小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

フセインの死刑執行の映像を出すべきか、出さざるべきか


 サダム・フセイン元イラク大統領の死刑執行から数日経った。裁判が公正だったかどうか、死刑にするべきだったどうか、という議論が(少なくとも)英国・欧州では絶えない。そもそも、例えどんな罪を犯したにせよ、死刑という極刑にすること自体に、意図的に人の命を絶つことに、英国・欧州の知識人はとまどいを感じるようだ。これ以前にも、英国の新聞を読んでいると、「米国では(未だに)(野蛮な)死刑が行われているが」という表現をよく目にする。英国紙は米国を皮肉る・馬鹿にするのが一種の趣味というか癖になっているので、こういう表現に接すると、「また出たな」と思ってしまう。(私自身は死刑を感情的に呑み込めないでいる。理論は分からないでもないのだが・・・。)

 そこで、少しずつだが、今回のフセインの死刑執行を「公正な裁判なしに行われた」「野蛮な行為」「欧米の独裁者で、このような形で死刑執行となった人は誰一人としてないのに」「イスラム教の祭事の間に行うとは、侮辱行為だ」などと言った意見が、英国では主流の1つになりつつある。

 今回のケースで、イラク政権側が狙った・希望したのは、「イラクの法と正義の下、死刑執行がイラク人自身で正当に行われた」印象を与えることだったようだ。

 これを変えてしまったのが、死刑執行の場にいたイラク人の誰かが携帯電話で撮った現場の様子だった。執行から数時間後にはネットを通じて、世界中に映像が伝わっていった。

 処刑の場にいた、フセインに弾圧されたイスラム教シーア派を信奉すると見られる人々が、フセインに父を殺された人物(シーア派指導者)の名前を叫び、これに対しフセインが捨て台詞を吐くという場面が、映像には含まれていた。フセインに対し、「地獄へ行け」と叫んでいる人物もいた。結果的に、シーア派による復讐としての死刑執行という印象を与えてしまったという。シーア派と少数派スンニ派との対立をあおる画像とも受け取られた。

 これではシーア派とスンニ派の和解のきっかけにはならない、として、イラク政府はこの画像を誰が撮ったのか、早速調査を開始した、とBBCなどが伝えている。

 2日のBBCのラジオ番組で、プレスコット英副首相はこのような映像が出ることは「嘆かわしい」、「これに責任を持つ人は自分の行為を恥じるべきだ」と述べている。

 ネットで映像が流れるまでの経緯をガーディアン(1月1日付)からたどると、ロスアンゼルスにいたダン・グレイスター氏によると、処刑の現場にいた、イラク政府の安全保障アドバイザーがCNNのインタビューの中で処刑の様子を伝え、処刑時の画像・映像をいつ出すかの決定には時間がかかる、と述べていたという。

 CNNやフォックスニュースがどのような形で出すかを考えている間に、すでにウエブで映像が出回っていた。グレイスター氏によると、最初はAnwarweb.netで、これをアラブ系テレビが間もなくして放映。(どこが最初だったかは諸説がある可能性があることをご留意いただきたい。)グーグルビデオ、ユーチューブなどに出回ったという。主メディアがどうしようかと考えているうちに、ネットが先にやってしまった。伝統的なメディアのコントロールを、生の情報がくぐりぬけ、外界に出てしまった、と。

 英国メディアの名コメンテーター、ロイ・グリーンスレード氏はこの事態をどう見ているのか?

 ガーディアン電子版の彼のブログによると、この問題はたくさんのジレンマを抱えているという。見たいものに規制をかけるべきか否か。もし規制をかけるとすると、誰がかけるのか?個人個人が決めるのか?

 アンドリュー・グラントアダムソン氏の記事に(グリーンスレード氏のコラム内で紹介されている)よれば、「人々が自分でグーグルなどからコンテンツを得ているならば」、伝統的メディアからも同じコンテンツが取れるようにするべきではないか、としている。ところが、伝統的メディアは、「視聴者の一部が侮辱的だと感じる内容は出さないという編集上の判断基準があるために」、これが実現できていない。

 何百万人もがネットを通じてこの映像を見た・見たがったということは、人々は、「伝統的メディアによる編集上の判断を拒絶していること」を意味するのでは?とグリーンスレード氏は問う。

 「メディア側が、自分たちの価値観を情報の受け取り手に上から押し付けている」具体例が、今回のフセインの映像の件だったのではないか、として、「しかしまた一方では、何故メディア側が編集上の判断を押し付けてはいけないのか」と、自問する。

 「議論は続行するべき」というのが氏の現在の結論のようだ。(つまりまだ確固としていない。)

 この後にコメントがついているが、今現在までのコメントを読んだところでは、ガーディアンなどの高級紙、あるいは一般放送メディアが今回の携帯の映像を出さないのは正解だった、という意見が大部分に見えた。(見たい人はネットで見る、というのが良い、と。ガーディアンがもし出したら、読者は怒っていただろう、と。)

 グリーンスレード氏のブログ

http://blogs.guardian.co.uk/greenslade/2007/01/saddams_execution_the_media_de.html

 (追加)

 今のところ、ブレア首相はコメントを出しておらず、「政府は死刑反対」(今回に限らず)とのみ広報官は繰り返している。「死刑反対なら、もっとはっきりそういうべきだった」と批判されている。出したら出したで批判されただろうが、それでも何かいえないものか。米英の侵攻で政権が変わったのに。
by polimediauk | 2007-01-03 01:52 | イラク