デンマーク風刺画掲載から1年 その1
今年2月、デンマーク紙の風刺画掲載が世界中で大きな事件に発展したことをまだ覚えている方はいらっしゃるだろう。今年9月にはローマ法王のイスラム教に関する否定的と受け取られる発言があって、やや似た状況も起きてしまった。
風刺画掲載そのものは昨年の9月で、そういう意味では、デンマーク国民からすると、丁度1年経ったことになる。
果たしてデンマークは、そして表現の自由はどう変わったのだろう?そして、人々はどんなことを考えて生きているのだろう?もちろん、風刺画のことなど、考えないで生きている人のほうが多いには違いない。それでも、ムスリム国民、非ムスリム国民との間の関係には何か変化があるのか、ないのか?
そんなことが気になって、9月末から10月上旬にかけて、コペンハーゲンを再度訪れてみた。2月の風刺画事件の渦中に行ったのが初めてなので、今回が2回目となった。
その結果を、新聞通信調査会というところの「調査会報」12月1日発売号に書いた。
以下はその再録(若干プラス)である。
ブログで読むと文章がかたく、やはり、紙とウエブは違うなあと自分でも思うのだが、お許しいただきたい。
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高まる反ムスリムの機運
風刺画事件から1年
デンマークの保守系新聞『ユランズ・ポステン』が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画12枚を掲載したのは昨年9月30日だった。
掲載直後、国内ではそれほど大きな議論にはならなかったが、今年になって欧州の数紙が風刺画の一部を再掲載し、表現の自由をめぐる国際的な論争に発展した。
掲載から1年後のデンマークでは、表現の自由論争はすっかり影をひそめたが、人口の5%を占めるイスラム教徒に対する反感が強まった点が目立つ。
「民主的イスラム教徒」のネットワークを築き上げた政治家が人気を博し、「民主的」と自ら名乗らないイスラム教徒は、イスラム原理主義者=テロリストに近い、と見なされる。
最初に、これまでの論調の流れを振り返る。
ーー国際的論争へと発展
人口540万のデンマークで、最大の発行部数を誇る保守系新聞『ユランズ・ポステン』の文化部長フレミング・ローズ氏は、通信社の記者から、あるデンマークの児童作家がムハンマドの生涯に関する本を書いたところ、挿絵を描く画家を見つけられずに困っている、という話を聞いた。
イスラム教では預言者を描く行為を冒涜(ぼうとく)とする。イスラム教徒からの報復を恐れて挿絵を描くことを断ったという件を知ったローズ氏は、同様の「自己規制」が、最近、幾度となくデンマークを始めとする欧州諸国で起きていることに気付いたという。
ローズ氏は、表現の自由に挑戦する意図で、ムハンマドの風刺画を掲載することを企画した。
集まった12の風刺画の中には、ターバンをかぶった、ムハンマドを思わせる人物がおり、そのターバンの先が爆弾とつながっているものもあった。
国内に20万人いると言われるデンマークのイスラム教徒の中で、モスクなどに頻繁に通うのは一万から2万人と言われている。この中の一部が一連の風刺画に衝撃を受け、『ユランズ・ポステン』側からの「誠意ある回答」がなかったため、エジプトをはじめとする中東諸国を風刺画の見本(豚の顔をしたムハンマドの絵など、掲載されていない風刺画も入っていた)を携えて訪問した。
前後して、在デンマークのイスラム諸国からの大使がラスムセン・デンマーク首相との会談を希望したが、首相側は「独立メディアの報道の自由には干渉しない」方針からこれを拒否。これを機にイスラム諸国の外交筋の中で風刺画掲載が問題視されるようになった。
今年1月にはノルウエーの雑誌が、2月にはフランス、ドイツを皮切りに欧州の数紙が風刺画を「表現の自由を守る」ために再掲載したことで、あっという間に、表現の自由をめぐる国際問題に発展した。
中東諸国の1部ではデンマーク大使が送還され、デンマーク大使館前ではイスラム教徒による抗議、デンマークの旗を焼く、という行為が起きた。結果、イスラム諸国では50人以上が死亡した(BBC他)。
ーー世論は掲載をおおむね支持
風刺画掲載に関する国民の一般的な認識だが、表現の自由を支持する声が過半数を占めながらも、イスラム教徒を挑発するような風刺画掲載はよくないと考える人も少なからず存在している。
