映画「ハムネット」で再注目 シェイクスピアと子どもたちの物語 華やかな成功の陰で
「英国ニュースダイジェスト」掲載の筆者コラムに補足しました。
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歴史上の人物に「もし」会えるとしたら、みなさんなら誰にしますか?
筆者が真っ先に挙げたいのは英国のみならず、世界的な劇作家として知られるシェイクスピア(Shakespeare)(1564~1616年)です。
「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「マクベス」など、シェイクスピアが生み出した数々の戯曲名を知らないという人はほとんどいないでしょう。
シェイクスピアには3人の子どもがいましたが、長男のハムネットは11歳で亡くなっています。シェイクスピアとその妻がハムネットの死と向き合う家庭生活をドラマ化した映画「ハムネット」が劇場公開中です。原案は、英作家マギー・オファーレルが書いた小説「ハムネット」。
映画は、第98回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、主役を演じたジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞しています。
今回は、シェイクスピアの人生と子どもたちの物語に注目してみました。
シェイクスピエアとは
シェイクスピアは、1564年、英中部ストラトフォード・アポン・エイボンで生まれました。正確な誕生日は不明なのですが、この年の4月26日に洗礼を受けたことが記録されているそうです。
時はエリザベス1世の治世です。この時代はロンドンを中心に演劇が大きく発展し、一つの黄金期を迎えていました。そうした中で、シェイクスピアもまた劇作家として歩み始めていきます。
シェイクスピアの父は皮革手袋商人で町長、市会議員にもなった地元の名士。母は裕福な農園経営者の娘でした。シェイクスピアは8人の子どもの中で3番目です。
自宅近くのエドワード6世学校で学び、1582年11月、18歳で8歳年上のアン・ハサウェイと結婚します。半年後の翌年5月、長女スザンナが誕生しました。約2年後の85年、双子のハムネットとジュディスが生まれます。
その後の数年間の詳しい足取りははっきりしていませんが、やがてロンドンへ移り、劇団に関わりながら俳優・劇作家として活動を始めたと考えられています。
誕生から11年後の1596年夏、長男ハムネットが死因不明で亡くなってしまいます。シェイクスピアが32歳、アンが40歳のときです。これ以降、2人に子どもは生まれていません。このときの深い喪失感が、後の作品「ハムレット」の創作に大きな影を落としたのではないかともいわれています。
シェイクスピアがロンドンの演劇界で名前を知られるようになったのは、1590年代前半です。当時のロンドンでは常設劇場が次々と建てられ、演劇は多くの観客を集める都市文化として急速に広がっていました。
「成り上がり者のカラス」と呼ばれて
イングランドで最初の職業作家の一人、ロバート・グリーンは、シェイクスピアを「成り上がり者のカラス」(Upstart Crow)と呼んだそうです。
カラスは当時、知恵はあるものの品格に欠け、俗っぽい存在や厄介な人物を比喩的に指す言葉としても用いられており、そのイメージを重ねた侮蔑的な表現と考えられます。「成り上がり者のカラス」という表現は、既存の学識ある劇作家たちの領域に踏み込んできた新参者への皮肉であり、同時にその才能への強い警戒心の表れでもありました。
グリーンはケンブリッジ大学卒でしたので、大学に行っていないシェイクスピアを見下した言い方でしたが、裏を返せば、それだけ無視できない存在になっていたともいえます。
1590年代半ばまでに、シェイクスピアは俳優、劇作家として活躍するばかりか、劇団「宮内大臣一座」の共同所有者にまでなりました。劇団の運営にも関わる立場となったことで、作品の上演や収益にも直接関与する、当時としてはきわめて安定した地位を築いていきます。
1603年にエリザベス1世が亡くなり、跡を継いだのはスコットランド出身のジェームズ1世です。シェイクスピアの劇団は今度は「国王一座」として認定を受け、宮廷の庇護のもとで活動するようになります。テムズ川南岸のサザークにある本拠地グローブ座のほかに、宮廷や各地の集会所、大学などでも興行を行いました。

シェイクスピア一家を題材とするBBCのヒューマン・コメディー「Upstart Crow」では、彼が仕事場のロンドンと家族のいるストラトフォードを行き来する様子が描かれていますが、実際にもそのような生活だったと考えられています。
シェイクスピアは経済的にも成功を収め、ロンドンやストラトフォードに土地や邸宅を購入するようになります。こうした不動産取得は、当時の中産階級以上の地位を確かなものにする重要な手段でもありました。
最後は故郷で引退生活
1613年ごろ、シェイクスピアは故郷ストラトフォードに戻り、引退生活に入に入ります。単独での最後の執筆作品は「テンペスト」だったといわれています。1616年、52歳で亡くなるまでの約3年間をこの地で過ごしました。
なぜ引退してしまったのでしょう?すでに経済的に成功していたため執筆の第一線を退いたのか、それとも健康上の理由などがあったのか、その詳しい理由は分かっていません。妻のアンは、夫の死から7年後の1623年に亡くなっています。
子どもたちはその後どうなったのかですが、長女スザンナは医師と結婚し、一人娘エリザベスを産んでいます。エリザベスは2度結婚しましたが、子どもをもうけることはありませんでした。
次女ジュディスはワイン醸造業者と結婚後、3人の子どもを産みましたが、いずれも若くして亡くなり、子孫を残すことはありませんでした。
こうしてシェイクスピアの直系家族は長女の娘エリザベスが亡くなった1670年に途絶えてしまいましたが、人間の喜びや悲しみを描いた作品は今も読み継がれ、時代を超えて生き続けています。
もしタイムマシーンがあったなら、エリザベス朝時代のイングランドに戻り、シェイクスピアとパブで世の中のさまざまなことを談笑してみたいですね。これが筆者の夢です。シェイクスピアはかつては俳優でもありましたし、その場にいた人たちを大いに笑わせるような、興味深い話を次々と披露してくれたのではないでしょうか。
Shakespeare(シェイクスピア):ファースト・ネームはウィリアム。国民も王室も演劇に熱中したエリザベス朝、スチュアート朝時代に活躍した俳優、劇作家、詩人。深い人間観察と言葉遊びの秀逸さで英国を代表する劇作家の一人に。シェイクスピア自身の情報は少なく、前頭部が大きくはげ上がり、側頭部の髪が肩まで垂れた肖像画は最初の戯曲集の挿絵によるもの。




