BBC 改革の行方
アルジャジーラ英語放送社長ナイジェル・パーソンズ氏がよく言うフレーズで、「座る場所が変わると物事が違って見える」というのがある。
旅をすれば、確かにそういうことがあって、多くの人が体験をしていることだろう。
英国に住んで、日本にいるときとは違って見えることの1つに、BBCの見方がある。「これだけ巨大なメディアで、一体どうするのだろう?」、「受信料を無駄に使っていないだろうか?」。
来年から、BBCは新たな活動方針の下で(10年ごとに設定される)やっていくことになる。政府最終案が三月に出た。今後の私なりの分析を、「新聞通信調査会報」5月号に書いた。(他の執筆者の方のメディア、国際、国内事情に関する解説も、ご興味のある方はごらん頂きたい。月の中旬から末頃に、その月の会報がサイト上からダウンロードできる。http://www.chosakai.gr.jp/index2.html)
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BBC、改革の行方
政府案は首位維持を支援
BBC(英国放送教会)の二〇〇七年から十年間の経営方針、活動内容を規定する「設立許可状」の政府最終案(「放送白書」)が、三月中旬発表された。
設立許可状は十年ごとに更新されるが、現行の許可状は〇六年末で期限切れとなるため、約三年をかけ、視聴者、有識者らとの意見交換、議論の結果まとめあげられたのが今回の最終案だ。これをたたき台として議会で討論を重ね、年内に最終決定となる。
今回の許可状の注目点は、デジタル化、多チャンネル化が進む中で、国内最大の公共放送であるBBCが果たす役割や提供するサービスはどうあるべきか、テレビ受信機を持つ家庭から徴収する受信料が全額BBCにつぎ込まれる制度が果たして今後十年間も最善及び公正な仕組みと言えるかどうか、などだった。〇三年の政府とBBC経営陣との対立をきっかけに起きた、経営の透明度を高める声に応えるための仕組みづくりも目玉の一つだった。
現在進行中のNHK(日本放送協会)の改革論議でも公共放送としてのNHKの活動内容、経営の独立性、資金調達方法の是非などが論点になっており、参考になる部分もあろう。
新規設立許可状策定に向けての最終案「全ての人に対する公共サービスーデジタル時代のBBC」は全体的にBBC寄り、あるいは政府とBBCとの共同作業とも言える内容となっており、かつての政府とBBC経営陣との対立が既に全く過去のものとなったかのような印象を与える。
受信料制度は廃止される、あるいは他の公共放送業者とシェアするなどの可能性が一時話題に上ったが、結局は、今後十年は維持される見込みとなった。
経営の独立性、透明性を高めるため、これまで経営監督と執行を兼任していた経営委員会は廃止される。代わりに有識者らによる「トラスト」を創設する。トラストは監督を担当し、組織運営は「執行委員会」が行う。
また、最終案は十二年に予定されている完全デジタル化への移行の過程でBBCが主導的役割を果たすことを提唱している。
個々のポイントを見てゆきたい。
―六つの目的
公共放送は何を目的とするべきか?この議論は約八十年前のBBCの創立当時から続いている。初代社長のリース卿はBBCの目的を「娯楽、教育、情報を提供すること」、とした。
これに肉付けをした形で、最終案はBBCの存在目的として以下の六点を挙げた。(一)市民権と市民社会の維持、(二)教育・学習の奨励、(三)映画を含め、創造性と文化的優秀性を刺激、(四)英国の国、地域、コミュニティーを反映、(五)世界を英国に、英国を世界に伝える、(六)デジタル国家英国を築き上げるための「信頼に足るガイド」となる。
インディペンデント紙は三月十五日付け社説の中で「市民権と市民社会の維持」とする部分に言及し、政府権力から独立しているべき存在のメディアが「国策の一環として使われている」、として警告を発した。BBCが受信料を払う視聴者のために活動するのは当然としても、存在目的の一つが「市民権と市民社会の維持」で、「愛国心がBBCの価値を測るために使われる」将来に危機感を表明した。