今年9月30日付『ユランズ・ポステン』紙上に掲載された世論調査によると、九月上旬時点では53%が風刺画掲載を支持していた。理由は「表現の自由を表していたから」。一方、38%が「掲載は間違いだった」と見ている。9%が「分からない」。同様の調査を昨年11月上旬行ったところ、54%が掲載を支持し、25%が「間違っている」、21%が「分からない」、と答えていた。
この調査を見る限りでは、掲載を支持しない人は今年になって増えている。デンマークのメディアを通じてさまざまな議論があった結果として、あるいは世界中に問題が広がっていった様子を目撃して、「掲載は間違っている」と思うようになったのだろうか。
筆者が、今年2月以降デンマークを訪れ、さまざまな知識人にインタビューしたところ、表現の自由が重要である点に関しては全員が一致していた。それでも、「表現の自由を行使する権利はあるが、果たして今回のような形で、行使する必要性があったのだろうか」と疑問視する声も聞いた。
ーー1周年日の報道
掲載から1年後の今年9月30日、デンマーク紙はそれぞれトップ記事扱いで事件を振り返った。
まず問題の発端となった『ユランズ・ポステン』はカーステン・ユステ編集長のインタビューを掲載。ユステ氏は、「大きな出来事だったが、自分たちの信じることを最後まで貫くことができ」、移民のデンマーク人たちが何を考えているのかを「健全な議論を通じて理解できた。結果としてよかった」と述べた。
世界中に論争が飛び火し、1部のイスラム諸国では抗議運動中に命を落とした人もいることに関しては、「他の国で起きたことに私たちは責任はないと思う。それぞれの国で固有の事情があったのだと思う」。
『ユランズ・ポステン』の編集方針は事件の後も「変わっていない」が、もし同様の状況に遭遇した場合、事前に「よく熟考する」としている。また、「預言者を描くこと自体がタブーとは思わなかった。これほど強い侮辱感を相手に与えるとは思わなかった」と、イスラム教に関する知識や想像力の面で足りなかった部分があったことを率直に認めた。
それでも、「国民の大多数も知らなかったのだと思う。私たちだけが無知だったのではない。教訓を学んだ」と続けている。
今後、ムハンマドの風刺画を新たに掲載するかどうかに関しては「しない」と答えている。
今年9月、ローマ法王ベネディクト16世がドイツの大学でのスピーチで14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用し、ムハンマドがもたらしたものは邪悪と冷酷だったと発言した一件があった。この時、風刺画事件をほうふつとさせるような、非難と抗議運動がイスラム諸国で起きたが、ユステ編集長はこの件に触れ、現在では「表現の自由、言論の自由の度合いは減少した。法王の発言は大学での知識層相手のスピーチの一部だった。それでも攻撃された。これでは、イスラム教に関して学問的議論をすることができない」とし、欧州の「文明の根幹に対する攻撃」と感じたという。
一方、ライバル紙『ポリティケン』の方は、ローズ文化部長のインタビュー記事を掲載した。氏は現在長期休暇中となっており、米国で講演などをしながら生活している。他の数人の諷刺画家同様、イスラム教過激主義者からの脅しを受け、護衛付きの生活だ。
ローズ氏は昨年の風刺画掲載時の紙面で、「イスラム教徒は特別な扱い、特別な条件を社会に期待している」が、「西欧の民主主義と表現の自由の価値観の中では、嘲笑(ちょうしょう)され、侮辱されることを我慢しなければならない」と書いた。「私たちは自己規制の下り坂を駆け下りている」と表現の自由に危機が起きていると指摘した。
現在でも諷刺画掲載は「十分に意味ある行為だった」と考えており、世界中で数人が命を落とした件は「残念に思うが、自分は関係しているとは思わない。決定を後悔していない」と繰り返した。
ムハンマドの新たな風刺画を将来的に掲載するかと聞かれ、ローズ氏は、「仮定の話には答えられない」としている。
ローズ氏、ユステ編集長ともに、『ユランズ・ポステン』側の掲載は正しい判断だったとする姿勢を、現在まで貫き通している。
(続く)
(追記:この編集長インタビューだが、その他のコメントとして、「この事件のおかげで新聞の名前が世界中に知れ渡った。良い新聞だということが広まって、良かった」という部分があった。私は???と思っていた。むしろ、「困った新聞」(あたっているかどうかはともかく)というイメージが世界全体に広まったと思うのだが。不思議である。全くの認識のギャップだ。)