日本メディアのイラク報道 取材はダメ?
ロンドンテロのことを考えていたら、イラク・バグダッドでは、爆弾を仕掛けた車が爆発して、一日で60人以上が命を落としたことを知った。
衝撃を受けている中、イラクの現地報告の記事を、読売新聞で読んだ。在ロンドンの飯塚記者は前にも英軍と同行してイラクに取材に出かけている。この結果を、通常の記事以外に、「新聞研究」という雑誌に書いていて、英軍のいる場所から比較的近いところにいた自衛隊の取材をすることができず(日本政府から許可がおりない、という理由だったと思う)、苦しい思いをしたくだりを書いていた。
今年6月にも取材に出かけており、そのときの様子を6月29日付の新聞で書いている。イラクがいかに危険か、取材さえままならない状況かがしみじみと分かる。
もう1つ、ウエブを見ていたら、日本政府が英外務省に対して、日本人記者を英軍同行取材者として受け入れないように依頼した、という報道があった。
危険だから、という理由なのだろうか?
それにしても、メディアは政府とは独立しているのだから、日本政府がこのような形で口を出すとは、どういうことだろうか?英軍があるいは英外務省が、「危険だから日本人記者は連れて行けない」というのなら、まだ分かるのだが。日本政府が英外務省に頼む・・・という構図は、メディアを独立機関として扱っていないように見える。不自由な感じ、息苦しい感じがする。
2つの記事をペーストしてみる。
外務省、日本人記者のイラク英軍同行拒否を英側に要請
イラク情勢
【ロンドン=飯塚恵子】英外務省は6月28日、イラク南部ムサンナ県で7月に行われる英側からイラクへの治安権限移譲式典について、日本の報道機関の同行取材申し入れをすべて却下した。
日本政府が27日、イラクへの英軍同行取材に日本の報道機関の記者を受け入れないよう英外務省に申し入れたのを受けたもので、英側は「極めて異例な措置だが、(日本政府の要請に)配慮せざるを得ない」としている。
(2006年6月30日23時43分 読売新聞)
2006. 06. 29
[イラク取材記](上)軍ヘリも欠航 テロの街(連載)
◆記者2人、警護に英兵16人 「無謀だったか」一瞬弱気
イラク南部で6月8日までの9日間、英軍と行動を共にした。1年3か月ぶりの南部取材だった。セ氏50度に迫る酷暑に焼かれ、テロ警戒の緊張感に息をのみ、取材の制約で欲求不満が高じた毎日。ボロぞうきんのようになってロンドンに帰り、取材帳を読み返し、取材行の意味を考えてみた。(ロンドン 飯塚恵子)
砂漠のただ中のバスラ空港に英軍C130輸送機で降りたのは5月31日未明。英軍基地は空港に隣接し、敷地面積約25平方キロ・メートル。記者(飯塚)とロンドン駐在の中村光一・本紙カメラマンの英軍宿営地暮らしが始まった。仏国営テレビ記者とカメラマン、オランダ紙記者の計3人も一緒だ。
同日夕、マリキ・イラク首相が同国第2の都市、バスラ市に1か月間の非常事態を発令。「取材はできるのか」。テントの寝袋で、なかなか寝付けなかった。
同市は基地の東約8キロ・メートル。前回取材時は防弾仕様の四駆車で市中を動き回れたが、今回は装甲車両でなければ無理という。爆弾があちこちに仕掛けられている。この5月、ヘリ撃墜や路上爆弾で英兵9人が犠牲に。基地と同市を結ぶ軍用ヘリ便も「危険情報」でしばしば欠航する。治安は著しく悪化している。
6月1日午前5時過ぎ、陸上自衛隊の駐留する、ムサンナ県サマワに向けて英軍宿営地を出発。昨年のサマワ取材では記者3人に対し警護兵は4人だったが、今回は我々2人を警護する英兵は16人。加えて、イクバル・ハミデュディン報道官(英海軍大尉)(29)も同行した。装甲車3両と防弾仕様の四駆車1両でコンボイを組み、約250キロ・メートル北西へ。
7時間後、サマワにある英軍とオーストラリア軍の合同宿営地に到着。ヒューゴ・ロイド英陸軍大尉は「ムサンナ県がイラク民主化と復興の象徴になる」と語り、「自衛隊関与の歴史的意義」を強調した。ただ、出会ったイラク人たちは「自衛隊が来て2年たったのに暮らしは良くならない」「最も必要なのは電力。自衛隊は街に来て、地元の要望をもっと聞いて欲しい」と不満を口にした。
帰路、「輸送機からあぶれた。どうしても今日中にバスラに戻る必要がある」と言う英陸軍大佐が我々の軍用車に乗り込んだ。記者が衛星電話で通話していると、「見せてくれ」と取り上げ、電池のフタを外すなど調べ回して、「変だ」。
理由を聞くと、「この車には電波妨害装置が搭載されている。路上爆弾の遠隔操作を不可能にするためだ。電話が通じてはいけない」と説明。報道官に後で尋ねると、「装置のことは秘密」と困った顔をした。
数日後、仏テレビのマガリ・フォレスティエ記者がすごいけんまくで怒り出した。「早くバスラ市内で英軍の活動を撮りたい!」
3日は市中心部の市場で車爆弾がさく裂し市民ら28人が死亡。4日未明にかけて市内のイスラム教スンニ派モスク内の集団と警察の銃撃戦が発生、モスクの9人が死んだ。「危険」を理由に市内入りできない日が続いていた。
ヘリ便で市内に入ったのは5日。英部隊の警戒パトロールに同行すると、50メートルほど先で火炎瓶が破裂。数分間、地面に伏せた。「やっぱりイラク入りは無謀だったかも」と一瞬弱気になった。警察車両にカメラを向けると、「撮るな!」。「写真が出回ると、テロリストに狙われる」と警察官。
イラク人通訳(25)は酷暑の中でも目出し帽を決して脱がない。英軍勤務が知れると、「僕も家族も消される。警察は頼りにならない」と言う。
サマワの治安は不安定のまま。バスラは非常事態にある。陸自はサマワ撤収を進め、英国はムサンナ県に続き、残る南部3県も順次イラク側に治安権限を移譲し、年内には撤収したい意向だ。
残される人々の不安を思う。