小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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思考の壁? ローマ法王のスピーチ

預言者ムハンマドはどうやってイスラム教を広めたか

 ローマ法王が12日、ドイツで行ったスピーチの内容に、世界各地のイスラム教国家で反発がおき、インドではローマ法王に似せた人形を人々が焼く、という行為があった。

 そのスピーチの内容の抜粋の英訳がBBCのウエブサイトに載っていたが、そのまま訳すのが難しい。言葉をじっくり聞いて、考える・・・という性格のものなのだろう。また、キリスト教に造詣の深い方は、深く読めるだろうと思う。

 テレビ画面で見た限りは言語はドイツ語のようだったが。(法王はドイツ人。)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5348456.stm

 全訳もPDFであった。
http://news.bbc.co.uk/1/shared/bsp/hi/pdfs/15_09_06_pope.pdf

 オリジナルのドイツ語でどうだったか、キリスト教の教義との関連ではどうなるのか、この2点での私の知識が十分でないため解釈の上でギャップがあるかもしれないことを最初にお断りしておきたい。

 英訳読後の現時点では、「イスラム教批判ではない」(ローマ法王庁の話)だとするにはやや無理がある印象を持った。イスラム教批判が目的ではない、としても、結果的に批判になってしまった状況があるのではないだろうか。一方、「直接的には」批判ではない、と言えないこともない。つまり、いくつかのカバーというか、保護幕がつけられている仕組みになっているからだ。

 まず、スピーチは、「14世紀のビザンチン帝国のある皇帝と知識層のペルシア人の男性との会話」の中の言及を、法王が引用した、という形になっている。そして、イスラム教や預言者ムハンマドに関して否定的な言葉を言っているのが、この皇帝となる。つまり、「14世紀の皇帝はこう言っている」、と法王は言っているだけなのだ。

 この皇帝とペルシャ人男性がイスラム教とキリスト教に関して会話・対話をしていたという。ここで、皇帝は、宗教と暴力の一般的な関係に関して話し出す。そして、預言者ムハンマドがもたらしたものは、「悪と非人間性だけだ」として、具体例として、信仰を「剣で(つまり暴力で)広げた」としている。

In the seventh conversation...the emperor touches on the theme of the holy war. Without descending to details, such as the difference in treatment accorded to those who have the "Book" and the "infidels", he addresses his interlocutor with a startling brusqueness on the central question about the relationship between religion and violence in general, saying: "Show me just what Muhammad brought that was new, and there you will find things only evil and inhuman, such as his command to spread by the sword the faith he preached."

 そして、暴力を使って信仰を広げることがいかに不合理なことかを、皇帝は説く。「神の摂理や自然の摂理は暴力とは相容れない」からだ。宗教指導者は、暴力や脅しを使わずに、上手に話し、適切に説いて人を納得させるものだ」。

 「理性に沿って行動をしないことは、神の摂理に反する、というのが、暴力反対への根拠」と続け、皇帝にとってはこのことは自明のことだが、イスラム教の教えでは、神は全てを超越するので、神の意思は、理性的活動も含め、私たちが考えるいかなるカテゴリーによっても制限されない」。
The decisive statement in this argument against violent conversion is this: not to act in accordance with reason is contrary to God's nature. The editor, Theodore Khoury, observes: For the emperor, as a Byzantine shaped by Greek philosophy, this statement is self-evident. But for Muslim teaching, God is absolutely transcendent. His will is not bound up with any of our categories, even that of rationality.

 そこで、理性に沿って行動しないことは神の摂理に反する、と考えることは常に真理であるのかどうか?・・・と議論が進む。

 今知りたいと思うのは、何故「今」「法王が」「こんな形で」イスラム教に言及したのか?だ。

 大学でのスピーチだったが、学生や学者だったら議論を触発するために様々なことを言うだろうが、法王という立場にいる場合、その一言一句は、世界中で自分でも思っても見なかった方向に展開する場合がある。どうしても、一種の政治的な意図があると受け取られるてしまう可能性が高い。

 そこで、15日の夜、英テレビを見て反応がどのようなものか、注目していた。スカイテレビは視聴者からの電話を受けつけ、スカイもそうだったがBBCニュース24でも、イスラム教側、キリスト教側のコメンテーターを招き、意見を聞いていた。

 キリスト教側のコメンテーターは、「カトリック教のトップとして、自分が信じることを言ったまでだ。当然だ」と言い、ローマ法王庁側が「イスラム教批判の意図はなかった」とするコメントを紹介。イスラム教側は「ムハンマドと暴力のことを言うなら、なぜキリスト教の十字軍のことも同時に言わないのか。バランスがおかしい。したがって、イスラム教徒への攻撃だと言っていいと思う」。

 キリスト教徒でもイスラム教徒でもない私は、スピーチが、はっきりと、ムハンマドと暴力の関わりを言っているので、これを「イスラム教批判ではない」と言うことで議論が進むのは、おかしいなあと思って聞いていた。これまでの歴史では宗教に暴力が絡んだケースは多々あった。ことさらムハンマドの例をローマ法王として出したのは、たとえ無意識であったにせよ、その「無意識」部分の裏が知りたい、と思って聞いていた。

