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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

ジゼルさんだけではなかった 夫に薬を盛られた英国女性たちが語る「睡眠レイプ」

仏のジゼルさんだけではなかった

 フランス人女性ジゼル・ペリコさんの事件を覚えているだろうか。

 10年近くにわたって当時の夫に薬物を盛られた上でレイプされ、夫がインターネットで募った数十人の男性からも性的暴行を受けていた女性だ。2024年に裁判が始まると、被害者として認められている匿名・非公開裁判の権利をあえて放棄し、実名で公判に臨んだ。この時までにすでに夫とは離婚し、旧姓に戻っていたが、裁判を通じて元夫の姓を使い続けた。「孫たちが自分たちの名字を恥じることのないようにするため」だった。

 2024年12月、元夫ドミニク・ペリコ被告は、加重レイプの罪で法定最高刑となる禁錮20年の判決を受けた。共犯として起訴された他の被告50人も全員が有罪となり、禁錮3年から15年の刑を言い渡されている。

 ジゼルさんの裁判が始まる2年前、ある英国人女性の夫は妻に薬物を盛りレイプした罪で服役していた。

 英デイリー・テレグラフ紙(6月16日付、有料購読制)に寄せられたゾーイ・ワッツさんの手記から紹介したい。


夫の告白

 「後で話したいことがある」。8年前のバレンタインデー、教会の礼拝中に夫「ベン」さん(仮名)からそう告げられたことが、ゾーイさんの人生を変えた。

 その夜、当時13歳、11歳、9歳、7歳だった4人の子どもたちが寝静まった後、ベンさんはまず不倫を告白した。さらに、ゾーイさんの飲み物に睡眠薬を混ぜ、意識を失っている間に性行為をしていたことも打ち明けた。

 しかし、その時のゾーイさんは不倫の方に衝撃を受け、薬を使った性行為の意味をすぐには理解できなかった。「君をレイプした」と言われたわけではなく、そもそも夫婦間でそのような犯罪が起こり得るという発想自体がなかったからだ。

 事の重大さを本当の意味で認識したのは2022年。陪審がベンさんにレイプや性的暴行、薬物投与の罪で有罪評決を下し、懲役11年の判決が言い渡された瞬間だった。


「理想の夫」の裏側

 ゾーイさんとベンさんは、4人の子どもに恵まれた理想的な家庭として周囲に知られていた。友人たちはベンさんを「素晴らしい夫」、「良い父親」と口をそろえた。

 一方、家庭内ではベンさんは突然怒り出し、後で謝罪することを繰り返していた。

 夫婦生活も一見すると普通だった。毎晩、ベンさんはゾーイさんのために紅茶を入れていた。しかしその紅茶には睡眠薬が混ぜられていた。

 後に明らかになったところによると、ベンさんは2009年から2017年にかけて睡眠薬を飲ませ、意識を失ったゾーイさんをレイプし、その様子を撮影していた。

 紅茶の味がおかしいと感じたことはなかったかと、ゾーイさんは後にたびたび尋ねられた。味に異変はなかったという。

 ゾーイさんは当時、原因不明の強い眠気や体調不良に悩まされていた。脳腫瘍ではないかと疑って受診したこともあったが、異常は見つからなかった。愛する夫が薬を盛っているとは想像もしなかったという。


夫から告白されて

 夫の告白から1か月ほどして、ゾーイさんは心身に変調をきたした。家から出ることすら難しくなり、学校の送り迎えさえ重荷に感じるようになって、抗うつ薬を処方された。実家には不倫のことは伝えたが、薬物とレイプについては、まだ言葉にできずにいた。自分自身ですら、まだ意味をつかみきれていなかったからだ。

 夫婦でカウンセリングを受けたこともある。ある回で、ゾーイさんが夫にされたことを話そうとすると、ベンさんがひどく動揺し、カウンセラーは「ベンさんが辛がっているから」とゾーイさんを制した。話の焦点はいつのまにかベンさんに移り、ゾーイさんは語る場を失った。

