小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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奴隷貿易廃止法成立から200年 謝罪か否か?


 英国で奴隷貿易廃止法が施行されてから、今年3月末で200年。過去を振り返る記念行事が英国内でたくさん開催され、奴隷貿易で巨額の富を得た英国が数百年前の行為に関し公式謝罪をするべきか否かの議論も様々なものが出た。

 廃止から200年といっても、昔のこと、として片付けるわけにはいかないのは、その影響が、現在の英社会でも健在だからだ。元奴隷の子孫で英国人となったアフリカ系住民に対する人種差別は度々指摘されてきたし、世界中で奴隷状態で生きる人が未だにいるのも現実だ。

 英国の邦字紙「ニュースダイジェスト」4月12日号に書いたものに、若干付け加えて、謝罪是非の背景を考えてみたい。

―「奴隷貿易」とは

 16世紀から19世紀にかけて、ポルトガル、スペイン、英国、フランスなどの欧州諸国やアフリカの貿易商が、西アフリカ居住のアフリカ原住民を奴隷化し、アメリカ大陸などに移動させた「大西洋奴隷貿易」が行なわれた。最初に大西洋奴隷貿易を始めたのはポルトガル人と言われる。(同様の奴隷貿易はほぼ同時期、アラブ及びアフリカ人の貿易商によっても実行されたようだ。)

 「大西洋奴隷貿易」は、欧州、アフリカ、新大陸との間の「三角貿易」とも呼ばれる形をとった。貿易商は繊維製品、ラム酒、武器、雑貨などを西アフリカに持ち込み、これを奴隷と交換。奴隷は大西洋を渡り、砂糖生産のためのプランテーション(農園)に労働力を必要としていた西インド諸島やアメリカ大陸に運ばれた。貿易商はここで奴隷たちを砂糖、綿、コーヒー、タバコなどの原材料と交換し、欧州に持ち帰った。

 奴隷売買を通じて貿易商人たちは巨額の富を手にし、中でも英国は18世紀末までに世界の奴隷貿易を牛耳る程になっていた。奴隷貿易で得た富は産業革命の原動力にもなり、現在の英国の発展は奴隷貿易のおかげとも言える。例えば、現在のイングランド銀行の建物とかは、この時の富でできた、と言われている。

 ガーディアンが数字で奴隷貿易を振り返った表を作っていた。これによると、大西洋奴隷貿易の継続期間が300年、奴隷にされた西アフリカ人の数が1200万、アフリカから西インド諸島への旅で命を落とした奴隷の数が125万、奴隷貿易廃止法施工後、奴隷が船内で見つかったときに船主が払う罰金は100ポンド(1万2000円ぐらい)、奴隷制度廃止で西インド諸島の農園所有者に支払われた補償額の総額は2000万ポンドだったが、解放された奴隷への支払額はゼロだった。1760年、貿易商が男性奴隷一人を売った時の金額は50ポンドで、当時はこれで1年食べてゆけたそうだ。

 アフリカにとっては、アフリカ大陸の約2500万人が奴隷貿易で売買され、社会的・経済的発展が遅れたといえるだろうし、英国にとっては、巨大な富を得た、18世紀、19世紀の産業革命に大きな貢献をしたとも言える。リバプール、ブリストル、ロンドンは奴隷貿易で大きく発展した。
 
―廃止に力を注いだ英国

 奴隷貿易の廃止に最も力を入れたのは英国だった。18世紀頃からキリスト教徒のクエーカー派が中心となって廃止運動が起きた。熱心な英国国教徒でもあったウイリアム・ウイルバーフォース下院議員の尽力もあって、1807年奴隷貿易廃止法が成立。(このウイルバーフォース議員William Wilberforceの話が、ハリウッド映画になっている。原題「アメージング・グレース」。映画評を見ると、「歴史的事実がめちゃくちゃ」というのが多い。ハリウッド映画は結構、歴史をねじまげるというのが、英国では定説だ。)

 しかし、その後も貿易は継続し、貿易商たちが罰金額を減少させるために上陸前に奴隷たちを海に落とす場合もあったという。1827年、奴隷貿易は海賊行為と見なされ、死刑で罰せされることになった。大英帝国領域内で奴隷の売買は禁じられたものの、奴隷をそのまま所持する場合が多い状態が続いた。1833年奴隷制度廃止法で英国領内での奴隷制度が禁止され、翌年、全ての奴隷が自由の身になった。19世紀後半までに他の欧州諸国や米国も奴隷制度を撤廃した。

―謝罪か否か?

