小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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欧州不信を助長する英マスコミ報道-2


消えない「ユーロ神話」


 イギリスのEUに関する否定的報道の典型的例として、ユーロ神話がある。

 ユーロ神話とは、「曲がり具合のきついバナナを販売すれば、販売者は刑務所に入れられる」「EUの指令でブランコや滑り台の取り壊しが決まったので、児童公園の数が減っている」など、荒唐無稽にさえ聞こえる虚実入り混じった報道だ。

 繰り返し報道され、日常会話などでも頻繁に言及されるため、国民の意識の中に、事実として認識されている場合が多い。

 ユーロ神話の誕生は、1993年実施の欧州単一市場がきっかけだ。

 域内のヒト、モノ、カネの動きを自由化するという目的のため、国内の商習慣をEU全域内の標準に合わせる必要があり、欧州議会での関連法の立法化が増えた。この過程で、時には自国のやり方が通用しなくなる場合も生じ、国民の間に不便さ、焦燥感が生まれた。EUとは不合理な要求を英国に無理に押し付けるもの、生活の細部にまで干渉するもの、という印象が、ユーロ神話を報道するメディアを通じて、国民の頭の中に叩き込まれていった。

 欧州委員会の英国代表部は、ユーロ神話及び不正確な情報に基づく報道を検証し、報道媒体への抗議の表明、訂正依頼を行ってきた。代表部のホームページ上に、ユーロ神話の数々をアルファベット順に並べ、問題の報道、日付、媒体名を記し、正確な情報を付け加えるという形で掲載している。

 また、プレス・ウオッチというコーナーでは、事実を不正確に報道した記事をテーマごとに分類し、代表部が調査した正しい情報を使って反駁している。

 対象となったのは、「サン」などのタブロイド紙だけでなく、「タイムズ」「デイリーテレグラフ」「ガーディアン」などの高級紙、及びBBCも含まれている。

 ホームページ上で情報を出しているのは、メディア自体に抗議をしても、なかなか思うような結果が出ない、という現実に直面したからだ。

 新聞業界の自主規制団体である、英報道情報苦情委員会(PCC)に訂正のために仲裁を頼んでも、時間がかかり、編集された訂正記事が、目立たない場所に掲載されただけだった。

 代表部が事実誤認の記事を書いた記者に直接間違いを指摘したところ、「ブリュッセルなら、それぐらいのことをしてもおかしくないだろう」という反応が返ってきた場合もある。

 細かい点にこだわるよりも、EU拡大やユーロの将来など、もっと大局的で重要な事柄に説明の時間を費やしたらどうか、という助言が代表部に時々寄せられる。しかし、「実際に人々がよく記憶しているのがカーブのきついバナナのエピソードである以上、これからも訂正記事の要求などに力を注ぎたい」としている。

ー政治的側面ー触れないで置くもの

 イギリスのEU報道で、積極的に語られない面がある。

 それは、次第に重要度が増しているEUの政治統合的側面である。

 イギリスにとってEUの原点は欧州単一市場であり、国民の多くは、自由貿易などの経済的恩恵が加盟の最大の理由と受け止めている。統合による政治的恩恵は、現在のところあまり説得力を持つとはみられていない。むしろ、イギリスの主権を脅かす動きとして、反発を受ける。

 1975年、加盟から2年目の欧州共同体(ECー後のEU)に継続して加盟するかを国民投票で問われた国民は、否決するだろうという事前の予想を裏切り、「継続」に64・5%が投票した。

 当時はインフレ率が28%で、経済状況は悪く、「加盟を継続すれば、経済が好転する」とするキャンペーンがうまくきいた。現在好景気のイギリスに、この手法は通用しない、と見られている。

 フィナンシャル・タイムズの副編集長ウオルフガング・ムンチャウ氏は、経済面の恩恵ばかりが強調され、政治面からの統合の重要性が効果的に報道されてこなかった現状を、「イギリスのEU推進派の失敗」と分析している。投票否決の可能性が高いのは、「長年のメディアのEU報道が否定的であったことのつけが回ってきたことの証左」としている。

 野党第2党・自由民主党のニック・クレッグ前欧州議会議員は、イギリスのEU報道に嫌気がさして、任期切れを機に、ブリュッセルからイギリスに活躍の舞台を移すことにした。欧州全体の多岐に渡る問題を立法化する作業はやりがいがあったが、努力が正しく報道されているという思いはしなかったという。

 イギリスに戻るたびに、「たいした事をしていない」として存在を無視されるか、「全てをブリュッセルが決定している。恐ろしいことだ」といった、それではどうするか?という次の議論を拒否するような報道にさらされた。

 「欧州議員を続けても、何の意義があるのか」と、自問するようになったという。「欧州議会議員に対する、イギリス内での理解、支持はあまりにも少なかった」と振り返る。

―受けない欧州寄り

 一方、イギリスのEU報道は事実中心の経済紙から、創作といってもよいタブロイド紙の報道まで幅が広い、とするのは、元欧州議会の高級官僚で、現在は欧州統合推進派のマーティン・ボンド氏だ。

 特に、公共放送としてバランスのとれた報道を行うことが義務とされているBBCを初め、テレビやラジオの報道には信頼に足るものが多い、とする。

 しかし、他国と比較すると、イギリス国民全体で、欧州問題に対する知識度は一般的に低く、英ジャーナリストの間でもそれほど高いとは言えない、と指摘する。

 ボンド氏は、こうした知識・関心の低さの原因として、歴代の政府が欧州への関与に対しての態度を明確にしてこなかった点をあげる。

 イギリスがECに加入したのは1973年。当時から現在まで、どの政権も、イギリスがEUに対してどこまで深く関与するのか、という点を「あいまいにしてきた」。イギリスでは、欧州寄りというスタンスは、選挙民に受けないのだ。

