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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

英政府ブリーフィングの話 3


何故「外国」プレス協会で?
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 何故、英首相官邸のブリーフィング会見が、外国人ジャーナリストが所属する団体「外国プレス協会」で開催されるようになったのか?いわば、日本の官房長官による会見が、突然、外国特派員協会で開催されるようになったような事態だった。

 1990年代の半ばまで、首相官邸のブリーフィングといえば、「ロビー記者」が対象だった。「ロビー記者」は19世紀後半に生まれたとされているが、日本の国会詰め記者とほぼ同じ存在といえる。

 つまり、国会(議会)記者証を持ち、議員が院外者と会見するために使う、国会の建物のロビーに立ち入ることを許された政治記者たちだ。下院の一部に、日本での記者クラブに相当するスペースがあり、新聞、テレビ局などの記者たちが、それぞれの専用小部屋を持ち、電話、コンピューター、テレビなどが完備している。一度でも官公庁の建物の中にある日本の記者クラブのそれぞれの小部屋を除いたことがある人は、そっくりそのままの雰囲気に驚くかもしれない。別のフロアに会見・ブリーフィング用の小部屋がある。

 ロビー記者へのブリーフィングは長い歴史があるのだが、表向きには、こうしたブリーフィングが行われてきたということ自体が、公然の秘密となっていたようだ。ブリーフィングの内容をどこまで報道するのか、いつ出すのか、などは、ロビー記者たちと政府との間で決めるのが通例だった。

 1997年、労働党が政権を取るまでは、こうしたブリーフィングの情報源は「その筋によれば」などとし、「官邸広報官によれば」と表記することさえ、許されなかった。また、基本的にブリーフィングはオフレコだった。

―ブレア政権のオープン政策

 ブレア氏が首相となってからは、「官邸広報官によると」と、情報源の表記が可能とされ、すべての発言内容はオンレコになった。

何故、ブレア政権はこうしたオープン政策を取るようになったのだろうか?

 官邸側、現政権関係者に聞くと、「情報化社会の進展、政府の説明責任の拡大、政策実行に対する透明性の必要性、民主主義社会の義務」といった言葉に集約される。

 つまり、政治家と一握りのジャーナリストたちの間で、情報を共有しあい、外に出さない・・・ということが、もはやできない時代になったから、ということだろうか。

 もう1つの要素としては、政権をとる以前から、ブレア氏を中心とした、ニューレイバー(「新しい労働党」)はマスコミ利用に非常に力を入れてきたという面がある。万年野党になりかねない状況が続いていた労働党は、何とかして自分たちのイメージを刷新して政権奪回へとつなげたいという思いで、積極的にマスコミの取材に応じたという。これまでの政党もそうだったとは思うのだが、マスコミをさらに一段と戦略的に使ったようだ。

 アメリカのビル・クリントン大統領の選挙チームからマスコミを最大限に利用するノウハウを学んだブレア氏側近チームは、これを1997年の選挙戦で大いに活用した。

 政権発足からしばらくの間、首相の影の副参謀とも言われたアリステア・キャンベル氏(前官邸メディア戦略局長、現在は退職)か、他の広報官が、朝は官邸で、午後は国会ロビー記者用会見室でブリーフィングを行っていた。

 2002年5月、ロビー記者たちにとって衝撃的な事実が発表された。午後の国会記者会見室でのブリーフィングはロビー記者会の管轄なので(丁度、日本の官公庁の建物の中にいる記者クラブのメンバーが、会見・ブリーフィングを自分たちの手で主催するように)、これは動かせないが、朝のブリーフィングの方は、秋からは場所を外国プレス協会に移動し、全ての記者に公開されることになったからだ。

 官邸の会見・ブリーフィングといえば、イギリスのジャーナリストの中でもほんの一握りのロビー記者たちが出席するものだった。「ロビー記者証」を取得するのは、大手メディアに勤めていても、並大抵ではない。雑誌記者などは、例え雑誌の発行部数が大きくても、なかなか選定の対象にさえされないという。狭い枠を、イギリス人のジャーナリスト全員に広げるだけでも画期的だったが、それを「外国人の」ジャーナリストにまで広げるとは?

 また、ロビー記者たちが普段詰めているのは下院の建物だが、ここから官邸までは歩いて数分だったものの、プレス協会に来るとなると、急いでも片道15分以上はかかる。前後の時間、30分ほどの会見時間を入れると、1時間から1時間半ほど、外に出ることを意味した。

 会見出席者が増えるということは、一人一人の記者の質問の時間が減ることにもなる。

 かつ、会見場所の変更は、ある日突然官邸側が発表してしまい、ロビー記者たちにはなんの事前の相談もなく行われた。

 外国プレス協会での会見の初日、ロビー記者たちの反撃が始まった。

(続く)

 (イギリスのロビー記者と政治家の歴史は、デイリーテレグラフ紙のアンドリュー・スパロー記者が書いた「Obscure Scribblers」 (2003年)に詳しい。)

 (写真は英下院。英外務省提供)
by polimediauk | 2005-02-02 19:20 | 政治とメディア