小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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デンマーク風刺画掲載から1年 その2


ーー反イスラムの本が人気

  この1年でデンマークで大きく変わった点といえば、反イスラム感情の高まりが挙げられる。

 デンマークでは現在外国人人口が8%ほどだが、反移民感情が表面化してきたのは1990年代以降。移民たちはデンマークの社会福祉制度や文化を脅かす存在、重荷と見られるようになってゆき、反移民のデンマーク国民党が人気を博すようになった。

 2001年には、9年続いてきた社会民主党率いる連立政権を破り、右派連立政権が成立している。厳しい移民規制策の実行を公約とした自由党が票を伸ばし、保守党と組んで新政権を樹立。

 今年9月、ある知識人の夫婦が書いた本『イスラミストとナイービスト』が発売され、あっという間にベストセラーとなった。「イスラミスト」とはイスラム教原理主義者・過激主義者を指し、「ナイービスト」とは作家の造語で、「原理主義者に甘いナイーブな人たち」を指すと言う。

 本はカレン・ヤスパーセン氏とラルフ・ピッテルコウ氏の共著で、ピッテルコウ氏は社会民主党の党員で元文学部の教授だった。社会民主党党首で首相だったポール・ニューロップ・ラスムセン氏(現首相のラスムセン氏とは別人)のアドバイザーだったが、現在は『ユランズ・ポステン』のコラムニストだ。

 妻のヤスパーセン氏は前政権で内務大臣を務めたことがある。以前は親移民の立場をとっていた政治家、アドバイザーが、いわば180度転換をしたことになる。

ーー「民主的」イスラム教徒たち

 この本の題名にも使われているが、現在のデンマークでは、もしイスラム教徒であれば、自分は「イスラミスト」なのか、あるいは「民主的イスラム教徒」なのかを明確にしなければならない、という雰囲気がある。民主的イスラム教徒でなければ、イスラミストと見なされるのだ。

 こうした雰囲気の背景となったのは、2月上旬、シリアからの難民で現在は社会自由党の国会議員ナッサー・カーダー氏が中心となって立ち上げた、「民主ムスリム・ネットワーク」というグループの発足だ。

 風刺画をきっかけにイスラム諸国でデンマークの国旗が焼かれたり、大使館が攻撃を受けたりしたが、自分たちはこうした過激行為に走るイスラム教徒とは一線を画する、「民主的な」イスラム教徒であることを伝えたい、と考えたイスラム系国民が中心となったネットワークだが、デンマーク国民もこれに一斉に支援を送った。

 ラスムセン首相もカーダー氏らを官邸に招き、政府がイスラム教徒のために何かしている、という印象を与えることに成功した。カーダー氏は、今秋、『ユランズ・ポステン』紙が創設した「自由の表現賞」を受賞した。

 一方、昨年末、風刺画を携えて中東諸国を訪ねたイスラム教徒たちも『ユランズ・ポステン』同様、「教訓を学んだ」と話す。

 北コペンハーゲンのモスクに所属するカシーム・アーマド氏は、今後、もしデンマークのメディアがイスラム教や預言者を冒涜するような報道をしても、「一切コメントを出さない」という。「こちらの思いを分かってもらえると思っていたが、甘かった」。今後は「民主的方法で闘っていく」。

 氏のグループは、風刺画に感情を傷付けられたとして、『ユランズ・ポステン』側に賠償金を求める裁判をデンマークで起こした。

 10月末、裁判所は風刺画が「イスラム教徒の一部の名誉を傷付けたことを否定できないが、イスラム教徒を矮小(わいしょう)化する目的で描かれたのではない」として、訴えを却下した。アーマド氏は、今後も「必要があれば裁判所などを通じてこちらの主張を出していきたい」と語る。

 『ユランズ・ポステン』のユステ編集長は、判決は風刺画を掲載する権利を再確認させた、と歓迎。しかし、「世界には過激な人々が存在しており、この問題を解決したくないと望んでいる。いつまでも溝を作り、これを維持するために風刺画論争を使うだろう」と見通しを述べた。

 ラスムセン首相は、今年10月3日、デンマークの国会開会スピーチの中で風刺画事件に言及し、国内には「私たちの社会の基本原則を認識しない人々がいる」として、デンマーク社会の基本原則は「自由、心の広さ、民主主義」と定義した。

 「デンマークには表現の自由がある、女性と男性は平等、政治と宗教の区別をつける」。

 ユステ氏の言う「過激な人々」も首相の「基本原則を認識しない人々」も、一部の移民、特にイスラム教徒を指すのは明らかだ。

 今回の事件は、世界中で「風刺画問題」と呼ばれたが、デンマークでは「ムハンマド危機」となる。イスラム教、預言者ムハンマド、あるいはイスラム教徒自体に問題があるようなニュアンスが出る。また、表現の自由の是非はイスラム系移民の社会融合と関連付けて語られる傾向があった。

 この傾向は多かれ少なかれ、イスラム系移民を抱える欧州諸国で共通しており、ローマ法王の件に限らず、今後も、デンマーク風刺画事件の再来が欧州各国で起きるのは避けられないように見える。
(終わり)

 (その1とその2は新聞通信調査会報12月号掲載の再録です。)
 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html
by polimediauk | 2006-12-02 07:59 | 欧州表現の自由