小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ラマダン氏―2 雑感



 前回、タリク・ラマダン氏のことを書いたのだが、会見時から頭に残って離れない疑問があった。

 それは直感のようなものなのだが、一人のムスリムとして、西欧社会(イスラム文化がメインではない社会、キリスト教的価値観の社会、と想定した上で)に向かって発言をするときに、西欧社会の中の「ムスリム観」を前提として話していたようだった。この点に私が違和感を持ったのには理由がある。

 英メディアを見ていると、特に7・7ロンドンテロ以降その傾向が強いが、ムスリムたちに対するネガティブな報道が多い。「ネガティブ」というのは、報道のスタイルがそうだというよりも、もっと根っこの部分のことだ。つまり、議論の最初の出発点が、「ムスリム(あるいはイスラム教)=問題」、だから、「何とかしなければならない存在」、となっているように見える。

 私はこの点に疑問を感じるようになった。欧州とムスリムという問題を考えるとき、むしろ、西欧社会側に問題があるのではないか、と思うようになったからだ。

 それは、英国、オランダ、デンマークなどの欧州の国でムスリムたち、非ムスリムたちに、ムスリムを巡る問題に関して、あるいは表現の自由に関わる問題に関してここ1年ほど取材してきて感じたことだ。特に今年2月デンマークに行って、「え?」と改めて思ったのだが、デンマークにいる・欧州に住むムスリムたちは、西欧社会で暮らすことを特に不都合だとは思っていない。西欧で生まれた世代も多いし、かつ、移民としてやってきたムスリムたちも、元の国に帰ろうとは思っていない。差別はあるかもしれないし、特に9・11テロ以降、否定的な視線を感じることもあるだろう。警察の路上質問に捕まる可能性も高いかもしれない。

 それでも、西欧社会にいつづけることを望んでいる。

 すると、一体、問題は何なのか?と考えると、どうも、ホスト国側の西欧社会の知識人なり、メディアなりが、ムスリムたちを「何らかの対処をする必要がある存在」と見ているのではないか、と思っている。

 ラマダン氏の話しに戻ると、ムスリム側に問題がある、という前提で話しているようなニュアンスを感じた。それは西欧社会でそういう前提があるからそれに乗っ取って、話を進めているのか、彼自身が少しでもそう思っているのか?見極めが難しかった。

 長々と雑感めいたことを書いたが、7・7ロンドンテロの1周年がもうすぐ来る中で、結局のところ、自分たちにとっては身近でない宗教を信じ、スカーフや長いチューニック風ローブなど、着ているものも異なるムスリムたちに対する、知識層のとまどいが欧州社会にあるように思う。(おそらく、米主導の「テロの戦争」という看板が下りれば、ムスリム=問題、という見方はしずまっていくような気がするのだが。)


 (追記)
 私の解釈は別にしても、ラマダン氏のインタビュー記事が、英雑誌「プロスペクトProspect」に載っている。ウエブでも読め、今ならダウンロードも可だ。

 http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=7571
by polimediauk | 2006-07-01 08:29 | 欧州表現の自由