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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

チョルノービリ40年、戦場となった原発 核施設は守られるのか――歴史家プロヒー氏が問う

 1986年4月26日の爆発から40年。チョルノービリは今なお、核の危険性を世界に問い続けている。

 しかし歴史家の目には、この40年間で変わったものと、まったく変わっていないものがある。

 ハーバード大学でウクライナ史を教えるセルヒー・プロヒー教授は、著書「チョルノービリ:核災害の歴史」や「チョルノービリ・ルーレット」などでこの事故を徹底的に分析してきた。事故当時、ソ連に暮らしていた当事者でもある。

 2022年2月のロシアによるウクライナへの全面侵攻以降、ロンドンに住む筆者はプロヒー教授の原発、核兵器、ウクライナ問題についての発言を注視してきた。最新刊「ニュークリア・エイジ」では世界各国の核開発の歴史がつづられており、戦時下の核リスクを考える上で示唆に富む一冊だ。


プロヒー教授(「チョルノービリ・ルーレット」の裏表紙から、筆者撮影)
プロヒー教授(「チョルノービリ・ルーレット」の裏表紙から、筆者撮影)

 

 英ニュース誌「エコノミスト」のポッドキャスト(4月24日配信)がプロヒー教授にインタビューし、40年後の現在地から、歴史家として、また一人の証言者として語らせている。

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 チョルノービリ原発事故とは:1986年4月26日、旧ソ連ウクライナのチョルノービリ原発4号機が試験運転中に爆発した事故。ベラルーシやロシア、欧州各国が放射性物質で汚染された。数十人が急性放射線障害で死亡した。深刻度を示す国際尺度は2011年3月発生の福島第1原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」。

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 インタビューは、チョルノービリを直接経験したプロヒー氏自身の記憶から始まった。


「真実とは何かを書きたかった」

ー1986年当時、あなたはチョルノービリ事故をどう経験したのか。

プロヒー教授

 当時、私はソ連に暮らしていた。チョルノービリを直接経験しただけでなく、事故をきっかけに「チョルノービリの真実を語れ」というスローガンのもとでウクライナ社会が動員されていく様子も目の当たりにした。

 私は、核心的な問い——真実とは何か——を抱えていた。これが調査をして本を書いた理由の一つだ。

 当時、子どもたちを家の中に閉じ込めておかなければならなかった。信頼できる情報は英BBCや米「ボイス・オブ・アメリカ」、ドイツの国際放送「ドイチェ・ヴェレ」からしか得られず、自国政府は沈黙しているか、嘘をついているかのどちらかだった。その問いに答えたかった。私はそれと並行して、ソ連末期の歴史の調査と記録も続けていた。


「軍事機密」が隠した欠陥

—事故の原因を、技術的欠陥と管理体制の問題という観点から、どう見ているか。

プロヒー教授

 ソ連では、社会主義のもとでは「原子炉は爆発しない」、スリーマイル島のように資本主義のもとでのみそういうことが起きるのだと、人々は本気で信じていた。

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スリーマイル島原子力発電所事故とは

 1979年、米ペンシルベニア州で起きた原子炉炉心溶融事故で、国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル5」。冷却水喪失と運転員の操作ミスが重なり、2号炉の炉心が部分的に溶融した。放射性ガスの一部が外部に漏れたものの、周辺住民への健康被害は限定的とされた。死者は出なかったが、米国における原子力発電所建設計画は事故後ほぼ凍結状態となり、核産業への世論の不信感が決定的に高まった出来事として記憶されている。

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 ところが、結果として爆発事故が起きた。非常に社会主義的・共産主義的・ソビエト的な形で爆発したのだと思う。

 まず技術面から言えば、チョルノービリの原子炉はもともと、1940年代後半にソ連のスパイが米国から盗んだ設計に基づいていた。通常の発電用としても、兵器級のウランやプルトニウムを生産するためにも転用できる、二重目的の原子炉だった。

 この軍事的側面があったために設計上の問題点は極秘とされ、現場のオペレーターでさえ知らされていなかった。これが一つの大きな要因だ。

 もう一つの要因は、トップダウンの政治的・官僚的文化だ。

 福島やスリーマイル島、あるいは1957年に英国で起きたウィンズケール火災事故では、現場の人間が自らの判断で決断する権限を持っていた。ソ連では、原発から約3キロに位置する計画都市・プリピャチから住民を避難させるためにも、政府の最高責任者まで話を上げなければならなかった。意思決定の遅れが、あらゆる問題を生んだ。

