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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

「救急車は炎に向かって走っている。そして銃で撃たれている」国連事務次長が語った人道危機の現実とは

 4月20日、国連事務次長(人道問題担当)のトム・フレッチャー氏がロンドンのチャタムハウス(国際問題研究所)で行われたトーク・イベントに登壇した。中東情勢の緊張が高まる中で行われたイベントでは、複数の地域で進行する人道危機の連関と、支援体制の限界が示された。

 フレッチャー氏は登壇直前までレバノンを訪問していた。米国とイランの軍事衝突に連動したイスラエルによるレバノン攻撃が激化する中、同国では2000人以上が死亡し、約20万人が避難したと報道されている。南部の町ビント・ジュベイルは大きな被害を受けていた。フレッチャー氏が訪れた時点で、衛星画像の分析では市街地の70%以上が破壊され、約3000戸の住宅が更地になっていたとされる。


外交官らしくない、その言葉

 フレッチャー氏(51歳)は英国の元外交官だ。外交・安全保障担当の首席秘書官を務め、2011年から2015年にはレバノン大使として赴任した。2024年11月、国連事務次長(人道問題担当)兼緊急援助調整官に就任。国連人道問題調整事務所(OCHA)のトップとして、紛争や災害時における国連機関やNGOの支援活動の調整を担っている。

 数字と手続きで語られることが多い場所で、フレッチャー氏は一人一人の人間の苦しみを通して話をする。

 スーダン西部ダルフールの給食センターで出会った、夫と子を目の前で殺され、骨折しながらも見知らぬ乳児を抱いて逃げた母親の話。ガザの病院で聞いた「子どもたちが、皮膚に焦げついた布を剥がされながら叫んでいる」という医療従事者の証言。こうした逸話を国際社会の代表者たちの前に生々しく置く。

 チャタムハウスでも、それは変わらなかった。


「影響の輪」 レバノンから見えた連鎖


チャタムハウスで話すフレッチャー氏(動画からキャプチャー)
チャタムハウスで話すフレッチャー氏(動画からキャプチャー)

 

 フレッチャー氏はレバノンで見てきたことを「影響の輪」という言葉で整理した。危機が個別に存在しているのではなく、相互に関連しながら進行している状態だ。

 第一の輪は、イランへの直接的な影響だ。イスラエルと米国による大規模攻撃で、すでに2000人以上が死亡した。イラン政府は大規模な国際支援は不要と表明していたが、フレッチャー氏は緊急基金から1200万ドル(約17億円)を拠出し、教育・水・住居の確保に向けて水面下で調整を続けている。

 第二の輪が、レバノンだ。死者2000人以上、うち100人以上が医療従事者や人道支援従事者だった。南部の町はがれきと化し、国民の5人に1人が故郷を追われた。

 「宗派的に複雑な地域に移動した人々は、歓迎されるとは限らない。受け入れ地域には『この人々を受け入れれば、あなたも標的にする』という脅迫が届いている」(フレッチャー氏)。

 第三の輪が、ガザだ。ホルムズ海峡情勢を理由に搬入制限が強まり、燃料価格は20%、食料価格もほぼ20%上昇した。支援の輸送車列は封鎖され、航空・陸路に切り替えざるを得なかった。

 「この価格上昇がサハラ以南のアフリカや東アフリカに与える影響は何年も続き、さらに多くの人々を貧困に追い込む」。

 そして第四の輪。目に見えない崩壊だ。

 「『爆破する』『石器時代に戻す』『文明を破壊する』という言葉が当たり前のように語られる。こうした言語を正常化することで、世界中の独裁者志望者たちが民間インフラや民間人を標的にする戦術をためらいなく使うようになる」。

 「爆破する」「石器時代に戻す」「文明を破壊する」——いずれも、トランプ米大統領の最近の発言だ。

 「この紛争では1日に20億ドル(約2900億円)が使われている。私が今年8700万人の命を救うために必要な金額は230億ドル(約3兆3000億円)。この戦争を2週間もしないうちに賄える金額だ。それが今では賄えない」。


安保理はなぜ動かないのか

 過去3年間で、人道支援従事者が1000人死亡したという。昨年だけで380人を超え、過去最多水準を記録した。

 「いつからこれが当たり前になったのか。私たちは緊急救助隊員だ。危機の被害者を支援するために駆けつける消防士であり、救急隊員だ。それがこれほどの数で命を落としているのに、誰も責任を問われない」。

 なぜ安全保障理事会は動かないのか。

 「完全に二極化しており、大国が世界の平和や国際人道法の維持のために安保理を機能させようという意思を持てない。安保理が国際人道法を守るべきだと私が訴えなければならないとは、数年前には想像もしなかった」。


軍事費の1%で、8700万人が生きられる

 2025年の国連人道支援アピールで集まった資金は120億ドル(約1兆7400億円)。10年来の最低水準だった。その結果、前年より2500万人少ない人数しか支援できなかったという。

 かつて支援資金の40〜45%を担っていた米国はUSAID(米国際開発庁)を事実上解体した。英国を含む欧州各国も援助予算を大幅に削減している。2024年の拠出実績では、米国、ドイツ、欧州委員会(EU)、英国の上位4か国だけで全体の65%を占めていた。

 こうした削減ラッシュの中で、日本は拠出額を維持している数少ない主要国の一つだ。国連人道問題調整事務所(OCHA)の資金追跡データによると、日本は2024年に人道支援として11億ドル(約1600億円)を拠出し、全体の7位に位置する。米国やドイツと比べれば規模は小さいが、主要拠出国の多くが削減を発表する中で、日本はその表明をしていない。

 今年の目標は、最優先計画として230億ドル(約3兆3000億円)で8700万人の命を救うことに絞り込まれた。資金が潤沢であれば330億ドル(約4兆7800億円)で1億3500万人を支援できるが、現状ではまずその核心部分を確保することが目標となっている。

 「230億ドルは、世界が今年軍事・防衛に使う金額の1%だ。100倍規模の軍事予算に対して、わずかこの金額で8700万人の命が救える」。


「秩序の崩壊」は、現場ではとっくに起きていた

 「国際秩序はこの時代に崩壊するのか」とよく問われる、とフレッチャー氏は言う。

 「クンドゥーズ、カンダハル(以上アフガニスタン)、ゴマ(コンゴ民主共和国)、ダルフール(スーダン西部)、ガザ——私が支援する人々にとって、国際秩序はすでに崩壊していた。彼らにとって、世界はとっくに機能していない。私たちがその現実に気づく時がきた」。

 フレッチャー氏は、この状況を四つの言葉で表現した。戦争、強欲、国際的な無関心、そして誰も罰せられないという無法状態。こうした要因が、第二次世界大戦後に人類が積み上げてきた国際秩序を確実に、そして取り返しのつかない形で壊しているという。

***

 世界では今年、8700万人の命がかかっているという。フレッチャー氏はかつて安保理でこう言った。「将来の世代に、21世紀の残虐行為を止めるために何をしたのかと問われるだろう」。その問いは、私たちにも向けられている。


by polimediauk | 2026-05-05 01:16 | 政治とメディア