 3月25日は奴隷貿易廃止法成立から200周年となったが、英政府が謝罪をするべきかどうかで議論が沸騰した。

 ブレア政権は、英国は奴隷貿易に対し「深い悲しみと遺憾の意を表明する」とする声明を出したが、公式に「謝罪する」と言ってはいない。首相は「既に謝罪を表明した」と会見などで語ったが、「完全な公式謝罪をするべき」という声が、英国国教会トップやアフリカ系英国人の一部から出た。

 リビングストン・ロンドン市長は「公式謝罪をしない英政府の態度は卑しい」、「ロンドンの全ての指導者たちが・・・私と共に、このひどい犯罪におけるロンドンの役割を謝罪して欲しい」と述べている。

 一方、謝罪反対論者たちは、「自分は奴隷貿易と全く関係ない」、「自分が関わっていなかったことを謝罪しても無意味」、「過去よりも現在の奴隷制度排除に集中するべき」など(オブザーバー紙の投書欄、4月1日付け)の意見を寄せた。

 結局、一部の政治家が謝罪したが、謝罪はしなくていいというのが一般的見方としてた、私は受け止めた。

 国家的な謝罪が必要なのかどうか?英国でも誰に聞くかでずい分意見が変わるのも事実だ。

 知識人の間では、謝罪する・しないにしろ、一種の罪悪感は存在しているように思える。また、例え自分が関わっていないことでも、英社会全体として、罪悪感を「感じるべき」「そう思っているふりをする」(ここまで言うと、はっきり書きすぎた気もするが!)という部分も、あるように思う。あくまでも私の印象だが。

―現在の意義

 数百年前に起きた奴隷貿易を今振り返ることに、どんな意義があるのだろう?

 黒人人権団体などは、「元奴隷の子孫であるカリブ海系、あるいはアフリカ系英国人が、英社会で差別を受けている現状を見る限り、過去を回顧し、反省する意義がある」と主張している。

 差別というと、何か社会が奴隷の子孫に差別をしているかのようにも聞こえるが、心の中のコンプレックス、というのもある。

 オブザーバーに黒人系英国人の実話が載っていた。http://arts.guardian.co.uk/art/news/story/0,,2042280,00.html

 これを読んで初めて、私は肌の色が違うことでいかにコンプレックスを持って英国で生きているかが良く分かった思いがした。例えば、肌の色がブラウン系であったり、鼻がアングロサクソンのように、鼻筋が通った形であると、「より良い」と見なされる、というのである!

 また、英国の黒人の若者が、カリブ諸島にでかけ、自分たちの祖先がいかに奴隷として扱われたかを探る、というテレビ番組もいくつかあった。その中の1つで、自分の祖先を奴隷として使うことで金持ちになった、農園主(の子孫)と話し合いの場を持つ。女性の黒人の若者が、「ひどい扱いをしてお金をもうけておいて、自分はその富の上に乗って生きていることを、あなたは何とも思わないのか」と、詰問する場面が印象に残っている。農園主側は困っていた。「昔はそうだったのだ、今とは違う社会構造、意識があった」と説明しても、女性は、気持ちがおさまらない様子だった。(私自身は、現在の農園主に対し、こうした詰問をするのは必ずしも正しくないと思っている。この若い黒人女性が、英語で農園主と話し、テレビでそれが放映されること自体、ある意味では、かつての奴隷たちが力をつけたことの印だし、互いに和解をして前に進むしかないように思うのだ。)

 世界に目を広げると、どの国でも奴隷は違法だが、奴隷状態にいる人は現在でも存在する。米報告書「ハーバード・インターナショナル・レビュー」が明らかにしたところによると、2002年時点で、ナイジェリア、インドネシア、ブラジルなどで強制的な隷属状態に置かれている人は少なくとも2700万人いるとしている。

(参考資料はBBC,ウキペディア、ガーディアン、テレグラフなどの英各紙)

英国ニュースダイジェスト
電子本

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by polimediauk | 2007-04-22 03:31 | 英国事情