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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

対テロ戦争の負の遺産 ロンドンから 欧州も共犯だった

 5月11日と12日、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で、「対テロ戦争」をテーマにした映画上映と会議、そしてグアンタナモ収容者による英国初の展示会が開かれた。今回は会議の様子を紹介したい。

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 「国家機密にアクセスした弁護士は、二つに分かれる」。

 英国の貴族院議員で人権団体「リバティ」の元事務局長シャミ・チャクラバルティは、会議のセッションでこう述べた。

 「一方は、機密を知ることで『自分だけが本当の危険を知っている』という感覚を持ち始め、例外措置を正当化するようになる。もう一方は、疑念を失わない」。

 彼女の言葉が心にひっかかった。ブッシュ米政権が主導した「対テロ戦争(War on Terror)」で、エリート層の弁護士や政治家たちは「例外を正当化する」方に流れたのだろうか。


拷問は「暴走」ではなかった

 確かに、米国への大規模多発テロ(2001年9月11日=「9・11テロ」とも呼ぶ)以降、ブッシュ政権はそれまでは違法と思われる様々な事柄を「テロ撲滅」のために「合法」としていった。

 その最たる例がテロ容疑者の扱いだ。

 米国内の法律で裁かず、キューバ・グアンタナモ基地へ収容した。拘束者は「敵性戦闘員(Enemy Combatant)」と定義する。戦争捕虜でも刑事被告人でもない、この新たな法的カテゴリーによって、拘束者たちは捕虜を保護する規定があるジュネーブ条約も米国憲法も適用されない空白地帯に置かれた。そして、数カ国に設置された秘密収容施設では、水責め、睡眠剥奪、箱への監禁が行われた。

 こうした一連の行為は米国の法律家が「合法」というお墨付きを与えたうえで実施された。いわゆる「拷問メモ」を作成し、CIAの尋問技術が法的に正当化された。拷問は「暴走」ではなく、「合法化された例外」だった。

 チャクラバルティが問題にしたのは、民主国家が法を踏み外したのではなく、法を使って例外を制度化した点だ。その制度化を支えたのは司法省や大統領府で法的助言を担う、政府の最上位の法律専門家たちだった。


オバマ政権は

 ブッシュ政権が作った枠組みを、後を継いだオバマ政権は完全には解体しなかった。グアンタナモ閉鎖を公約に掲げたが、実現には至らなかった。

 2014年、オバマ大統領はホワイトハウスでの記者会見で「我々は拷問を行った」と認めた。しかし同時に、関与した職員たちを「本物の愛国者たち」と呼び、拷問技術の禁止も一部にとどめた。

 またオバマ政権はドローンによる標的殺害を大幅に拡大した。ロンドンでの会議に参加したグアンタナモ収容者の弁護士バヒル・アズミーは「これは人種のプロファイリングだ」という。

 グアンタナモに収容された780人は全員がイスラム教徒だった。ドローンによる標的殺害の対象も、その大半がイスラム系の人々だ。「対テロ戦争」とは、特定の宗教・民族を『危険な他者』として標的にする構造を持っていた、という指摘だ。  

 そしてトランプ政権は、その枠組みをより露骨に使い始めた。「対テロ戦争」が作り出した「例外の制度」は、政権が替わっても消えなかった。


欧州は傍観者ではなかった

 こうした問題は、アメリカだけの話ではない。

 CIAの「秘密移送プログラム(extraordinary rendition)」には、複数の欧州諸国が加担していた。これはテロ容疑者を法的手続きなしに秘密裏に第三国へ移送する仕組みだ。移送先では、拷問を含む強圧的な尋問が待っていた。家族にも弁護士にも居場所は知らされない。文字通り、存在を消された状態に置かれる。

 LSEで展示されていたアート作品を描いたアブ・ズバイダも、パキスタンで拘束された後、タイ、モロッコ、アフガニスタン、ポーランド、リトアニアへと移送された。各国の施設は、CIAが世界各地に秘密裏に設けた収容・尋問施設、いわゆる「ブラックサイト(秘密収容施設)」として使われた。  

 英国の関与も後に明らかになった。2018年の英国議会調査では、情報機関MI5・MI6が、アブ・ズバイダへの拷問を知りながら、CIA側に尋問内容を送り続けていたことが判明した。

 欧州人権裁判所は、秘密移送に加担したポーランドとリトアニアに対して条約違反を認定し、それぞれに賠償を命じた。裁判所はアブ・ズバイダへの扱いを「法の支配への冒涜」と断じた。

 「民主主義の模範」を自任する欧州が、拷問プログラムの共犯者だった。この事実は、いまも十分には語られていない。

 LSEで開かれた会議は、自国の関与を公共の場で問い直す、一つの試みでもあった。


例外は今も続いている

 会議の参加者たちが繰り返し強調したのは、「対テロ戦争」が生み出した論理――「安全保障のためなら例外は許される」、「危険な他者との戦いに終わりはない」――が、形を変えながら現在の世界に浸透しているという点だった。

 今年1月、トランプ政権はベネズエラのマドゥロ大統領を拘束し、グアンタナモ湾を経由してニューヨークへ移送した。「危険人物」を法的例外空間を通して扱うという発想は、「対テロ戦争」の時代に確立されたものだ。2月には、米国とイスラエルがイランへの大規模攻撃を開始し、最高指導者アリー・ハメネイーを含む複数の高官を殺害した。

 グアンタナモは現在、対テロ戦争の収容者だけでなく、米国内から移送された移民の拘禁施設としても利用され始めている。「テロリスト」という言葉が、移民や抗議者へと拡張されつつある。

 チャクラバルティの言葉が、再び頭に浮かぶ。「疑念を失わない」こと。それは弁護士だけに求められることではないのかもしれない。

(第3回へ続く)



by polimediauk | 2026-05-24 16:40 | 政治とメディア