 ベンさんは巧みにゾーイさんを操った。無意識のゾーイさんを撮影していたのは「ネットで他の女性を見るより、その方がいいと思った」からだと説明した。

 すべてを告白された後でさえ、ゾーイさんがまず案じたのは自分自身のことではなく、夫が自傷行為に走らないか、子どもたちはどうなるのか、ということだった。ある知人の女性に打ち明けると、「あなたは眠っていたんだから、別に実害はなかったんでしょう」と返された。

 転機が訪れたのは、告白から半年後だった。ゾーイさんはついに姉にすべてを打ち明けた。姉は母に伝え、母が警察に通報した。「眠っていたのなら、それは同意していなかったということだ」。そう指摘されて初めて、ゾーイさんは事の重大さに気づき始めた。

警察通報から判決まで

 警察への通報後も捜査は難航し、事件が法廷に持ち込まれるまでには4年を要した。その間、ゾーイさんは接近禁止命令を取得している。

 ベンさんが逮捕されるきっかけとなったのは、ある夜、ナイフとハサミを持って自宅に侵入した事件だった。ゾーイさんが緊急通報すると、ベンさんは「また君をレイプするとでも思っているのか」と叫んだという。

 捜査と裁判を待つ間、ゾーイさんは孤立した。家族や一部の友人を除けば理解者は少なく、子どもたちを父親に会わせないことを理由に誹謗中傷も受けた。

 5日間に及んだ裁判で、ゾーイさんは初めて、自分が薬で意識を失っている間に拘束具で体を固定され、撮影されていたことを知った。

 ベンさんは性行為そのものは認めながらも、「彼女の願望だった」と主張し、撮影した画像についても正当化を試みた。ゾーイさんは無罪や軽い処分で終わるのではないかと恐れていたという。

 しかし2022年、裁判所はベンさんに懲役11年と終身の接近禁止命令を言い渡した。判決を聞いた瞬間、ゾーイさんは安堵のあまり倒れそうになったという。


魔法のような始まり

 ゾーイさんと共にITVニュースに出演したアマンダ・スタンホープさんもまた、パートナーから同様の被害を受けていた。

 交際当初の元夫は「同じ夢、同じ目標を持つ相手」であり、アマンダさんにとって二人の関係は「魔法のようだった」という。

 しかし、やがて状況は変わる。ある晩、友人と踊っていたアマンダさんを元夫はダンスフロアから連れ出し、「恥をかかせるな」と激しく責め立てた。翌朝には涙ながらに謝罪する――そんな過剰な愛情表現と支配的な言動の繰り返しが続いた。

 後になって振り返れば、それは典型的な虐待のパターンだった。しかし当時のアマンダさんは、いつか以前の優しかった彼に戻ると信じていたという。


記憶を疑われた日々

 精神的なストレスから、アマンダさんは当時、抗うつ薬や睡眠薬を服用していた。

 元夫はたびたび「昨夜は素晴らしい時間を過ごした」と語ったが、アマンダさんには何の記憶もなかった。当初は自分が忘れているだけだと思っていたが、朝になると衣服の状態が変わっていたり、身の回りの物がなくなっていたりすることが繰り返された。

 問いただしても、元夫は「楽しんでいたじゃないか」と取り合わず、問題はアマンダさんの記憶力にあるかのように振る舞った。

 やがてアマンダさんは、自分が若年性認知症やアルツハイマー病ではないかと本気で疑うようになる。元夫は神経内科の受診にも付き添ったが、後に振り返れば、それも巧妙な心理的支配の一環だった。