 そこでヤフージャパンを見ていたら、次の記事が出ていた。

<ローマ法王>「聖戦」批判を擁護…独首相「意図を誤解」

 ローマ法王ベネディクト16世の出身国ドイツのメルケル首相は15日、イスラム原理主義の「聖戦」を批判した法王の発言に対するイスラム社会の反発について、「法王の発言の意図を誤解している」と述べ、法王を擁護した。法王の発言について「宗教に名を借りたあらゆる暴力を断固として拒絶する内容だった」と評価した。
(毎日新聞) - 9月16日10時28分更新


 ドイツ語ではそうなっているのかもしれないが、「イスラム教原理主義の聖戦を批判した」・・・というのは、どうなのだろう?英訳では、はっきりと、「ムハンマドが暴力を使って宗教を広めた」(皇帝の発言として)といっており、原理主義の聖戦批判というよりも、もっともっと強いと思うが、どうだろう?

 ・・・それはそれとして、「宗教に名を借りたあらゆる暴力を断固として拒絶する内容だった」というのは本当だと思うのだが、それにしても、ムハンマドと暴力を結びつける言葉を引用しながら、「キリスト教も・・・」というところがないのが、どうにもバランスに欠けている、つまり何らかの無意識的な意図があったのかどうか。この点で、私はテレビに出ていたイスラム教徒のコメンテーターの見方に近い。

 それにしても、欧州にいると、法王のスピーチに対して、「世界のイスラム教徒が過剰反応をしている」という論理がでてしまうのが、じれったいような思いがする。しみじみ、「イスラム教徒」は、欧州にとって、「他者」なのだろうな、と思うからだ。(本当は他者でなくても、そういう風に意識する、という意味で。)

 まだまだ論争は続きそうだ。

―欧州とキリスト教

 暴力うんぬんという部分から離れ、もう1つ、このスピーチで私自身が?と感じた部分があった。それは、欧州という概念に関わる点だった。

 今、欧州では、欧州=キリスト教文化、と言い切ってしまうことは一種のタブーとなっている。地理的にも欧州がどこからどこまでなのか、が自明ではなくなっている。特に、EUに加盟希望をしているトルコ。国民の99%近くがイスラム教徒。しかし政教分離の国。トルコがEUに入ることに関して、EU加盟国内でも抵抗がある。トルコは欧州といえるだろうか?

 EUでは新憲法を作ろうとしており、これは昨年フランスとオランダの否決で、一時停止状態だが、草案を作っているときに、「キリスト教」文化をシェアする・・・という表現を入れないことになった。EUの中で政教分離を徹底させたいという流れが1つの理由だ。

 しかし、実際にはキリスト教をベースにした文化が共有されていることは事実。

 それでも、欧州の中にイスラム教を含めた異教徒の移民が増えている中で、欧州=キリスト教文化、と言い切ることができない雰囲気ができている。

 今回の法王のスピーチの中で、宗教(=キリスト教)にも理論・理性を求めるのが欧州の伝統・文化だが、他宗教(=イスラム教)は、神が一切のものを超越する考えをとる、という発言が引用されている。つまりは、イスラム教は欧州の宗教(=キリスト教)とは異なる価値観を持った宗教、欧州文化にそぐわない宗教、という見方が表現されている。

 この点が、ムハンマド=暴力で宗教を広めた・・という部分の裏の考えとして、今後、多くのイスラム教徒の移民を抱える欧州で議論が広がる可能性もある。

 16日朝、BBCのTODAYという番組で、何度かこの問題に関して報道があった。特に8時30分頃からの議論を、ご興味のある方は聞いていただきたい(ウエブから後で聞けるようになっている)。 http://www.bbc.co.uk/radio4/progs/listenagain.shtmlから、TODAYという項目を選び、放送開始から1:35分経ったところから開始。

 イスラム教学者タリク・ラマダン氏はこの番組の中で、この後者の部分を指摘していた。もう一人、ウエールズのカーディフ大司教ピーター・スミス氏は、スピーチは「相互理解を提唱する」という意味の、学問的な問いかけだった、と評価。

 キャスターがラマダン氏に、「イスラム教徒の学者として、ムハンマドの箇所を読んで怒りを感じたか?」と聞かれ、氏は、「怒っていない。しかし、14世紀の皇帝の発言をこのような形で出したのは不合理だと思うし、まずいときにまずいやり方のスピーチだと思った」。

 「イスラム教徒の側にも考えるべき点はある。現在、イスラム教の名の下で、宗教を理由として、暴力が行われていることは事実だ。イスラム教徒が直面しなければならない問題だ。問いを発すること自体は正しい」。

 「しかし、欧州の宗教や文化の下では論理付け・理性(リーゾン)が可能だが、イスラム教はそうではない、としたところに大きな問題を感じた」。
by polimediauk | 2006-09-16 16:29 | 欧州表現の自由