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ウィンズケール火災事故

 1957年、英国北西部カンブリア州のウィンズケール原子炉で起きた火災事故。プルトニウム生産用の黒鉛炉が過熱して黒鉛が燃焼し、放射性物質が広範囲に飛散した。周辺の牛乳や農作物の出荷が制限され、欧州大陸にまで放射性降下物が到達した。国際原子力事象評価尺度(INES)レベル5。英国史上最悪の原子力事故とされる。

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 さらに言えば、その政治文化・管理文化に深く根付いているのが責任回避の体質だ。誰も法的責任を問われない社会では、隠蔽と遅延が必然となる。それが決定的な違いだ。

 原子炉は共産主義のもとでも資本主義のもとでも爆発する。しかし、その爆発の経緯は異なる。


超スピードで国際枠組みができた

—この事故から、核産業は何を学んだのか。

プロヒー教授

 放射性雲は「鉄のカーテン」を気にしなかった。チョルノービリから放出された放射性物質は東西の政治的境界を無視し、スウェーデン、英国、西独など西側諸国にまで降り注いだ。その意味で、チョルノービリはある程度の学習があった事故だったと言える。

 国際原子力機関(IAEA)による事故情報の国際共有の枠組みが整備され、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)後はソ連製の多くの原子炉が西側の基準に従って近代化された。

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IAEAによる国際共有の枠組みとは

 チョルノービリ事故を直接の契機として1986年9月にIAEAが策定・採択した二つの国際条約を指す。一つは「原子力事故早期通報条約」で、加盟国の管轄内で他国に影響しうる原子力事故が起きた際、IAEAおよび影響を受けうる国々に対して速やかに通報することを義務づけた。1986年10月27日に発効。もう一つは「原子力事故または放射線緊急事態における援助条約」で、原子力事故・放射線緊急事態の際に国際的な援助・支援を迅速に行うための枠組みを定めた。この二条約は、事故からわずか4か月という異例の速さで交渉・採択された。

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 この時期に生まれた言葉がある——「どこかのチョルノービリは、どこでものチョルノービリだ」。原子力発電所を建設するかどうかは各国の主権的決定であっても、いったん事故が起きれば国際問題になる。その認識が突如として広く共有され、今や国際社会の思考に深く根付いている。


政治体制が問題 

プロヒー教授

 しかし、私の見方では、問題は技術的欠陥にとどまらない。政治体制そのものが抱える問題だ。ロシアを法の支配に基づく社会に変えることはできないし、中国で共産党を原子力の意思決定から切り離すこともできない。産業の運営方法を変えることも同様に難しい。

 これは、2022年、ロシアによるウクライナへの全面侵攻で改めて明らかになった。

 侵攻初日の2月24日、チョルノービリ原子力発電所が占領され、史上初めて原子力発電所が戦争に組み込まれた。同年3月には欧州最大のザポリージャ原子力発電所が戦場となった。これは核安全に対する、自国兵士の命に対する、一般市民の健康に対する、まったく別次元の無頓着さを示している。

 結果として、技術レベルでは多少の学びがあった。しかし政治的決断と政治文化という点では、少なくともロシアについては、1986年から何も学ばれていない。むしろ事態は悪化している。


備えは、今もない

—チョルノービリには、戦時に原子力施設をどう守るかという発想自体がなかったことに、驚きはあったか。

プロヒー教授

 驚かなかった。なぜなら、そもそも「誰かが門のところにやってくる」などということは想定外だったからだ。

 驚いたのは、ロシア政府と軍司令部が、およそ考えられなかった核施設の占領という決断を実際に下したことだ。

 そしてもう一つの驚きは、2022年ではなく、いま現在の2026年に向けられている。2022年に計画も指示もなかったのと同様に、人類は今もなお、そのような事態への備えができていないと私は理解している。

 現行の主要な国際的枠組みは1980年代後半に作られたもので、原子力施設は水力発電所やダムと同じ「危険なインフラ」として一括りに扱われたままだ。核事故が引き起こす被害の規模や範囲の特殊性は、既存の枠組みには反映されていない。

 チョルノービリ占領以来、私は訴え続けている。特に戦時下において、原子力施設をどう保護するかを定めた、核に特化した国際条約が必要だと。

 念のため言えば、私は原子力エネルギーそのものに反対しているわけではない。市民が十分な情報を持つこと、そして安全が確保されること。これを求めているだけだ。


IAEAの限界

—国際的な枠組みの限界は、どこで露呈したのか。

プロヒー教授

 2023年、ウクライナ軍がロシア領クルスク州に進攻し、クルスク原子力発電所から50〜60キロのところまで迫った。そのときロシアが、2022年にウクライナがロシアに対して使っていたのと同じ言葉でIAEAに訴えた——「これはどういうことか。なぜ止めないのか」と。侵略国であるロシアでさえ、核施設をめぐる国際的な取り決めの必要性を感じた瞬間だった。

