小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ユランズ・ポステン紙が、論争を再開?


「知識人は知識人であり、新聞は新聞だ」
 
 デンマークのユランズ・ポステン紙が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載事件をきっかけにして起きた、表現の自由に関する論争を、再燃させるかのような記事を、3月1日付の紙面で掲載した。
http://www.jp.dk/indland/artikel:aid=3585740/

 これは、「エディターズ・ウエブログ」(世界新聞協会の一部)によると、フランスの週刊誌シャルリー・エブドに掲載された記事の翻訳だそうである。

 シャルリー・エブドが出した記事をどのような形で出したのだろう?紙面を見ないと正確には分からないが、シャルリーエブドの記事の単なる紹介ではなくて、「同じものを、英語にして出した」、ということでいいのだとしたら(ウエブログによると、そうだが)、ユランズポステン自身が内容の掲載・転載に意義を感じていることになる。

 読んでいて、フランス語の翻訳ということで、自分にとっては分かりにくい面もあったが、イデオロギーの記事、キャンペーンの記事になっており、不快感さえ感じてしまった。特に、自分たちの価値観が「普遍的価値」として疑わないあたり、欧州以外の人にとっては、違和感がともなうのではないだろうか。

 本当に、フランスと英国は随分違うものだ。

 (大体の訳です。うまく翻訳できていない箇所をお許し願いたい。)

 「マニフェスト:新たな全体主義に共に直面する」とするタイトルの記事だ。

 「ファシズム、ナチズム、スターリニズムに打ち勝った後で、世界は新たな全体主義的なグローバルな脅威に直面している。それは、イスラム主義だ。

 私たち、作家、ジャーナリスト、知識人らは、宗教的な全体主義に対する抵抗と、全ての人にとっての自由、機会均等及び政教分離の価値観の奨励を呼びかける。

 欧州の新聞数紙にムハンマドの風刺画が出版されてから起きた最近の事件は、こうした普遍的な価値観に対する戦いが必要であることを明らかにした。この戦いは、武器を使って勝利を得ることはできず、イデオロギーの分野の戦いになる。文明の衝突でもなければ、私たちが目撃している西側と東側の敵意でもなく、民主主義者と神政国家者との間の地球規模の戦いだ。

 全ての全体主義者がそうであるように、イスラム主義は恐怖と欲求不満によってはぐくまれてきた。憎悪を説く者たちは、liberticitalで不平等主義の世界を押し付けるための軍隊を作るために、こうした感情に賭けている。しかし、私たちは、明確に、断固として言明するーー何ものも、例え絶望でさえも、反啓蒙主義、全体主義、憎悪の選択を正当化しない、と。イスラム主義は平等、自由、世俗主義を殺す反動的なイデオロギーだ。イスラム主義の成功は、相手を支配をする世界につながる。男性による女性の支配、イスラム教主義者による、他の全宗教の信徒に対する支配だ。これに逆らうために、私たちは抑圧されたまたは差別された人々に対して普遍的な権利を保証しなければならない。

 私たちは、「文化的相対主義」を拒絶する。イスラム教徒の文化の男性や女性が、文化や伝統を尊重するということで、平等、自由、世俗主義的価値観に対する権利を奪われてもいい、ということを認めることになるからだ。「イスラムフォビア」と呼ばれることを恐れて、批判精神を断念することを拒絶する。イスラムフォビアはイスラム教を宗教として批判することと、ムスリムたちに汚名を着せることを取り違えている不幸な考えだ。

 私たちは、全ての悪用、全てのドグマに対して、批判的な精神が全ての大陸で実行されるように、表現の自由の普遍性を弁護する。

 私たちは、私たちの世紀が、反啓蒙主義でなく、啓蒙主義の世紀であるようにと、全ての国の民主主義者と自由な精神の持ち主に呼びかける。

署名
アヤーン・ヒルシ・アリ
チャーラ・チャフィク
キャロライン・フォウレスト
バーナド・アンリ・レビー
アーシャド・マンジ
メーディ・モザッファリ
マリャム・ナマジー
タスリマ・ナサレーン
サルマン・ラシディー
アントワーヌ・スフェー
フィリップ・バル
イビン・ワラク
(それぞれの人の読み方はアルファベットをそのまま読んだもの。詳しくはオリジナル記事をごらんいただきたい。経歴もついている。)


 ここまで読んで、エディターズ・ウエブログの分析を見ると、「ユランズポステンの「謝罪の時期」(1月)は終わったようだ」という。http://www.editorsweblog.org/print_newspapers/2006/03/jyllands_posten_reprints_manifesto_fight.php

 「雑誌シャルリー・エブドとユランズ・ポステンは、風刺画論争の新たな章を作った」。

 「表現の自由を弁護することと、新たな全体主義に関してキャンペーンをするのは別だ」。(やっぱりなあ、と妙に納得した。)

 「昨年の10月から今年2月まで、攻撃を受けたユランズポステンに全ての新聞が連帯し、読者に情報を与える権利、あるいは義務を支持した」が、この3月1日のマニフェストはこれまでとは全く違う。それは左と右という2つの方向を再導入したからだ。右派の新聞のいくつかはこのマニフェストに合意し、これを奨励するだろうし、左派の新聞は3点の理由からリスクを懸念するだろう。

 一つには、イスラム教とイスラム主義が混同されやすい

 また、風刺画事件の後で、ムスリム世界との真の対話を始める必要が出てきている

 さらに、「文明の衝突」、「第4次世界大戦」の主張の罠に入るリスクがある

 私たちのポジションは、知識人は知識人であり、新聞は新聞だ、ということだ。このマニフェストのような記事を新聞が載せるのはノーマルだ。しかし、1面や非常に目立つ面に出すかどうかは、イデオロギーが絡む選択になる」。
 
by polimediauk | 2006-03-02 07:58 | 欧州表現の自由