この項に限らず、政府がBBCを国策を実行する上で一定の役割を果たして欲しいと考えてい ることを示す箇所が、最終案では時折見受けられる。デジタル国家としての発展の箇所もこれに含まれる。この点は後述したい。
―受信料制度は継続
〇三年、BBCは大きな危機に見舞われた。BBCラジオの記者が「政府は、イラク戦争開戦の理由付けとして用意した文書の中でイラクの脅威を誇張した」と報道し、これを否定する政府との間で大きな対立が生まれた。〇四年、独立調査委員会が「報道には信憑性なし」とする報告書を出し、BBCの社長と経営委員会の委員長は引責辞任をした。
一種のBBCバッシングが続く中、受信料廃止説や他の公共放送業者との間で受信料を共有する案が支持を集めた。結局、政府最終案は現行の受信料制度を今後十年間維持する、とした。
BBCの現行の受信料収入は年間約二十九億ポンド(約六千二十七億円)で、一戸あたり年間百三十一・五十ポンド(約二万七千円、カラーテレビの場合)だ。BBCは〇七年から毎年、物価上昇率に二・三%上乗せした値上げを求めており、この場合、十四年では百八十七ポンド(約三万九千円)となる。受信料の値上げ率を決定するのは時の政府だが、夏までに最終決定の予定だ。
過去の例では、BBCの値上げ案がそのまま承認されることが多く、今後十年間、三十億ポンドを超える金額が毎年、BBCに安定した収入として入る見込みに、民間放送業者は大きく反発している。
商業放送ITVのトップ、チャールズ・アレン氏は、「巨大な資金に支えられたBBC」のおかげで、民間の放送業者が「放送を維持し、番組に投資し、コンテンツ・サービスを開発し、新たな収入の道を生み出すこと」が不可能になると、ガーディアン紙の三月十九日付けの紙面で抗議した。
最終案は、次の次の十年の設立許可状の期間となる十七年以降も現行のような受信料制度を継続するかに関し、アナログ放送が完全停止となる十二年頃から検討を始める、としている。定期契約制、あるいは他の公共放送業者にも受信料を分割配分するなどの可能性もある、とした。
メディア環境が今後数年で大きく変化する点を無視できなかったと見ていいが、どのように検討していくのかの道筋は明らかにされていない。
一方、BBCの受信料は支払い率が九十五%近くに上るが、支払いをしないと、最大で千ポンド(約二十万円)の罰金が課せられる。〇四年には、罰金未払い者四十六人が投獄された。最終案は、こうした措置が厳しすぎたのではないかという反省から、より良い徴収方法を実行する、としている。
支払いを促すために、銀行口座からの振込み(現在五十九%がこの方法を利用)、ネットでの支払い(二・四%)、携帯電話にメッセージを流す(昨年十一月時点で二十五万人が登録)などを増やす。
日本ではNHKが未払いの視聴者に対する懲罰を考慮中ということだが、BBCの場合は、既に投獄という厳しい手段も行った後で、アクセスしやすい支払方法を提供する方向に転換しつつある。
―「トラスト」の設置
BBCは創設以来、経営の監督と執行を組織内で行う形を取ってきたが、〇三年、政府との対立問題を通して、経営委員会の監督機能が十分に働いていなかったことが如実になった。
最終案は、BBCの〇四年の提案を踏襲し、経営委員会を廃止する、とした。代わりに、外部の有識者で作る「トラスト」が監督し、BBCの運営は「執行委員会」が担当する。
しかし、トラストと執行委員会の仕組みは、現行制度と非常に良く似ている。執行委員会はBBC社長マーク・トンプソン氏が委員長となり、トラストは現行の経営委員会委員長マイケル・グレード氏が率いるなど、顔ぶれも殆ど変わらない。
さらに詳細を見ると、新制度に対する疑問が湧く。まずBBCが新規サービスを開始する場合、それが十分に公的な価値があるかどうかをトラストが吟味する、としている。これまで十分な吟味なしに新規サービスを展開していると、BBC外部から批判があったことを受けたものだ。また、通信規制団体のオフコムが、該当サービスが民間放送業者に不当な損害を与えないかどうかを、検証することになっている。完全に外部の団体が、BBCのサービス展開にこのような形で介入するのは初めてだ。
