小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

写真の修整-2

 前に、イスラエル・レバノン紛争で、写真の修整の話(8月27日)を書いたが、コメントを残してくださった方の発言・ウエブ情報、ガーディアンの記事から、一般的な「写真の修正はどこまで許されるのか」といったことだけではなく、さらに別の論点が2,3あることを知った。

 前のエントリーで2枚の写真(新聞紙面から撮ったもの。レバノン市内のイスラエルによる攻撃の模様を写したものだが、カメラマンが煙部分を修正していた。)を載せたが、この2つの写真だけ見ると、随分故意に煙がたくさん加えられたように見えたが、ガーディアンの8月14日付のSpot the differenceという記事の紙面を見ると(ガーディアンのサイトでは残念ながら見れないが・・・)、もう少しフレームを拡大した写真になっている。ここでは、それほど2枚の写真は大きく変わらないように見えた。・・・といっても、もちろん、当事者(レバノン側あるいはイスラエル側)にすれば、大きいのかもしれないが。http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1843823,00.html


 それはそれとして、そのいくつかの問題点を、ガーディアンの記事から拾ってみたい。
 
ガーディアンによると、煙を修正したことを発見したのは、米国のブロガーのチャールズ・ジョンソン氏。リトル・グリーン・フットボールというサイトをやっている。前に、ブッシュ米大統領の軍隊の経歴に関する米CBSの報道の間違いを見つけた人物。

 ロイターは、結果として、レバノン人のAdnan Hajjというフリーのカメラマンを使わないことにした。ロイターには10年ほど写真を提供していたという。

 ここで持ち上がった疑問は、彼のケースが氷山の一角なのかどうか、という点だ。大手通信社やメディアは、他には「修正された」写真が使っていないのかどうか?

 ガーディアンの元写真編集者のイーモン・マッケーブ氏によると、今はフォトショップを使って誰でも写真の修整が可能になった、という。「写真は真実を表すと思われていたが、今では、読者はそう思っていないと思う。全てに対して、健全な猜疑心を持って見ている。これ自体は悪いことではないが」。

 英米の「右派」ブロガーたちは(例えばEUレファレンダムというブログをやっているリチャード・ノース氏など)、大手メディアがヒズボラなどによるプロパガンダをそのまま鵜呑みにしている、と証明したいのだ。

 例えば、こうしたブロガーたちは、メディアのウエブサイトに掲載される時間に合わせて、イスラエルによる爆撃の犠牲者たちが移動させられ、カメラの前でポーズをとらされた、と主張している。

 あるAP通信の写真は、午前7時21分に撮られたとなっているが、救急車に乗せられた少女を撮っていた。同じAPの、しかし別のカメラマンが撮った写真は午前10時25分となっているが、同じ少女が救急車に運び込まれるところを伝えた。さらに、10時44分とされた写真は、救助隊員が同じ少女を運んでいるところを撮っており、救急車はどこにも見当たらなかった。

 AP,AFP,ロイターはカナでの写真は、故意に設定したものではない、としている。撮影時が異なっているが、これは撮影した時間でなく、ヤフーなどのニュースサイトがこうした写真を受け取った時間だ、という説明だった。

 APのキャサリン・キャロル氏は、「ジャーナリストたちがやらせに参加する時間はない」としている。

 ことの真偽はともかく、ブロガーのノース氏は、ブログを通じて、ある事実が正しいかどうかを検証している、という。既存メディアは、「神」であるかのように振る舞い、自分たちがいつも正しい、という姿勢を見せている、と指摘する。

 ブログが「メディアに取って代わるとは思っていない。メディアは必要だ」と氏は述べる。お互いに補完しあう、と見ている。「ブログの世界にもたくさんゴミみたいなものがある、メディアの世界でもそうあるように。ブログはメディアの代わりにはならない。私がブログを始めたのは、(大手メディアの)バイアスを指摘したかったからだ」。

 この記事を書いたパトリック・バークハム氏によると、彼が話しをした複数のジャーナリストたちは、カナのやらせに関する議論は、「レバノン人の犠牲を報道するジャーナリズムの信頼感を傷つけるための、イスラエル同情者たちによる広い範囲のキャンペーンだと感じていた」という。つまり、「ブログは、古いタイプのプロパガンダの一部となっている」。

 「命がけで写真を撮っているのに、子供の殺害のやらせの写真を撮ったといわれるんだから」と、ある戦争写真家がバークハム氏に語っている。

 ある英国人の写真編集者によると、ある程度の「やらせ」はある、という。よくあるのは、例えば、よい構図になるようにと、カメラマンが、瓦礫の側に子供のおもちゃなどを積み上げて写真を撮る、というものだ。


 多くの戦争写真家はもっと厳しい態度を持つ。「写真を撮った後でモノを動かすなんて、絶対にだめだ」と一人が言う。「フレームの端に誰かのレンズが映ってしまったのを取るぐらいは許せるかもしれないが」。

 メディアによって、ガイドラインは違う。バークハム氏が調べたところでは、写真、例えば空をある程度まで明るくしたり暗くしたりするのは、「許される」と多くのカメラマンが言ったそうである。原則は、暗室でできないことを、デジタル編集でもやってはいけない、と。

 それでも、7月、シャーロット・オブザーバーというアメリカの新聞で、空の色を編集したカメラマンが解雇された。太陽の光の強さで空の色が消えてしまい、何とか取り戻そうとしたようだ。

 この一連の事件の後で、大手メディアはブロガーの言うことを真剣に受け止めるようになったのか、それとも、自分に対する批判は未だになかなか受け止めようとしないのか?テレグラフ紙のシェーン・リッチモンド氏は、「今まで認めようとしていなかったとしたら、これからは変わるだろう。・・・今回、通信社は批判を真剣に受け止めたのだから」。

 以上、ガーディアンの記事の要約。
by polimediauk | 2006-09-03 06:21 | 新聞業界