 セラピーを受ける中で初めて、虐待関係に特有の心理的な絆「トラウマ・ボンド」に縛られていたこと、そして元夫が人を巧みに操る人物だったことを理解したという。


警察対応と届かなかった裁き

 勇気を出して警察に相談したものの、アマンダさんを待っていたのは証拠の紛失や連絡の不通だった。

 元夫は逮捕されたが保釈され、その後はインターネット上でアマンダさんへの誹謗中傷を続けた。

 ようやく起訴が近づいた頃、警察から連絡が入った。元夫が自ら命を絶ったという知らせだった。アマンダさんは結局、法廷で裁きを見届けることはできなかった。


携帯電話に残されていたもの

 その後、警察は元夫の携帯電話から、アマンダさんが意識を失っている状態で撮影されたとみられる画像や動画を複数発見した。

 アマンダさんは有力な証拠になると考えたが、警察は法廷で「眠ったふりだった」と争われる可能性があり、同意の不存在を完全に立証するのは難しいと説明したという。

 警察は後に当時の対応を謝罪し、手続きを見直したとしている。アマンダさんは改善を歓迎しつつも、自分と同じ経験を誰にも繰り返してほしくないと訴えている。


回復への道のり

 ゾーイさんにとって、回復への道は今も続いている。

 事件によって家族は大きく傷つき、子どもたちは父親の存在を認めようとしないという。

 それでもゾーイさんは、自らの経験を公に語ることを選んだ。後悔する瞬間もある。しかし、自分の証言によって、長年言葉にできずにいた被害に誰かが気づき、加害者の責任追及につながるのであれば、その価値はあると考えている。

 ゾーイさんは実際にジゼル・ペリコさんとも言葉を交わし、同じ思いを共有した。同様の被害を経験したサバイバーたちとの交流も続けている。

 その一方で、ゾーイさんが恐れているのは、自分の事件が「氷山の一角」に過ぎないことだ。現在、英国国内だけでも同様の被害を受けた女性を約50人把握しているという。また、妻やパートナーに薬物を盛って性的暴行を加える手口を共有するオンライン掲示板には、数百人規模の利用者がいるとも話す。

 ゾーイさんのもとには、「これが被害なのか分からない」「考えすぎかもしれない」「誰も信じてくれないだろう」と悩む女性たちから連絡が寄せられる。かつて自分自身も同じように感じていたという。


二人の出会い

 ゾーイさんとアマンダさんが初めて顔を合わせたのは、ITVニュースのインタビュー企画だった。

 最も信頼していたパートナーに薬物を盛られ、意識を失っている間に性的暴行を受けていた――。共通する経験を持つ二人は、その場で抱き合ったという。

 アマンダさんは、自身の事件の捜査が進む中でジゼルさんの事件を知った。それまで同じ経験をした人を一人も知らなかったが、初めて「自分は一人ではない」と感じたという。ジゼルさんの勇気に励まされ、自らの体験を公に語る決意を固めた。

 一方、ゾーイさんは、自分やアマンダさんのように加害者が夫やパートナーだったケースの被害者も、ジゼルさんの証言によって声を上げやすくなったと感じている。

 その後、SNSを通じた啓発活動を続けていた二人はつながり、共に行動するようになった。


「#EndEyeCheck」キャンペーン

 こうした実態を変えたいとの思いから、ゾーイさんは匿名性を捨て、啓発キャンペーン「#EndEyeCheck」を立ち上げている(このサイトには、ITVニュースの動画も入っている)。

 キャンペーン名「アイ・チェック(目を確認)を終わらせよう」は、加害者が被害者のまぶたを持ち上げ、意識を失っているかどうかを確認する行為に由来する。こうした映像が撮影され、インターネット上で共有されるケースもあるという。

 アマンダさんも活動に加わった。二人が目指すのは、薬物を用いた性的暴行に関する法制度の改善と、サバイバー同士が支え合えるネットワークづくりだ。

 さらに、警察や医療・福祉関係者への再教育や、学校・大学での予防教育の充実も訴えている。活動は英国にとどまらず、今後はメキシコ、カナダ、米国、オーストラリアへの展開も予定されているという。

 ゾーイさんとアマンダさんは訴える。

 これは遠い国の特別な事件ではない。娘かもしれない。母親かもしれない。友人かもしれない。気づかれていないだけで、今この瞬間にも起きている可能性があるのだ――と。


by polimediauk | 2026-07-08 00:34 | 英国事情