となった。旧ソ連の核兵器約1900発がウクライナ領内に残されていた。

 米国、ロシア、英国は、核拡散を懸念し、ウクライナに核放棄を迫った。

 1994年12月、ウクライナはブダペスト覚書に署名し、すべての核兵器をロシアに移管する代わりに、領土保全と主権の尊重を3カ国から保証された。

 しかし、30年後の2014年のクリミア併合そして2022年の全面侵攻、そのいずれも保証国の一つロシアによる侵略だった。

 ウクライナのジャーナリスト、アンア・ロマンダシュ氏が昨年末筆者に語ったところによると、ウクライナ国内では「核を保有していれば侵攻を阻止できたのでは」と多くの人が思っているという。


ロシアの核の脅し

 ロシアのプーチン大統領は侵攻当初から核使用をちらつかせてきた。

 2022年2月の侵攻開始直後、大統領は核戦力を「特別警戒態勢」に置くと表明し、西側の介入を牽制。その後も、ロシア高官は繰り返し核使用の可能性に言及し、2022年9月にはプーチン氏自身が「ロシアの領土保全が脅かされれば、あらゆる手段を使う」と核の使用を示唆した。2024年には核使用の敷居を下げる核ドクトリンの改定も行われた。

 こうした核の脅しは、西側諸国のウクライナ支援に常に影を落とし、長距離兵器の供与や欧米諸国による地上部隊の派遣といった決定的支援を躊躇させる効果をもたらしてきた。こうした状況下でゼレンスキー大統領が求めるNATO加盟についても、実現の見通しは立っていない。

 ロシアは当初からウクライナのNATO加盟阻止を侵攻の主要な理由の一つとしてきたが、戦争が長期化する中でも、加盟国間の合意形成は進んでいない。

 米国仲介による停戦協議が進む一方で、ロシアは民間インフラへの攻撃を激化させている。2月上旬、ゼレンスキー大統領はロシア軍が国内複数の地域のエネルギー施設に大規模攻撃を行ったことを明らかにした。現地は数日間でマイナス14度にまで気温が下がるといわれている。

 停戦交渉での最大の障害は領土問題だ。

 ロシアは東部ドンバス地域全域(ドネツク州とルハンスク州)の放棄を要求しているが、ウクライナはドネツク州の一部をいまだ保持している。

 ウクライナ側が領土割譲を受け入れるべきかどうかを聞かれたシンクタンク「ウクライナ・プリズム」のハンナ・シェレスト氏は、「この問い自体が道徳に反する」と答えている(フランスのテレビ局「フランス24」の「ディベート」のコーナー、1月29日放送)。国の領土は「歴史であり、命であり、アイデンティティの問題だ」。

 これがウクライナにとって、譲れない一線だということは日本にいる方もうなずけるのではないだろうか。侵攻された側なのに、なぜ戦闘停止のために自国の領土を差し出す必要があるのか。


欧州内部の温度差と指導力の欠如

 同番組の中で、元独NATO大使ヨアキム・ビタリッヒ氏は予測する。「2年以内に新しいNATOの姿が見える。欧州独自の防衛体制も構築される」。

 ただし条件がある。「フランス、ドイツ、イタリア、ポーランドの明確な合意が必要だ。欧州防衛を構築する意思を示さねばならない」。

 だが現実は厳しい。何年も軍縮を続けてきた欧州各国は、10万人規模の常時防衛可能な部隊すら持たない。

 欧州内部の温度差も壁になる。バルト三国やポーランドはロシアの脅威を肌で感じ、迅速な軍備増強や徴兵制度拡充に踏み切る一方で、フランスや英国の危機感は比較的鈍く、軍備増強も限定的にとどまる。

 欧州軍構想も停戦後前提の議論が中心で、ウクライナの戦場には直結しない。

 戦争終結のためには欧州指導者に「もう一歩も二歩も踏み込んでほしい」と思うのは筆者だけではないだろう。しかし、グリーンランド問題をめぐって米国とも対立する欧州指導陣が過去4年で達成できなかった「あと一歩」に踏み込めるのかどうかは残念ながら、疑問だ。

 そうこうするうちに、2月末には米国とイスラエルがイランに攻撃を開始。これにイランが報復し、収拾がつかない状態となっている。

 欧州がウクライナ問題で見せた分裂と逡巡は、イラン問題でも繰り返された。ゼレンスキー大統領が「万華鏡」と呼んだ欧州の姿は、今も変わっていない。


by polimediauk | 2026-04-05 16:16 | 政治とメディア