小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

8月のテロ未遂報道を振り返る


8月のテロ未遂報道を振り返る_c0016826_22321830.jpg 8月のテロ未遂事件で、英メディアがどのように報じたか、に関して、週刊の「新聞協会報」9月12日付に原稿を書いた。取調べはまだ続いており、全貌が明らかになったわけではないが、転載許可を得たので、記録としてここに入れておきたい。
 

 旅客機テロ計画、英国内の報道
  -大量の情報流れ過熱化

 8月10日早朝、英国民は衝撃的ニュースに接することになった。米国行き旅客機爆破テロ計画が阻止されたことが発表されたからだ。20数人が容疑者として逮捕され、警戒レベルは最高度に引き上げられた。

 今回のテロ計画事件では、捜査当局などから流れ出た大量の情報を、メディア各社が競うように報道した。通常は公開されない未成年容疑者の実名が報道されたことに加え、容疑者の顔写真、住所などの個人情報が頻繁に出た。

 英国では、容疑者が逮捕された後、後の裁判で被告に対して不利となるような情報は、法廷侮辱罪に当たるとして報道が許されていない。しかし今回は、これまでなら許容されないような情報が流された、とも言われる。

 テロ計画阻止発表後から約1か月の英メディアの動きを振り返る。

 -政府主導の情報発信

 今回の爆破テロ計画では当初、「想像できないほどの規模の大量殺りく」の計画を阻止したという表現が繰り返して報道された。ロン警視庁担当者が10日に述べた発言だった。

 各空港では、「液体爆弾が見つかる可能性がある」として、赤ん坊のミルクでさえ母親が一口飲んでからでないと機内持ち込みができないほどの厳戒態勢が敷かれた。長蛇の列をなす乗客の様子が延々とテレビで放映される。「想像できないほどの規模の大量殺りく」という言葉が、緊張感をさらに高めた。

 翌11日から、各紙は一斉に報道を開始した。

 タブロイド紙のデイリー・メールは2001年9月11日の米国大規模テロでニューヨークの世界貿易センタービルから炎と煙が出ている写真を一面に使い、「新たな9・11を摘発したのか?」という見出しをつけた。デイリー・ミラー紙は、「狂気 数千人を殺したかもしれないテロ計画で逮捕された一人」とする見出しに、逮捕された容疑者の一人の男性の顔写真を大きく扱った。

 メッセージ性を持たせた短い見出しを使ってインパクトの高い一面を作ることで知られる高級紙インディペンデントは、黒の背景に大きな赤色の数字「10/8」(8月10日の意味)を載せた。9・11テロを念頭に、「これ(8・10)がテロのカレンダーでは次の日になるはずだったのか」と見出しをつけた。

 保守系デイリー・テレグラフ紙は「英国生まれのテロリスト」とする見出しで、住宅街での大捜査の様子を伝え、テロリストが身近に潜むテロの恐怖を表した。

 財務省は8月11日、反テロ法の下、容疑者グループの資金凍結を決定。英中央銀行が対象者の氏名、住所、生年月日をホームページ上に掲載する、という前代未聞の行動に出た。

 この19人の中には17歳の男性もいた。英国では18歳未満までが少年・未成年として扱われ、実名、顔写真など個人情報の報道は原則として報道されない。しかし、犯罪の重大性などから公表したほうが公益にかなうと裁判官が判断すれば、実名報道が許される。

 中央銀行の情報開示を、政府側は「資金凍結となると、国内の多くの金融機関がかかわる。混乱を防ぐために情報開示が適切と考えた」と説明した。

 中央銀行の情報開示、リード内相の「主犯格は既に逮捕した」(11日)という発言が、当局からの情報公開への号令だったかのように、12日付けからは高級紙も含めた各紙は容疑者リストを掲載。数人は顔写真も掲載されたが、成人になってからの写真をメディア側が入手できなかったある容疑者の場合、少年時の顔写真が使われた。さらに、過去の恋愛歴、家族構成などの情報も出るようになった。

 ー法廷侮辱罪の可能性も

 過熱する報道に法廷侮辱罪に抵触する懸念を感じたゴールドスミス法務長官は12日、リード内相とともに、メディアに報道自粛を求めた。

 メディア法に詳しい弁護士のダンカン・ラモント氏は、ガーディアン紙のウェブサイトが提供する音声クリップ「メディア・トーク」(21日)の中で、政府が2つの相反するメッセージを発している、と指摘する。

 法務長官が報道自粛を呼びかける一方、内務省や警察側は容疑者の個人情報や、裁判になれば証拠として使われ、被告側に不利に働く可能性もあると思われる「殉教テープ」の存在など、捜査の過程で得られた膨大な量の情報をメディア側に流していたからだ。

 同氏は、今回のテロ報道が従来に比べ、法廷侮辱罪に問われない幅を極限まで広げたと見る。「テロ容疑者に関する情報を無制限に報道する前例を作ってしまった可能性がある」

 法廷侮辱罪はもう一つの動きも触発した。米ニューヨークタイムズ紙は28日、今回のテロ計画に関する記事に、英国からウェブサイトを通じてアクセスできないようにした。アクセス地域別に広告を切り替える技術を使い、英国からのアクセスを遮断したという。

 在英弁護士のマーク・スチーブンソン氏は、30日付のガーディアン紙で、情報はブログや電子メールを通じて世界中に伝わっていると指摘。「アクセスができないようにしたことが、逆に情報を英国に伝える役目を果たした」と述べた。


ー検証が本格化

 当局側が大量の情報を流す今回のような事件の場合、メディアはどうやって一定の距離を保つのか。

 英メディアは、記事中に事件名の前に、alleged(「-と言われている」)という言葉をよくつける。これにより、捜査当局発表の大規模テロ計画の実態は、証明されるまでは「疑惑」とし、書き手は中立の立場にいることを示せる。

 また、タイムズをはじめ高級紙の各紙は、当局側の説明の中で「何が自明で、何が未だに不明なのか」のポイントを囲み記事などにして掲載した。

 19日付のガーディアンは、テロ計画の現状を洗い直し、「数日続いた空港での厳重な検査体制は、必要なかった」と結論づけた。政府からの情報をうのみにはしていない、という姿勢を見せた。

 英ムスリム団体などから当初、「裁判の前にメディアが容疑者を裁いている」(BBCなど)と批判を受けた英テロ報道だったが、数週間後の現在、事件の検証作業が本格的に始まっている。

by polimediauk | 2006-09-13 22:41 | 新聞業界