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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

リアルタイムの金融情報時代を切り開いた 元ロイター幹部マイケル・ネルソン氏の功績

 ロイター通信を伝統的なニュース通信社から世界有数の金融情報サービス企業へと変貌させた元幹部、マイケル・ネルソン氏が4月30日、短い闘病の末に死去した。97歳だった。誕生日当日の死去だったという。

 現在、金融市場では価格やニュースが瞬時に世界を駆け巡る。しかしその仕組みの原型をつくった先駆者の一人が、1970〜80年代のロイターにいたことは日本ではほとんど知られていない。

質素な幕開け

 ドイツ生まれのポール・ジュリアス・ロイターがロンドンの金融街に通信社の拠点を構えたのは1851年のことだ。従業員はロイター本人のほか、雑用を手伝う11歳の少年が一人だけ。後に世界規模の情報サービスへと発展するロイター通信の、質素な出発点だった。

 創業当初は商業ニュースの配信を主な事業とし、銀行や証券会社、主要企業に情報を提供していた。

 事業は着実に拡大し、1858年には最初の新聞顧客としてロンドンの「モーニング・アドバタイザー」が購読を開始した。以降、新聞社はロイターの顧客の中で次第に大きな比重を占めるようになっていく。

 ロイターが新聞にとって価値を持ったのは、金融ニュースを提供したことにとどまらず、国際的に重要なニュースをいち早く伝える力を持っていた点にある。例えば1865年には、米国大統領エイブラハム・リンカーン暗殺のニュースを競合より数時間早く配信し、大きなスクープとなった。

 しかし、第二次世界大戦後、ロイター通信は慢性的な資金不足に苦しむようになった。過去100年で築いてきた信頼ある報道サービスの維持が次第に難しくなっていた。

 英国、オーストラリア、ニュージーランド、そして一時はインドの報道機関が同社を所有していたが、迅速かつ正確なニュース提供に対して十分な対価が支払われることはなかった。紙やインクなどのコスト上昇は受け入れられても、通信社のニュース配信料となると事情は別だった。

 新聞社依存の構造にとどまるかぎり、ロイターの収益基盤は脆弱なままだった。

 転機となったのが、1970〜80年代に本格化したコンピュータ技術を活用した金融情報事業だった。その変革を主導したのがネルソン氏である。

大工の息子からオックスフォードへ

 同氏は1929年、ロンドン郊外ブロムリー生まれ。父は大工として従軍経験もある労働者階級の出身だった。ロンドン空襲(1940年)では自宅が被災する経験もしている。

 吃音に悩んだ少年期を経て、オックスフォード大学モードリン・カレッジで歴史学を学んだ。指導教員で著名歴史家A・J・P・テイラーは、ネルソン氏が「歴史を愛して学んでいた」と評している。

 1952年にロイターへ入社。経済情報部門「コンテルビューロ」に配属され、アジア各地で記者・営業として勤務した。現場経験を通じ、顧客に直接サービスを提供する重要性を学び、後の事業思想の基礎を形成した。

ストックマスターとリアルタイム革命

 1960年代初頭、米企業ウルトロニックと提携し、株価情報端末「ストックマスター」を展開。電話や人手に依存していた市場情報を電子的に配信する仕組みで、ディーラーがリアルタイム価格に直接アクセスできるようになった。

1966年当時、ロイターのコンピュータ部門アシスタント・マネージャーだったジョン・ランサム氏とストックマスター端末(「ザ・バロン」のウェブサイトから、キャプチャー)
1966年当時、ロイターのコンピュータ部門アシスタント・マネージャーだったジョン・ランサム氏とストックマスター端末(「ザ・バロン」のウェブサイトから、キャプチャー)

 端末は三桁表示のみの簡素なものだったが、市場変動を即座に反映し、取引判断を大きく変えた。ネルソン氏はこれを情報産業における重要な転換点と位置づけた。

 この事業はウルトロニックとの合弁により、資金リスクを抑えながら実現された点でも画期的だった。ネルソン氏の「目利き」と契約設計力はこの段階で確立されたとされる。

ロイター・モニターと金融インフラ化

 ロイターは1968年、米国市場で競合他社より早く重要ニュースを伝えたことを受け、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に全面広告を掲載した。「ベトコン、交渉に応じる意向――ウォール街がそれを知るまで21分かかった」と銘打ったこの広告は、スピードを武器にした同社の存在感を市場に強く印象づけ、新規顧客の獲得につながった。

 その後、1971年にブレトン・ウッズ体制が崩壊し、主要通貨は変動相場制へ移行する。為替市場では価格情報の即時性が決定的に重要となり、リアルタイム配信の必要性が一気に高まった。

 ネルソン氏はこの変化をいち早く見抜き、部下から提案されたリアルタイム為替情報ネットワークの構想を後押しして、金融市場への理解に乏しい取締役会を粘り強く説得した。

 こうして、1973年には銀行間で金利・為替情報を共有する「ロイター・モニター」が開始された。中央コンピュータを介して市場参加者がリアルタイムで情報を閲覧できる仕組みは当時として極めて先進的で、導入当初は約30社に限られていたものの、ニューヨーク、フランクフルト、チューリヒへと急速に拡大し、金融市場の基盤インフラへと成長していく。

 さらに1975年には、単なる情報提供にとどまらず、システム上で銀行間取引そのものを成立させる「ロイター・ディーリング」の構想が進む。ロイターは情報企業から市場取引の実行プロセスに関与する存在へと進化し、金融インフラとしての性格を一段と強めていった。

上場と総合情報企業への転換

 モニターとディーリングの成功によりロイターは大きな収益基盤を確立し、1984年にロンドン証券取引所へ上場。企業価値は10億ドルを超え、株式売却により所有新聞社は巨額の利益を得た。

 同時期、米通信社UPI(ユナイテッド・プレス・インターナショナル)の国際写真事業やニュース映像会社Visnewsを傘下に収め、テキスト・写真・映像を統合する総合ニュース企業への転換も進んだ。

 その後、ロイターは2008年にカナダのトムソン社に買収されてトムソン・ロイターとに。さらに金融データ部門は2018年に投資会社ブラックストーンへ売却されて「リフィニティブ」として分離し、2021年にはロンドン証券取引所グループ(LSEG)に買収された。

 ネルソン氏がロイターの中で育てた金融情報事業は、こうして報道部門とは完全に別の会社として歩むことになった。

ロイターを離れて

 退職後も精力的に活動を続け、7年をかけて冷戦時代の西側放送を描いた著書「黒い天空の戦争(War of the Black Heavens: The Battles of Western Broadcasting in the Cold War)」を執筆し、好評を博した。

 1956年、パキスタン最大の都市カラチに滞在中、英国によるエジプト侵攻をきっかけとした暴動で石を投げつけられるなか、ネルソンは運転手に命を救われたという。2011年に回顧録「カストロとストックマスター:ロイターでの生涯(Castro and Stockmaster: A Life in Reuters)」を出版した際、その感謝の気持ちを込めてパキスタンの慈善団体「SOSチルドレンズ・ヴィレッジズ」に収益の一部を寄付した。

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参考記事

タイムズ(6月2日付、有料購読制)

The Baron

ロイター通信

The Baron Stockmaster - the service that revolutionised Reuters

 


by polimediauk | 2026-06-21 04:17 | ネット業界