 2005年5月に予定される総選挙が終わるまでは、「政府はEUに関する積極策を出してこないだろう」。7月、イギリスはEUの議長国になる。政府が本格的にEU支持の姿勢を出すのは、これ以降、という。

 「政府の姿勢が明確になれば、様々なシンクタンクも、メディアもこれに沿って、動き出す」。

 これまでのタブロイド紙のキャンペーンの成功例などを振り返ると、ユーロ神話報道の先頭に立ち、最大の発行部数を誇る(約300万部)「サン」紙が2005年後半以降、どのようなEU報道をしていくのかで、EU憲法が批准されるかどうか、が決まる可能性が高い、とボンド氏は予測している。

 さて、ブレア氏はどんな手を使うのか?

ー「神話と闘う」

 ブレア首相は、6月、BBCテレビのインタビューの中で、EUに対する国民の不信感が高い中で、どうやってEU憲法をアピールしていくのか、と聞かれた。

 「神話と現実の闘いになる」と答えている。

 EUに対する間違った認識や神話を正し、事実を広めていくという作業を行う一定の期間が必要だ、とし、国民投票の早期実施をしないのは、未だ神話の影響力が強いからで、国民の現実認識度が高まれば、批准を支持するだろう、と予測した。

 そうは言っても、無理だろう・・・と私は、思ったものだ。

 ところが、首相は、翌月、友人・腹心のピーター・マンデルソン下院議員を、欧州委員会委員候補に指名。(11月、通商担当委員に就任。)あっと驚く人事だった。「仲間びいき」の典型的人事だった。

 ブレア首相は仲間びいきで有名だ。これまでの歴代首相も同様のことをしていたのかもしれず、表に出ている、というだけの差なのかもしれないが、とにかく、露骨に、堂々と仲間びいきをする。

 マンデルソン氏は、1997年の労働党の総選挙での勝利に重要な参謀役として貢献した人物の1人。「影の演出家」と呼ばれ、ブレア氏が信頼する数少ない側近の1人だ。

 もう1人のブレア氏の側近、元官邸情報局長アリステア・キャンベル氏とともに、ブレア政権の名スピン・ドクター(この場合は情報操作をする人)と言われる。

 彼には、産業貿易相、北アイルランド相を歴任しながらも、いずれもスキャンダルで辞任に追い込まれたという過去がある。

 2度も内閣から出された人間を、欧州のトップレベルの地位にあてるとは、どういうことか?ー野党の政治家や新聞各紙が一斉にこの人事を批判した。

 しかし、ブレア氏は「最適の人物だと思ったから」マンデルソン氏を任命した、と全く悪びれた様子はないのだった。

 私は、ブレア氏のマンデルソン氏の指名を、度重なる仲間びいきの一環として不快に思ったが、一方では、「ブレア氏は本気で勝つつもりだな」とも思った。

 イギリス国民の、EUに対する関心が十分でないことを踏まえた上で、よきにつけあしきにつけ、まずは、EUの問題が話題に上ることが初めの一歩だ。とりあえず、パブでの、家庭での、トピックの1つになることが重要になるだろう。マンデルソン氏の指名は、こうした目的を果たしたといえる。指名を批判する新聞各紙はいっせいにマンデルソン氏について書きたて、半ズボン姿で犬とジョギングする写真を大きく掲載し、テレビや討論番組でもさんざん話題に上ったからだ。

 首相の側近をEUの委員に指名することで、EU本部には、「イギリスはEUを真剣に受け止めている」というメッセージを送ることもできた。

 しかし、ここで注意したいのは、マンデルソン氏の起用は、「本当に、ブレア氏が心からEUを大切だと思っている」ことを、意味しないかもしれない点だ

 マンデルソン氏、ブレア氏は、「スピン」で有名だ。スピンはまわす、回転する、変えるという意味などがあるのだが、ここイギリスでは、ある情報に、何らかのフィルターをかけて、最初の情報とは違ったものに変えてしまうこと、という意味で使われている。

 つまり、ブレア氏は腕のいい広告代理店を使って、EUをイギリス国民に売っていく、ということを目指した。こうした仕事は、たしかにマンデルソン氏が適役だ。あるブランドの名前を売り、そのブランドの好感度を高め、しまいには、そのブランドの価値を無から無限大に膨らませてしまう・・・という仕事には。

・・・と書いていたら、マンデルソン氏がラジオのインタビューに出た。

 イギリス国民の、EUに対する「懐疑」をどうするか?と聞かれている。「国民の間に懐疑がある、というのは承知している。しかし、懐疑を辞書で引くと、説得が可能と書いてある。したがって、説得をしていく、ということになるだろう」と答えている。

 1970年代、事前の予想を裏切り、過半数のイギリス国民はEC(後のEU)への継続加盟にイエス票を投じた。

 有能な広告代理店営業マンを配置したことになったブレア氏の人事で、今回も、国民の「EU懐疑」が、「イエス」に変わる可能性は、大いに出てきた、と私は見ている。

 実生活で、EU憲法の国民投票で「イエス」を投じようというイギリス人に出会うことは、なかなかないが・・・。

(この項、一旦終わり。)
by polimediauk | 2005-01-27 03:16 | 新聞業界