 しかしIAEAは監視・記録はできても、違反行為を止める強制力を持っていない。チョルノービリやザポリージャで粘り強く監視活動を続けてきたが、ロシアの行動を法的に拘束する手段はない。

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IAEAの役割は

 1957年に設立された国連傘下の国際機関。核の平和利用の促進、核物質が軍事目的に転用されていないかを検証する査察、核安全基準の策定という三つを主な使命とする。

 ウクライナ侵攻後は、チョルノービリおよびザポリージャ原発に専門家チームを常駐させ、核安全・核セキュリティの状況を監視・記録し続けている。2022年9月以降、ザポリージャへの監視ミッション(ISAMZ)を継続中だ。

 ただしIAEAには執行権限がなく、加盟国の協力によって初めて機能する組織だ。核安全の分野では条約に基づく義務が存在せず、違反行為を法的に拘束する手段を持たない。監視・記録・勧告はできても、攻撃や占領を止める力はない。

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原子炉保護の方法を見つける前に新たに建設するべきではない

プロヒー教授

 1986年のチョルノービリ事故への国際的な対応は、数か月以内に動き出した。

 しかし2022年のチョルノービリ占領から、いかなる学びも得られていない。侵略国ロシアでさえ国際合意に関心を示す場面があったにもかかわらず、だ。

 2022年以前には、核施設の占領や軍事攻撃に対する暗黙のタブーが存在していた。そのタブーは破られた。いまや消えてしまった。ウクライナの戦争はますますドローンを使った戦争となっており、非核国でさえ他国の原子力発電所を攻撃することで、容易に核の領域に踏み込める。これが新たな現実だ。

 軍や情報機関、計画立案機関の人々が、密室で少なくともこの問題——非核国でさえドローン一機で核の領域に踏み込める時代に、原子力施設をいかに守るか——を検討していることを願う。

 私の立場はこうだ。現在持っている原子炉を保護する方法を見つける前に、新たな原子炉を建設するべきではない。その方法はある。必要なのは政治的意志だ。今のところ、それだけが欠けている。

—チョルノービリが「警告の物語」として定着したことは、核産業にどんな影響を与えたのか。

プロヒー教授

 チョルノービリが核エネルギーと核産業の恩恵に伴う危険性の象徴となったのは、正当な理由がある。被害の規模、影響を受けた人々の数、そしてポピュラーカルチャーにおける強烈な表現——それらが相まって、深く人々の意識に刻まれた。

 一般的に言えることだが、原子力事故が起きると、人々が核産業に再び手を触れることに慎重になる時期が数十年単位で続く。米国では過去30年間に建設された原子炉はわずか3基だ。福島原発事故の後、ドイツは脱原発を決定した。

 原子力は今、気候変動対策の選択肢として再評価されている。しかしそこに賭けることには根本的なリスクがある——事故は必ず起きうるし、万が一それが起きれば、核産業は再び数十年間停止することになる。

 ただし、チョルノービリの教訓は「原子力との決別」ではない。原子力は活用すべきだ。しかし責任ある形でなければならない。そのためには、国際的な監視体制を現在よりはるかに強化する必要がある。

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 プロヒー教授がこのインタビューで語った警告は、今や現実となっている。

 2025年6月13日、イスラエルはイランの核施設とウラン濃縮施設を標的に攻撃を開始し、IAEAのグロッシ事務局長は「いかなる状況であれ、核施設への攻撃は決して行われるべきではない」と非難声明を出した 。同月21〜22日には米国もフォルドウ、ナタンズ、イスファハンの核施設を攻撃した。これらはすべてIAEAの査察下にある施設だった。核施設への攻撃は、ウクライナにおける「例外」ではなく、一つの戦術として定着しつつある。

 ロシアによるウクライナの原子力施設への繰り返しの攻撃が「タブーの破壊」だったとすれば、イランへの攻撃はそれを「戦術の確立」へと押し進めた。

 「原子力施設は攻撃してはならない」。この原則を国際社会の法的義務とすること。プロヒー教授の主張が筆者の心に強く響いた。


by polimediauk | 2026-04-27 07:22 | 政治とメディア