難しい局面にあるBBC
ガーディアンの2月12日付に「誰もなりたがらないチェアマンの職」と題する記事が掲載された。
これは、BBCのことで、昨年まではBBCの番組の質が一定の水準に保たれるように監視する経営委員会というのがあったのだが(実際の経営陣とは別)、これが今年からBBCトラストになった。このトラストのトップの職になる人がいない、ということなのだ。
話は昨年の11月末にさかのぼるが、当時BBC経営委員会の委員長(チェアマン)だったマイケル・グレード氏という人が、突如、ライバルとなる民間テレビ局ITVに移籍する、という報道が出た。グレード氏とITVのつながりは深く、何でも、叔父さんがITVの創立に関わったということで、さらに自分も過去ITVで働いていたことがある。
広告収入が激減し困っているITVの再建のため、やりがいのある仕事を求めて移籍することにした、とグレード氏は報道陣に語ったが、BBCの経営陣にとっても寝耳に水の移動だった。経営委員長の仕事は週に4日で、名誉職的な部分もある。それよりも実際の経営に関わりたい、という本人の意思があったのだろうが、ITVのトップとなれば給与が何倍にも上がる。それと、グレード氏はBBCの会長(ディレクター・ジェネラル)のマイケル・トンプソン氏とともに、BBCの受信料収入の値上げ交渉をしてきたが、政府側から「希望通りには上げられない」といわれていたようで、これ以上いてもあまり成果をあげられない、と見て移った、という見方もあった。
グレード氏とトンプソン氏のコンビはBBCにとってある種特別の意味があった。2003年のイラク戦争開戦をめぐる政府の情報操作疑惑を、あるBBCのジャーナリストが報道。これがきっかけになって、政府側の一人が自殺し、このジャーナリストは自ら辞職。最終的に「政府側がイラクの脅威を誇張した事実なし」という報告書が出た2004年、当時のBBCのトップ二人が引責辞任した。
この後で、心機一転ということで就任したのがグレード氏とトンプソン氏だった。
グレード氏に去られたBBC側は、どうにも格好がつかないことになった。受信料の額の交渉の大詰めで、去っていくとは!しかも、ITVでの仕事のやりがいをグレード氏が強調すればするほど、「BBCのチェアマンの職はそれほどつまらない、やりがいのないものなのか」という印象を人々に与えてしまった。グレード氏が赤い靴下をはいていたことに注目して、「赤い靴下とともにとっとと消えろ」というのがBBC職員の本音だ、と書かれた記事がガーディアンに出ていたことを思い出す。
情報操作疑惑を反省して、経営委員会は「経営陣に近すぎた」として、今度は「BBCトラスト」を今年から発足させ、このトラストのトップにグレード氏は就くはずだった。
さらに悪いニュースが1月、BBCを襲った。
まず、1月18日、文化大臣がBBCの受信料収入の値上げ幅を発表したが、これは予測よりもはるかに少ないものだった。
BBCはそのほとんどの運営資金を日本のNHKのように国民からの受信料に頼っている。BBCの運営・活動内容はほぼ10年に一度改定される「BBC憲章・BBCチャーター」によって規定されている。受信料をどれぐらい上げるかに関しては、BBCがあらかじめ希望額を出し、これを政府が(国会で)承認する、という形を取る。
これまでのところ、ほとんどの場合、BBCが希望する額をそのまま政府が承認する形となっていた。もちろん、その前に両者間で交渉はあるのだが、BBCにとっては心配のない時期が続いていたと言っていいだろう。
特に、ここ20年間の恒例となっていたのが、インフレ率と連動させることだ。インフレ率プラス何%という形をとる。
1月18日の政府発表で、これまでにない動きになったのが、まず、今回の発表以前に決まっていたことだが、2007年から実行されている現行のBBCチャーターが10年間というのは変わらないのだが、「視聴者から一定の受信料を集め、これをBBCに」という形の受信料制度の維持は今後6年だけのもので、それ以降に関しては、「未定」としている。
したがって、10年間のチャーターが更新されたからといって、受信料収入も10年間安泰・・・という状況ではなくなっている、ということだ。
そして、今回、20年間で初めてインフレ率との連動がなくなった。変わりに、最初の2年は3%、その後の4年は最大で2%の値上げとした。「インフレ率」を何と考えるかだが、例えば消費者物価指数とすれば、これが今約3%で、来年も大体同じだとしたら、「3%の値上げ」といっても実質ゼロに近い。その後はインフレ率がいくらになるかにもよるが、実質ゼロ増加あるいはマイナスの可能性もある。
BBC側は当初インフレ率プラス2・3%を希望していたが、ライバル社からの反対で1・8%と低くした。それでも、インフレ率を入れると4-5%の上昇を希望していたので、3%の引き上げというのは、がっかりを通り越して、怒りに近いものだったに違いない。
トンプソン会長は、政府が値上げ率を発表した後、失望感を隠さなかった。そして、予定した額よりもかなり少ないことになるので、今後6年間の予算では約20億ポンド分(約4500億円ぐらい)が不足する、と発言した。このため、さらなる人員削減もあることを示唆している。
インフレ率+アルファなんて、考えてみれば、もらいすぎだったのかもしれないけれど、BBCにとっては「希望額を政府が自動的にOKしてくれる」という時代は去ったのだろうし、頭の切り替えが必要となったようだ。
BBCや主要新聞のサイトを見ると、「BBCはすでにたくさんお金をもらっているんだから」という声が多かったようだが。
BBCトラストのトップの職は公募で決められる。どれくらいの人が応募したかは不明だが、先の12日付のガーディアンによると、23人ぐらいのようだ。しかし、「断った人」のj話が話題に上っている。
その一人が、元映画のプロデューサーで(「メロディー」、「キリング・フィールド」「炎のランナー」)今は上院議員のプットナム卿だ。なぜ映画のプロデユ―サーだった人が上院議員(政治家)になるのか、???と私は最初思ったものだ。いずれにしても、いったんは心を動かされたらしいプットナム卿は、「個人の生活を大事にしたい」ということで、候補になることを取りやめたと報道された。
個人生活を大事にしたいということで取りやめ・・・。なんだか聞いていて悲しい話である。つまり、プットナム卿自身がどうこうではないのだが、BBCトラスト(元経営委員会)のトップといえば、なりたい人がたくさんいて、たとえお金は少なくても、一肌脱ぐ・・という人がいてもいいのではないか。
著名な人がトラストのトップの職につきたがらないという報道が出るたびに、ますます、BBCはつまらない、誰もなりたくほどつまらない職なのだろうなあ・・・という思いを人々が抱いても不思議はない。そういうことがあって、書かれた記事だった。
3月にはいよいよ面接が開始されるという。早く誰かいい人がトップについてほしいものだ。