小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

ローマ法王の「何故?」

ローマ法王の「何故?」_c0016826_7572469.jpg ローマ法王発言事件(!)で、謝罪も出たことでもあり、この件に関して書くのを止そうと(いったんは)思ったのだが、トラックバックをしてくださった方のブログに行くと、ものすごく熱心に、丁寧に考えている方がいらっしゃることが分かり、私も、今日読んだ新聞で分かったことを、自分の胸に秘めることなく、少し足してみたい。

 まず、もう既に他の方がやっていらっしゃることを望むが、やはり、欧州の中でイスラム教とキリスト教が覇権争いを長い間してきた、という点を、1つ考えなければならない。現在でも、その覇権争いが続いている、という見方も一般的になっている。

 サンデータイムズ17日付の記事Pope vs Prophet(教皇と預言者)によると、「19世紀まで、法王は宗教の自由と世俗主義(政治と宗教の分離)に反対する立場を取ってきた。19世紀後半のピウス法王は他の宗教に対する尊敬の念を持つのは『狂気だ』と述べている」

 「歴史的なUターンになったのは1960年代半ば。ようやく、米国のような宗教の多元性を認めるようになったという。しかし、伝統的カトリック信者からすると、この方向は歓迎されていない。法王が絶対に正しい存在であり、カトリック教が真実の全てとするならば、どうして他のキリスト教の宗派を認めることができようか?」

 「前法王は・・(中略)・・・宗教の多元性を受け入れていた。無神論の国でも、カトリック教を信じる権利がある、と。」

 「しかし、1999年、将来ベネディクト16世となる法王、当時のジョセフ・ラトツインガー氏は、カトリック教以外の全ての信仰には欠点がある、とする文書を世界中に向けて書いたことがあった」。

 前法王と現法王のアプローチの違いを書いたのは、17日オブザーバー紙のPope Benedict’s long mission to confront radical Islamだった。

 「ベネディクト法王は、友人たちが言うように、キリスト教徒とイスラム教徒の間の対話を心の底からすすめようとしている。しかし、テロの暴力と、一部のイスラム教徒の指導者たちがこれを支援していることが、対話の大きな障害になる、とも思っている」。

 「9・11テロの後の法王(当時はまだ法王ではない)のコメントが、こうだった。『このテロとイスラム教を結び付けないことが重要だ。関連付けは大きな間違いだ』とバチカン・ラジオに語った。しかし、その後すぐに『イスラム教の歴史には、暴力の傾向がある』と。」

 「『イスラム教には(暴力に向かう傾向を持つ流れと)、神の意思に完全に自分をゆだねるという流れがある。(後者の)ポジティブな流れを助けることが重要だ。もう一方の流れに打ち勝つ十分な力を維持するために』と」。
 
 「前の法王はこんなことは言わなかった。ジョン・パオロ法王の念頭にあったのは共産主義だったからだ。法王庁にとって、そして米国にとって、イスラム教とはマルキシズムと闘う貴重な同志だったからだ」

 「ジョン・パオロ法王は、イスラム教のモスクを訪れた最初の法王だった。法王庁の組織の中の、他の信仰との連絡業務を行うインター・リリジャス・ダイアローグというグループのトップには、イスラム教の専門家をあてていた」

 「現在のベネディクト法王にとって、主な対決相手は、攻撃的なイスラム教過激主義と、政教分離が進む西側社会だ」

 「今回、法王になってから、イスラム教とテロを結びつけて言及したのは初めてだった」

 現法王が前法王とどのように違うのかを書いたBBCの記事はここに。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5352404.stm

 ちなみに前任の法王はポーランド人で、現在の法王はドイツ人である。(ドイツ人であることが、今回のスピーチやイスラム教に対する態度に関して何らかの特別な意味合いがある、と読む人もいる。私もそういう面を感じているが、まだ十分に裏づけができていない。BBC他によると、今回の記事には直接関係ないが、ナチの少年隊ヒットラー・ユースというグループのメンバーでもあったそうだ。http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5024324.stm)

 このBBCの記事では、今年5月、アウシュビッツを訪れた様子が書かれている。当初訪問の予定はなかったそうだが、「個人的にどうしても行きたい」ということで、時間をとったようだ。一人で歩き回る時間ももうけ、感動的な訪問となったようだ。

 今回の謝罪までの流れで、結局は、本当に良い対話につながるといいのだが。

 過去の歴史(11世紀から数世紀に渡り、キリスト教徒の十字軍遠征を通して、お互いの勢力地の奪回、再奪回という歴史が)を見ると、言葉(や、風刺画)など、表現上の(思想上の、ともいえるのだろうが)ことで議論やデモ(イスラム原理主義勢力の強いソマリアでは修道女が発砲され命を落としたものの)などになる、という現在の「戦い」は、まだいい方なのだろうか?
by polimediauk | 2006-09-18 08:00 | 欧州表現の自由