こうした点は透明性及び監督機能が高まる動きと言えるが、オフコムの結論の後、最終的にそのサービスを開始するかどうかは、トラストが決めることになっている。
結局最後はBBC内部で物事が決定されてしまうという印象は否めず、今後に課題を残した。
―デジタル国家
現在、英国の約四百万戸の家庭がブロードバンドに接続しており、オフコムによると、十年後には三倍から五倍に増加する。
多チャンネルの家庭が増加するにつれて、BBCの番組視聴率の割合は年々減少しているが、最終案は、「英国が放送業の世界的リーダーであり続けるために」、BBCがデジタル化で主導的役割を果たすことを期待する、と述べている。BBCが国策の一端を担うことを明言した、と言えるだろう。
デジタル化の恩恵は他のチャンネルにも及ぶであろうし、デジタル国家の発展に、BBCだけを特別扱いする必要が、果たしてあるのだろうか。
〇一年までの五年間、BBC経営委員会の委員長だったクリストファー・ブランド氏は、三月下旬、市民団体「視聴者の声」の会合の中で、受信料をデジタル化への移行に使うべきではないと述べている。「政府が政策を実行するためにBBCと受信料を使っているだけ」に過ぎず、「BBCは政府が自分でやるべきことを実行するために受信料を使ってはいけない」、と警告した。
―止まるところがない活動範囲
BBCは国民の間で圧倒的な支持があり、デジタル化が進んでも強い愛着は簡単には消えないと思われる。
しかし、その巨大さに危機感を抱くメディアは少なくない。最終案に対し、最も手厳しい見方をしていたのが、タイムズ紙だった。三月十五日付けの社説は、「オンライン時代にBBCがどこまでその帝国を広げるか、限度は無い」として、地方で新規サービス始めたい、あるいは国際情報の提供者になりたいと思っても、BBCにつぶされる可能性があることを指摘。最終案がするべきだったのは、「BBCの活動範囲の境界線を定めることだった。その代わりに、境界を大きく広げ、英国を失望させた」、として終わっている。
かなり悲観的な見方だが、「ここまで、受信料を使ってBBCがやるべきなのか?」という批判には一理あることも事実だ。
例えば、最終案は、「非常に競争率の高い市場」であるスポーツ・イベントの独占放映権獲得にBBCが参画することを奨励しているが、BBC以外のチャンネルがスポーツ・イベントを放映しても、視聴者側からするとそれほど大きく失うものがあるだろうか?
また、英国のネット利用者の四十六%がアクセスするほどの大人気のBBCのオンラインサイトでは、「民間放送業者が既に提供しているサービスをBBCは提供するべきではない」という、政府が依頼した調査委員会の提言によって、スポーツ、ゲーム、連続ドラマに関するサイト・サービスの一部を廃止しているが、提言前にはこうしたサービスが行われていたことに驚かざるを得ない。
―再編?
BBCが継続した受信料収入の独占にこだわり、果てなくサービス内容の拡大を目指してきた背景には、収入面では既にBBCを抜いている衛星放送BSkyBの存在がある、と見てよいだろう。
スカイテレビのチャンネルを持つBSkyBは英国内の有料テレビ放送市場の三分の二を占め、投資銀行モーガンスタンレー社などの予測によれば、〇七年までに年間収入が四十五億ポンド(約九千二百七十億円)にまで増加すると見られている。一方、受信料制度ではなく定期契約制にした場合、BBCの〇四年の調査によると、現在の受信料支払い者の三分の一がBBCとは契約しないと見込まれるため、BBCにとっては収入がかなり減少する。
〇四年ー〇五年時点で、テレビ受信機のある全戸の八十六・六%がBBCテレビを、三十・七%がスカイテレビを視聴しており、未だ大きな差があるが、多チャンネルの家庭だけを対象にするとBBCが八十四・五%、スカイテレビが四十八・四%と、差が縮む。
政府最終案は、巨大放送業者として拡大し続けるBBCの将来像を描いた。しかし、メディア環境の変化や激化する他放送業者との競争で、拡大計画に変更が求められる可能性は高い。英放送業界の再編が大きく進む十年間になりそうだ。